評論家

【現代日本昔ばなし24】評論家

 むかしむかし、あるところに、ひょうろんかが いました。

ひょうろんかは、えいがや ほん、すぽーつや すいーつなどを わだいに なったもの だけを ためし、わるいところを ねっと じょうに かいていました。

もちろん、おかね なんて もらっている はずもなく、あくせすすう だけが こころの よりどころ でした。


 ひょうろんかは SNS でも、わだいを あつめて いました。

なぜなら、ひはん ばかり するからです。

ひはん という よりは、かんじょうに かたよった わるくち だから でした。

わるくちを いうのは かんたんで、なかまも あつまり やすいのです。

ただの わるくちを いっているくせに

「おれの ひょうろんは すばらしい。みんな おれみたいな みかたを できるように なれば いいのに。」

という うえから めせんの かんがえかたを、ひょうろんかは もっていました。


 あるとき、いつものように、わだいの しょうじょ まんがが えいぞうかした えいがの、わるくちを かこうと、ねっとじょうでは どういう わるくちの かんそうが かかれて いるのかを けんさくしていると、

「くそな ひょうろん さいと まとめ」

というのを みかけました。

それを ひらいて ひょうろんかは びっくりしました。

なんと、じぶんの さいとが 「くそ ひょうろん さいと らんきんぐ 1い」だったのです。

そこには、めを おおいたく なるような わるくちが かかれて いました。

ひょうろんかは おこりました。

かかれている ことが じじつ だからです。

じじつが ゆえに、よけい むかつくの でした。


 ひょうろんかは、すぐに

「くそ ひょうろん さいと まとめ が くそな 89の りゆう」

という はんげき さいと を たちあげました。

しかし、じぶんの さいとは えんじょう する いっぽう。

もう、ひょうろんかの わるくちを いうことが せけんの ぶーむと なってしまったのです。

これは、もう とめることなんて できません。

むかしは、あんなに、あくせすすうが ふえて うれしかったのに、その ほとんどが あんち だと わかった いま、くつうでしか ありません。

ねっと なんて、みなければ すぐに やめれるのに、すでに いぞんしょうと なっている ひょうろんかには それも できません。


 えんじょうは おさまる ところを しりません。

SNSの うらあか から、とっくの むかしに こうしんを やめて しまっている りあるむけの SNS まで、なにから なにまで みつかって、とくめい けいじばんには ほんみょうと じゅうしょまで さらされて しまったのです。

「もう ひとの わるくち なんか いわないから たすけて ください。」

ひょうろんかが かみに いのったとき、きせきが おこりました。

 なんと、ゆうめい たれんとが ふりんを した ことが あきらかに なったのです。

SNSや せけんは、もう そればっかり。

ひとの ぷらいべーとに ふみこんで あほみたいに やいやい もりあげたのです。

みっかたったころには、ひょうろんかの ことなんて、せけんは 「あきた」といって わすれて しまいました。


 ひょうろんかは

「あー、よかった。」

と むねを なでおろし、「ふりんする くそ たれんと 10にん」という しん さいとを たちあげ、 しあわせに くらしましたとさ。

めでたしめでたし。 

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