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好きだった場所に行けなくなるということ

 今日でGWが終わってしまう...と思っていたらすでに長いお休みは終了して、営業日すら一日を終えてしまった。ポッドキャストの更新をしなきゃな〜と頭の片隅で思いながら、マスクをチクチク縫って、家族と団欒しているうちにあっという間に五日間は過ぎていた。

 日本の暦をこよなく愛する自分は、春の土用期間に当たるGWは移動に適していないことから、旅行に行ったり遠出したりはせずに、だいたい家で家族と過ごすか、東京に残っている友達と美術館に行ったり、海へ出かけたりしていた。都内に実家があることもあり、帰省文化がないもの同士、すなはち、東京育ちの幼なじみや都内に実家があってGWに旅行に出かけない種族の友人たちと過ごすのが常だったものだから、今年の自粛週間も特に自粛感もなく、美術館そういえば行けないな...くらいの感覚だった。

 改めて、身近な人と同じ時間を共有することの尊さや、心地よさ、一方で苛立ちと諦め、みたいなことを味わった五日間でもあった。

 お休み中に心に残ったトピックスを二つほど紹介したい。

"Quarantineって最高!"(お家時間で本をとことん楽しむ方法を紹介している記事 / Team Epiphany Timesというdigital zineより)

 読書家ではないのだけれど、本屋さんの空気や紙の本が好きで、家にはたくさんの本がある。特に、旅先で買うのが趣味である。必ず地元のzineやローカル出版社の本に手を出す。いつか訪れた中国や台湾では、読めないくせに、中国語で書かれた、それはそれは美しい装丁の本を何冊も買ってしまった。いつか勉強したら読もうと思っているものが何冊も本棚に眠ったままだ。時たまページをめくると、上海の新天地の夜の街の空気や台湾のお陽さまの香りが漂って、当時の旅情を思い出させてくれる。
 で、このTeam Epiphany Timesというのは、Shaniqwa Jarvisというフォトグラファーのインスタで見つけた。Shaniqwa Jarvisは、調べるとSupremeやNIKEなどの広告写真を手がけているようで、私が彼女を知ったきっかけは、先月NYのクイーンズ・エルムハースト病院へ全額寄付になるという写真作品のオンライン展示会で。壺の花器に活けられたチューリップの絵が美しくて、「Don't cry for me, I'm thriving」(私のために泣かないでよ、大丈夫だから)というタイトルにも感銘を受けて作品購入したことで、すっかり勝手に親近感を覚えている。
 どこの記事で知ったか思い出せないのだが、COVID-19禍において重要なのはAltruism(Altruism is the principle and moral practice of concern for happiness of other human beings or animals, resulting in a quality of life both material and spiritual - wikipedia)ー利他主義と訳すことが多いようーだという風向きと、この2ヶ月ちょっとの生活で自覚してきている、「今やっていることは、誰かのためになっているのか?そしてそれが結果、自分のためにもなっているのか?」という意識の元で、本を読む行為を単なる暇つぶしではなく、本を書いた人、売ってくれている人、その本を知るきっかけをくれた人たちにも少しでも感謝の気持ちを伝えられたらいいな、という気持ちの変化から、アマゾンよりもなるべくBASEやSTORESを使って直接その本をお知らせしてくれたお店から購入するようになった。アマプラに入っているので、大抵の本はアマゾンで買えば翌日届くし、Kindleに転送すれば、即時読める。だけど、いつ届くかな〜とワクワクしながら待つ時間や、梱包を開けた時に、手書きで書かれた店主のカードを見たときの喜びは、アマゾンには代え難いものがある。好きな場所に自由に行くことができなくなった今、私に必要なのは、即時性よりも、誰かと気持ちや想いを交換しているという確かな実感である。

 日本でも、講談社のDay to day企画がスタートしたけれど、海外でもリモートワークで常にオンライン接続されているのをオフラインにするために本を手に取ろうとか、ローカルのブックストアへ売り上げが還元されるプラットフォームがあったり、そういう大切にしたい場・体験を守り価値を高める施策が色々展開されているというのが、この記事にはまとまっている。

リーダーが見せる涙の意味に大きな変化(NY Times)

 タイトル通りの話なのですが(笑)、COVID-19禍において、諸外国の死亡率の高さと相関して、各国のリーダーの知り合いがお亡くなりになるケースは非常に多い模様。また、共感したらその気持ちをすぐにアウトプットする文化的背景も重なって、国民への説明や演説の際に、ふと涙するリーダーが増えているけれど、むしろそれは好感を持たれている、これまでリーダーにとって感情をあらわにすることはご法度だった、涙なんてもってのほか、という風潮が大きく潮目を迎えている、という記事。

 先ほど紹介したAltruismを象徴する出来事でもあると思う。「本当に大切なことを感じられているか?」ということを、私たちは厳しく判断するようになってきているのではないかなあと思う。

 経済的な視点や、富めるためのマーケティングは、もちろんなくなりはしないと思うけれど、そもそも経済価値として評価されることの対象や、富の定義が、今、変わりつつあるのではないかとさえ、思っている今日この頃。商品を売る、ブランドを売るために美辞麗句をうたうよりも、その商品を買うことが、どう社会に還元されるのか?生活者はそこまで考えて消費活動を行うようになってきているのだと思う。COVID-19禍以前からこの動きはあったと思うけれど、ますます、加速の一途を辿っているのではないでしょうか。

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