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生まれた環境に関係無く、子供の努力によって報われるまち

Noteで開催するコンテストを見ていて、私が学生時代の頃を思い出した。

私が育った地域の公立小学校では、毎年いろいろなコンクールや賞があった。例えば読書感想文。優れた感想文は誰かに審査されて、佳作とか、最優秀賞とかに選ばれ、その市か県で発行される文集に掲載される。同じように、絵画、習字や工作など、いろいろな分野別のコンクールが開催されていた。

しかし、今大人になって思う。

これらは本当に子供のためになるのだろうか。小学生、中学生の時に、これらのコンテストにいくら時間を使って、優秀な賞を取れたとしても、将来人生が豊かになることは絶対に無い。スポーツなどと違って、これらの受賞歴が高校や大学受験で役立つことは全く無い。

なぜ大人はそれをわかっていて、このような無意味なコンテストを開催し、ただの目立ちたがり屋でナルシストな親が大切な子供の時間を奪うことを助長してしまうのか。そのコンテストに税金やお金を使うのではなく、学校の授業で必要な、お裁縫セット、習字セット、絵具セットや体操服などの必需品を無料にすることはできないのか。なぜ各家庭が学校での必需品を負担しなければならないのか。

私の母親もその一人だった。自分が大好きで、子供のことを一切考えない目立ちたがり屋な母親は、彼女自身が中卒で、大学受験経験も何かに挑戦したことも全くない世間知らずの女だった。母親の事を悪く言うつもりはない。しかし、レアなケースだとしても、他にも私のような『変わった』家庭環境で育てられた人がいるかもしれないから書いている。

自分のことを客観的に見れない、自己愛マザーに育てられると、幼少期から全てを母親に支配され、人格と感情が徐々に無くなっていき、18歳になる頃には空っぽの操り人形へと完成される。支配されることは全てだ。時間、お金、服、部屋や持ち物。子供は母親の生まれ変わり、母親の分身として18年間を過ごす。

人生で何も成し遂げたことが無いのに、お見合いで世間体のためだけに結婚し、子供に依存することを決めた母親は、父親から経済DVを受けており、生活するお金もあまりないのにPTAや小学校、中学校のイベントに積極的に参加し始めた。普通、社会経験があり、キャリアがある女性だとしたら、これらの全てが時間の無駄だと理解し、自分が家族のために何を本当に優先するべきかがわかるだろう。

社会に適応できない人間が結婚をして子供を産むと、子供に依存するのだ。目では見えない、静かな虐待だ。

私のようなケースは少ないかもしれないが、まれに存在するかもしれない。だからこのようなおかしな環境で生まれた子供にも、将来社会人として人と関わって生きていけるためのサポートを、周りの正常な大人が与えられる機会をまちが一団となって作るべきだ。

スポーツ以外の金賞や賞状(その学校特定のもの)なんていらない。家庭でのインターネット設置を義務付ける、とか。成績の悪い子供には無料で家庭教師をつけれる、とか。子供が社交性を育める団体スポーツに無料で参加できるようにするとか、もっとまち全体が、個々の家庭に介入して、サポートするようにしないと、負の連鎖は一生止まらない。

『よそはよそ、うちはうち』という言葉が間違った親たちに好都合に利用されると、その子供の可能性とポテンシャルが消えていくのだ。


#暮らしたい未来のまち

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