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雑多な考えのまとめ。#3

楽なフォーマットを見つけてからもう長く書くのを諦めてしまってるな。


・子供の頃の自分と話すとしたら

最近自分が大人になっているのを感じた出来事があった。親と手を繋いで町を散歩している子ども(幼稚園に通う年齢か下かくらい)を見て「羨ましいな、戻りたいな」という感想が浮かんだということだ。まだ何も責任を負わないで生きることのできる自由さに憧れを抱いたのだ。まさか自分が子どもに戻りたいと思う日が来るとは想像していなかったが、その感情が浮かんだということは着実に大人の階段を登っているということだろう。大人になるにつれ自分でできることが増え、行ける場所も広がっていっているはずなのに、同時に責任に縛られてもいくのだ。大人とは限りなく自由であり、とてつもなく窮屈でもあるのだと改めて感じた。今大人になりつつある自分がかつての何にも縛られていなかった子どもの自分と会った時、どんなことを話すのだろうかとふと思った。小さい時に思い描いていた将来の夢とは全く異なる進路を進んでいるが(℃-uteの曲みたい)、尊敬してもらえたり、「大人カッケー!」って思ってもらえるのだろうか?Creepy Nutsの『サントラ』という曲に「あの頃の俺は惚れてくれるか?」という歌詞があったのを思い出した。あまりそんな自分になれているという自信はない。
子どもの自分と話すこととしてもう一つあるのはこれから起こる未来のことを忠告することだ。「この後こういう事が起きるから気をつけろよ」とか「これはこっち選んどけよ」というようなことを言っておけば今の自分の立ち位置を変えることができるかもしれないということである。しかし、現状にそこまで大きな不満はなくせいぜい「受験勉強はしっかりやっておけよ」くらいのものかもしれない。それも第一志望じゃなかったことで出会えた友人たちや幸せがあるから一概にダメだとも言えない。まだ22年やそこらでは分岐が明確になるほどではないということもあるのかもしれない。
結論としては、今の自分の話をするよりも小さい自分の話を聞くほうが楽しそうかもということにしておく。


・リーダーって能力とかってよりも慕われる器

リーダーがどうのサブリーダーがどうのって話をよくしてしまうが、もしかしたらこれは自分が一番コンプレックスとして抱えているところなのかもしれない。毎度毎度言っているが自分にはリーダーシップがない。それは人を引っ張るだけの高い能力がないからだと思っていたが、それだけではないのかもと感じ始めた。リーダーの役割の一番目に上がるのはチームをまとめるということである。能力が高いことはあくまでもその手段の一つにしか過ぎないのである。「この人はとても有能であるから付いていけば上手くいくぞ」と思わせることでチームをまとめあげる。多分それが「カリスマ」というものなのだと思う。しかし、それだけがリーダーシップの形ではない。チームがまとまって同じ方向を向けられれば良いのだから、リーダーがメンバーの共通の敵となっても結束を生むことができる。部活の監督が嫌いなことでチームがまとまるという事象もこれに当てはまると言える。逆にリーダーはみんなに好かれるだけでも役割を果たしていると言える。特に尖った力がなくてもメンバーみんなに好かれ慕わせることができればチームを率いることは可能である。「しょうがねぇなぁ俺らがいないとダメなんだから」というようなタイプもこれに含まれる。自分が大学4年間で在籍していたサークルの幹事長もこのタイプの人が多かった。(文脈的に「しょうがねぇなぁ」タイプと思われそうだがそうではない) 全くそんなことはないのに「自分は何もできていない」と自信がなさそうだった。しかし、みんなから好かれていて慕われていた。つまりそれだけでリーダーの仕事を完全に全うできていたのだ。自分はそんな能力も周りを敵に回す勇気も慕われる器もないから羨ましい限りである。
多分伝わらないとは思うけど歴代幹事長のみなさん、あなた達はスーパーリーダーですよ。


・曲に背中を押されるにも種類がある


生きてて音楽に背中を押される経験は数多くしてきた。世の中の人もそういう経験をしてきた人は多いと思う。落ち込んだ時に勇気をくれる曲に励まされて頑張ろうと思うことは度々あるのだが、人によっては落ち込んでいる時は暗い曲を聴いて底までとことん落ちたいという人もいるだろう。そういう人には前者の勇気をくれる曲はうっとおしく感じるかもしれない。それは状態というかタイプがあるからだと思った。
この落ち込んでいる状態を地下にいて地上への階段を前にしていると例えてみる。勇気をくれるような励ましの歌は背中を押してくれる人だと言うことができる。だから、上に向けて登り始めている人にとってはエネルギーをくれる助けになるのだが、まだ登っていなくて階段の前に立ち止まっている人には邪魔にしかならないのだ。そういう人には一緒に止まっていてくれるか、肩を持って手伝ってくれるような曲が適していると思う。じゃあそれはどういう曲か問われると困るが。
もう一つ曲に元気をもらう形態があるとしたらそれはとんでもなくテンションの高いトンチキな曲だと言える。落ち込んでいても思わず吹き出してしまうような面白さだったり、体が動き出してしまうようなお祭りソングは半ば無理矢理にでも立ち直らせてしまうだろう。これは例えるならば階段の前にいる人をお姫様抱っこして上まで駆け上がってしまうような曲である。これも合う人合わない人はあるだろうが、一種のショック療法としての効果はあると思える。
誰しも落ち込む出来事とは避けて通れないのだから、こういった自分に合った方法で地上までの階段を登ってみるのが良いと思う。


これだけ書けるならそれぞれ一個の記事でも良かったかもしれない。

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