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自分って何かを考えちゃう。

 9本目は『トイ・ストーリー』。言わずとしれた名作で、ザッピングでWOWOWを観たときに偶然ちょうど始まったのでなんとなく観始めたら最後までしっかり観ちゃったという。WOWOWの良さよね。名作所以よね。

もうこんだけ有名なんだから今さらネタバレも何もないと思いますので、あまり気を使わずに書いていきます。『トイ・ストーリー』シリーズは僕も当然好きで、ディズニーランドとかでも観るとワクワクしちゃう。男ですが、人形遊び結構好きだったので、「おもちゃが動き出す」という設定だけでワクワクしちゃうんですよね。この「子供の頃の遊びが現実に」という視点だけでいけば、前回の『20世紀少年』にも少し共通するよね。でも描き方は全然違うんだけど。

 僕はこの『トイ・ストーリー』シリーズの中では、1作目が一番好きで、そして、今でも見るたびに衝撃をうけます。ピクサーの絵が美しいとかそういう技術的な面はここでは一旦おいておくとして。で、なにかっていうと、アンディという少年の一番のお気に入りのおもちゃ、ウッディーというのがいるんだけど、アンディはクリスマスに世間で大流行している「バズ」をプレゼントにもらってこっちがお気に入りになっちゃう。で、いままでそれなりの居場所を築いてきたおもちゃたちが、急にその関係性が崩れて混乱していくって感じのストーリー展開だよね。

なにが衝撃かっていうと、この「バズ」が自分がおもちゃではなく「バズライトイヤー」というキャラクターそのものだと信じていること。空も飛べるし、ビームも出せる、宇宙からの侵略者を倒す正義のヒーローなんです。他のもおもちゃたちは、自分たちが「おもちゃ」であることに気づいているのに。

そしてこのバズが、あることをきっかけに自分が所詮1個のおもちゃで、大量生産されているうちのひとつだってことに気づいちゃうんですよね。このシーンがほんとに僕は毎度ぐっとくる。なんというか、自分の人生では自分が主人公で唯一無二だとみんな思っているんだけど、結局70億人もいる人間のうちの一人だし、社会の一部でしかないんだよね。このバズのアイデンティティーの崩壊は、実はみんな子供から大人になる過程である程度、反抗期なんかを通して体験していることなんだよね。「自分がなにものなのか」ということに対して僕らはずっと死ぬまで戦い続け、居場所を探し続けるんだと思う。バズはなんだかんだで意外ににすんなり「おもちゃ」であることを受け入れるんだけど、それはウッディーの存在があったからで。

僕はこの映画を観る度に、「自分の生きる意味」を考えちゃうんですよね。ピクサーの映画でなんか大げさだって思っちゃうけど、ピクサーの映画ってそういう本質的なところをどの映画でもしっかりえぐってくるから魅力的なんだよなあ。

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