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こわい切手【試し読み】

内藤陽介 著
『本当は恐ろしい!こわい切手』
2022年7月20日(ビジネス社 刊)

はじめに


まずは本書のカバーをご覧いただきたい。

ここに使用した画像は、1973年にオーストリアで実際に発行された薬物乱用防止キャンペーンの切手である。半分が骸骨と化した若い女性の顔が描かれ、薬物依存症になることの恐ろしさが表現されている。

実際にこの切手が貼られた郵便物が自宅に届いたら、多くの人はぎょっとするに違いない。また、「こんな切手を貼ってくるなんて!」と差出人に対して怒りや不快感をあらわにする人もあるだろう。

メディアとしての切手のデザインには、切手の発行目的にあわせて最適と考えられるものが選ばれるが、それは時として、この切手のように、見る者の心をざわつかせるようなものとなることもある。

 そこで、本書では、一般には“きれいなモノ”“かわいいモノ”と認識されることの多い切手のなかから、あえて“怖い”という人間の感情に刺さるモノをピックアップし、11本の短編コラムとしてまとめてみた。

まず、“こわい切手”の書名から多くの読者が連想するであろう内容として、第1章は「呪いの切手」と題して、その冒頭には「心霊切手」の話題を書いた。

心霊切手というのは筆者の造語で、心霊写真のように、霊や超自然現象などが写りこんでいるように見える切手のこと。本書では、その代表的な例として、古くから切手収集家の間で話題になってきたものを中心に紹介している。

続く「ゾンビの誕生とヴードゥー教」では、“呪い”の範囲を少し広く取って、“死体のまま蘇った人間”のゾンビと、その元になったヴードゥー(教)とその呪術について紹介している。

第2章は、“怖いもの”の筆頭に挙げられることの多い“鬼”のなかから、日本とモンゴルの例をとりあげた。日本の鬼に関しては、もともとは目に見えないものとされてきた“おぬ(隠)”が現在の我々のイメージする“鬼”へと変化していく過程を「鬼が鬼たるまで」として概観した。

また、我々のイメージする鬼と似たような姿かたちの存在として、チベット仏教では、角を生やし、恐ろしい表情で仏敵を倒す忿怒尊が信仰されており、それらは宗教芸術の対象にもなっている。その主なものについてご紹介したのが、第2章後半の「モンゴルの忿怒尊」である。

西洋の伝説に登場する怪物や魔物を取り上げた切手は世界各国から数多く発行されているが、本書では、その代表的なものとして、「ドラキュラとブラン城」で吸血鬼ドラキュラを、「解き放たれるクラーケン」で海の怪物・クラーケンを取り上げ、第3章の「伝説の切手」とした。

第2章と第3章では架空の世界の恐怖を扱ったが、第4章と第5章では現実の世界の恐怖の中から題材を選んでみた。

いわゆる心霊体験が一度もなく、オカルトの類を全く信じない人であっても、自動車を運転していて、あるいは道路を歩いているときに危険な運転の自動車に遭遇して“怖い”と感じたことは一度や二度ではないはずだ。このため、世界各国では交通事故の悲惨さを訴える切手が盛んに発行されているが、その中でも、見る者のヒヤリとさせられる感覚を刺激する切手についてまとめたのが「恐ろしい交通事情」である。

これに、2021年に復活したアフガニスタンのタリバン政権が現地の人々、特に女性たちに与えてきた恐怖の一端を紹介した「タリバンの恐怖」とあわせて、いささか大げさかもしれないが、第4章は「現代の闇の切手」としている。

第5章の「戦争の切手」では、無数にある戦争関連の切手の中から特に“こわい切手”をピックアップすべく、悪魔ないしは死神としてのヒトラーのイメージと切手の関係について論じた「ナチスと死神」、イランとイラクが発行したグロテスクなプロパガンダ切手について扱った「悪魔が殺傷した子供たち(イランとイラクのかなり強烈なデザインの切手を紹介している)」の2本に加え、2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まったことを踏まえて、ソ連支配下のウクライナで人為的に起こされた飢餓とそれにまつわる切手をまとめた「嗚呼、おそロシア」の3本で構成した。

本書でご紹介する“こわい切手”の中には、それだけを見れば、なぜこの国はこんな切手を発行したのか、こんな切手を郵便物に貼って出す人などいるのだろうか、と疑問に思わざるを得ないものも少なくない。しかし、それぞれの切手には、いずれも世に出るだけの理由が必ずある。

その理由を求めて、切手とそこに描かれた題材の歴史的・文化的・社会的背景を丁寧に探っていくと、そこからさまざまなドラマが浮かび上がってくるので興味が尽きない。

筆者が“郵便学者”の看板を掲げて、古今東西の切手を渉猟し、日々、それらを読み解いているのも、そうした切手の持つ知的側面の魅力に取り憑かれているからなのだが、本書を通じて、一人でも多くの方にその一端を感じ取っていただけたら、これ以上の喜びはない。

本記事では、本編第1章 呪いの切手から「心霊切手」の一部と、第5章 戦争の切手のうち「嗚呼、おそロシア」からの抜粋を掲載します。

心霊切手


ヒトラーは見ている

ヒトラーとナチス・ドイツは、世界の大半の国では絶対悪と認識されており、それゆえ、直接ナチスやヒトラーを賛美していなくても、“ヒトラーの亡霊”を連想させるモノはしばしば物議を醸すことになる。

第二次大戦に敗れたドイツは、大戦前の領土のうち、オーデル・ナイセ線以東の旧ドイツ東部領土(ポメラニア、ノイマルク、シレジア、東プロイセン)をポーランドとソ連に割譲したほか、米英仏ソ四国によって分割占領された。

その後、東西冷戦の進行とともに、米軍占領地区と英軍占領地区は占領円滑化のため合同してバイゾーンを形成。さらにこれにフランス軍占領地区が加わってトライゾーンを形成し、ソ連軍占領地区との亀裂を深めていった。

西側によるトライゾーンには、1949年9月15日、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が正発足し、これに対抗して、同年10月7日、ソ連は自らの占領地域でドイツ民主共和国(東ドイツ)を成立させた。

こうした状況の下で、独仏国境地帯に位置するザールは、西ドイツの成立後もフランスの占領下に置かれ続けていた。ザールはヨーロッパ有数の炭田地域で、第一次大戦でドイツが敗れた後は、1920-35年には国際連盟の管理下に置かれていた。

このため、1933年1月にヒトラー政権が発足すると、反ナチス派の人々の中にはザールに逃げ込む人も多かった。しかし、1933年10月に国際連盟を脱退したドイツは、ザールの返還を要求。連盟による管理期限が終了した1935年に行われた住民投票に際しては、ドイツ政府主導で「ザールはドイツのものだ!」をスローガンとする大々的なキャンペーンが展開され、住民の90パーセントを超える支持を得て、ドイツに返還されることになった。

これは、ナチス・ドイツにとって領土拡張の最初の成功例として、その後のドイツの進路にも大きな影響を与えた。こうした経緯もあって、第二次大戦後、ザールは再びドイツから切り離され、フランスの占領下に置かれていたのである。
そのフランス占領下のザールで1947年に発行された切手は“ヒトラーの亡霊が見える”として物議を醸したことがある。

1947年、フランス占領下の
ザールで発行された16ペニヒ切手

切手は、戦後復興の担い手として労働者が高炉を撹拌している場面を描くもので、同図案で色違いの15ペニヒ、16ペニヒ、20ペニヒ、24ペニヒの四額面があった。

この切手に描かれている左側の労働者の撹拌棒の先端とその周辺を上下逆にすると、炎と地面の形状が顔の輪郭と目に、炎の中に入る撹拌棒の先端がチョビ髭のようにも見え、あたかもヒトラーの亡霊がこちらを見ているかのように見える。

16ペニヒ切手の左側の労働者の
撹拌棒の先端とその周辺を上下逆にした画像


さらに、右側の労働者の両脚の間から見える高炉の縁の部分も上下逆にすると、やはり、ヒトラーの顔のように見える部分がある。

16ペニヒ切手の右側の労働者の
両脚の間を上下逆にした画像

上述のように、ザールを取り返したという成功体験がヒトラーに自信を与え、ナチスの膨張を招き、ひいては第二次大戦につながったという記憶が生々しい時期だっただけに、ザール切手に“ヒトラーの亡霊”が見つかると、ザールとフランスではちょっとした騒動になった。

とはいえ、終戦後まもない物不足の時代でもあったため、“ヒトラーの亡霊”は単なる偶然として片づけられ、これらの切手が使用禁止になることはなかった。


嗚呼、おそロシア


魂を刈り取る“死”の使者

『新約聖書』の「黙示録」第6章第7-8節は、

小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が『きたれ』と言う声を、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は“死”と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた

となっている。
ここでいう、剣や飢饉とともに青白い馬に乗ってやってくる“死(の使者)”は、中世以降、生きた骸骨として擬人化して描かれるようになり、土着の民間伝承も取り込んで、19世紀後半以降、大鎌もしくは小ぶりな草刈鎌を持ち、黒を基調にした傷んだローブを身にまとった人間の白骨の姿で描かれるようになった。

“死(の使者)”はその鎌で人間の魂を刈り取ることから、英語では“無慈悲な刈り手”を意味する“グリム・リーパー(Grim Reaper)”と呼ばれている。
大鎌を持つグリム・リーパーを描いた切手としては、1923年にウクライナで発行された飢餓救済募金の切手が有名だ。

1923年6月に
ウクライナで発行された飢餓救済募金切手のうち、
死神に襲われる家族をイメージした10フリヴニャ切手

1924年1月21日にレーニンが亡くなると、1925年5月、スターリンは一国社会主義を唱え、重工業化路線の推進を決定した。しかし、当時のソ連には工業化のための資金が絶対的に不足していたため、スターリンは農民からただ同然で買い上げた穀物や木材を輸出することで、工業化の原資を賄おうと考えた。

しかし、ソ連政府が定めた買い取り価格はあまりにも安く抑えられていたため、農民は穀物の提供を渋るようになった。
問題解決の手段としては、コミンテルン執行委員会議長のニコライ・ブハーリンが穀物調達価格の引き上げを主張したが、レフ・トロツキー、レフ・カーメネフ、グレゴリー・ジノヴィエフら有力幹部は「農民への譲歩は社会主義的工業化を遅らせるだけなので、強制収用に訴えても徴発すべきだ」と主張。

1927年12月の共産党大会では、スターリンが、穀物危機はクラークのストライキが原因なので、内戦時代のように、農民からは穀物を強制収用すべきと主張した。

1928年になると、第一次五カ年計画が発表された。国民経済への投資額は645億ルーブルと設定されたが、これは、それまでの5年間の投資額の2・4倍という数字で現実性に乏しいものだった。そして、その資金を捻出するための手段として、ウクライナでは“農業集団化”が本格的に始まった。

農業集団化とは、それまで自分の土地で耕作を行っていた農民を彼らの土地から切り離し、国営農場(ソフホーズ)または集団農場(コルホーズ)の労働者にするという政策である。

当然のことながら、農民は抵抗したが、党と政府は抵抗する者を逮捕して容赦なくシベリア送りにしたほか、自活農が成り立たないほどの高額の税をかけるなどして、集団化を強引に推し進めた。その結果、ウクライナの集団農場化率は、1928年には3・4パーセントだったものが、1935年には91・3パーセントにまで急増した。

スターリンはウクライナに対して憎悪に近い感情を持っており、1930年1月22日には「民族問題の本質は、農民の問題」であり、「(ウクライナにおける集団化の目的は)ウクライナ民族主義の社会的基礎、つまり個人の土地財産をつぶすことだ」と宣言。ウクライナの飢饉はウクライナの民族主義に原因があるとの立場を取っていた。

無謀な調達を強行するため、共産党の活動家には農家を強制的に捜索し、穀物を押収する権限が公的に与えられ、隠匿物資を調査するためと称して農民の家屋の床や壁が破壊され、種もみまで収奪される事例が相次いだ。

彼らは、ウクライナから根こそぎ食糧を調達することを暗黙の前提としていたため、“飢えていない者”は食物を隠しているとみなし、農産物は全て人民に属するものとしてパンの取引や調達不達成は犯罪とみなされた。

さらに、落ち穂を拾ったり、穂を刈ったりするだけでも「人民の財産を収奪した」という罪状で10年の刑を課せられ、食物を隠している者は“社会主義財産の窃盗犯”として死刑にする法律が制定された。

そして、シベリア各地には“特別定住地”と称する強制収容所が数多く設置され、なかでも、グラゾヴェツとアルハンゲリスクとの中間地帯に設けられた収容所には200万人のウクライナ人(うち半数が子供)が収容され、過酷な労働に従事させられ死亡者が続出する。

ウクライナと北クバーニ(北コーカサス)は世界でも有数の穀倉地帯で、1931年には両地域で全ソ連の45-6パーセントの収穫があった。それにもかかわらず、現地の農民には食糧が回らず、飢餓が蔓延。ウクライナの飢饉は1933年春にピークを迎え、1日1万人の割合で餓死が発生し、人々は死者の肉を食用とすることで辛うじて生き延びていた。

正確な数字は不明だが、1932-3年の餓死者は、当時のウクライナの人口の一割強にあたる400-500万人にも及んだと推定されている。
これらの人為的な飢餓政策は、ウクライナ語で“飢え”を意味する“ホロド”“抹殺”を意味する“モール”を組み合わせた“ホロドモール”と呼ばれる。

2003年にウクライナが発行した
ホロドモール70周年の切手

2021年7月、ロシア大統領のウラディミール・プーチンは「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」と題する論文を発表し、

①かつては大ロシア人、小ロシア人、白ロシア人と呼ばれた三つの支族からなるロシア民族が存在した
②ソ連時代の民族政策により、三つの支族はロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人という別の“民族”に分断された

と主張した。当時、多くの人々はプーチンの言説を単なる妄想と片付けたが、2022年2月24日、実際にロシア軍がウクライナへの侵攻を開始したことで、プーチンと(少なくとも一部の)ロシア人がそうした考えを共有していることが明らかになり、世界は驚愕した。

当然のことながら、ロシアの侵略に対してウクライナ国民は必死に抵抗している。そこには、単に自国を侵略者から防衛しなければならないという一般的な祖国愛にとどまらず、ロシアに占領されればどのような未来が待ち受けているのか、1920-30年代の飢饉を民族の記憶として共有しているウクライナ国民ならではの事情も付加されていることは言うまでもない。

目次


第1章 呪いの切手
【心霊切手】
・暗殺されたセルビア王の亡霊
・廃城の騎士
・ヒトラーは見ている
・おばけ小指
・チェコスロヴァキアは死なない
【ゾンビの誕生とヴードゥー教】
・ゾンビとヴォドゥン
・ベナンのヴォドゥン
・雷神ヘビオソと武神オグン
・ヴォドゥンは“宗教”か?

第2章 鬼の切手
【鬼が鬼たるまで】
・もともとは目に見えない存在だった“オニ”
・夜叉と羅刹
・鬼門
・橋姫伝説と般若の面
・般若から真蛇へ
【モンゴルの忿怒尊】
・“怖い仏像”はなぜ生まれたか
・ヤマと閻魔、ヤマーンタカと大威徳明王
・大黒天とマハーカーラ
・武神ジャムスラン

第3章 伝説の切手
【ドラキュラとブラン城】
・ドラキュラの誕生
・映像化とイメージの定着
・トランシルヴァニアのブラン城
・残酷伝説から紡ぎだされる物語
・ブラン城の現在
【解き放たれる“クラーケン”】
・大統領選挙と伝説の魔物
・アンゴラ沖で船を襲う
・海底二万里
・ダイオウイカ

第4章 現代の闇の切手
【恐ろしい交通事情】
・交通事故現場の生々しさ
・ヒヤリとさせられる二輪車
・スペインの“飲酒とスピード違反”
・恐ろしすぎるジンバブエの運転
【タリバンの恐怖】
・アフガニスタンと“女性への暴力”
・イスラムの女性はなぜ髪を隠すのか
・イスラム原理主義者の発想
・タリバンの登場
・世界の麻薬工場

第5章 戦争の切手
【ナチスと死神】
・ヒトラーと髑髏
・ヒトラーの仮面を脱いだ死神
・マイダネク収容所とナチス親衛隊の死神
・暴走する反ユダヤ
【悪魔が殺傷した子供たち】
・イラン・イラク戦争
・劣化ウラン弾を被爆した少年
【嗚呼、おそロシア】
・魂を刈り取る“死”の使者
・ウクライナを搾取した死神、ボリシェヴィキ
・たった一年で国民の一割強を殺した「ホロドモール」
・語り継がれるジェノサイド

著者


内藤陽介(ないとう・ようすけ)
1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。公益社団法人日本文藝家協会会員。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し、研究・著作活動を続けている。

主な著書に『みんな大好き陰謀論』『誰もが知りたいQアノンの正体』(ビジネス社)、『解説・戦後記念切手(全7巻+別冊)』『切手でたどる郵便創業150年の歴史(全3巻)』(日本郵趣出版)、『世界はいつでも不安定』(ワニブックス)、『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』(扶桑社)、『なぜイスラムはアメリカを憎むのか』(ダイヤモンド社)、『中東の誕生』(竹内書店新社)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『切手と戦争』(新潮新書)、『反米の世界史』(講談社現代新書)、『事情のある国の切手ほど面白い』(メディアファクトリー)、『マリ近現代史』(彩流社)、『日韓基本条約(シリーズ韓国現代史 1953-1965)』『朝鮮戦争』『リオデジャネイロ歴史紀行』『パレスチナ現代史』『チェ・ゲバラとキューバ革命』『改訂増補版 アウシュビッツの手紙』『アフガニスタン現代史』(えにし書房)などがある。


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