【麻酔】〜withコロナ時代に心の麻酔を〜

「親の死」「大病」「恐慌」人々の価値観が激変する三大要素である。現在はまさに「恐慌」がおとずれている。
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COVID-19の流行以降、多くの人の価値観や生活様式が変化していることだろう。人々が行動の自由を得られず、精神をすり減らし、互いを傷つけ合い、執拗に自己と対峙する機会を与えられる現在。きっとこの一年を無駄にしないよう、誰もがあがきながらありふれた日常との狭間で過ごしているのだろう。

僕はというと相変わらず台湾にいるが、7月半ば、乳腺に腫瘍らしきものが見つかり病理検査のため今週、摘出手術を受けた。人生初の全身麻酔手術であった。おかげで今は体にパイプを通した不便な生活だ。ウイルスとは関係ないところで行動を制限された。術後は痛い。と同時に痛みは生を実感させる。僕もまだ生に執着していた。

手術の前、僕はなんだか興奮していた。全身麻酔という感覚を体感できることに。人類最大の発明は麻酔である。淀みなく私たちを幸福にしたと言える。耐え難い痛みを取り除いてくれるのだから。

蛍光灯が1本点滅しているオペ室の天井を見つめながら、呼吸器をつけられ息を吸い込むうち、ものの数分意識はフゥーと遠のいていく。次に目覚めた時には時計の針は進んでいる。痛みも意識も時間も忘れさせる。死の正体に随分と近いような気がする。生存している方が幾ばくか苦しいのではないかと思うほどである。

COVID-19は人類に対して未曾有の恐怖とともに価値観の再定義を投げかけている。これはウイルスのアンチテーゼはワクチンではなく、人類である、という自説に基づいている。そうして人間は自問自答を強いられ、孤独に直面する。同時に多くの人が身近な家族や大切の人の存在をより強く認識する。

僕は孤独の中でこれまで以上に死を意識するようになった。どんな風に死ねたら良いか、そのためにどう生きるか。長く惰性で生きるくらいなら短命でも花火のような華のある人生が良い。そんなことを考えている時の精神状態は綱渡り的だなと思う。

ふとすればあっちの世界に行ってしまうかもしれない。そんな気持ちを孕んでいる。自己肯定と自暴自棄は紙一重なのだ。あらゆる欲求を抑えながら価値観の再定義の道中で自暴自棄になってしまう人もいる。そんな理由で残念ながら自殺者も犯罪者も増加するだろう。

今こそ「心の麻酔薬」が必要だ。
精神的な痛みを緩和させることができればどんなに楽だろう。感情を麻痺させる機会を得られるならどれだけの人が望むだろう。辛くて忘れたい心痛を一時的に忘れられれば幾つの命が救われるだろう。

人間はもともと脆弱だ。度々、自己肯定感を失ってしまいそうになる。その糸がフッと切れた時、自ら命を絶ってしまう。罪を犯してしまう。道徳心を保てない。

身近な人から引き寄せてもらってもいい。
大切な人を大切にすることからでもいい。
自分は誰かのために生きているという実感からでもよい。自らを肯定し、誇りを持つべきだ。
自分を愛することを邪魔する権利は誰にもない。

幸い、僕もまだ死なない。まだ生に執着し、大事を成し遂げる。それは今もなお自己陶酔という名の麻酔にかかっているからだ。

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