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ソクラテス 無知の知

前回のマンダラチャートの最後で次はスティーブジョブズのスピーチについて書きますといったものの、せっかくここまで3回”インプット”について書いてきたので、もう一つだけインプットについての話を。

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世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』 で

有名な山口周さんの『武器になる哲学』

山口周さんの著書は個人的には名著ぞろいだと思うのですが、こちらの本は、勉強するうえでどうしてもインプットに偏りがちな”哲学”をまさにアウトプットを前提に、つまりは、ビジネスの世界で活用することを念頭に置いて哲学を学んでいけます。

全部で50個の哲学的考え方が収めらているので、適宜紹介していければと思うのですが、今回はインプットに関しての有名な哲学的アプローチをご紹介。

無知の知

-学びは「もう知ってるから」と思った瞬間に停滞する-

古代ギリシャの哲学者 ソクラテスが示した概念としてあまりにも有名な言葉ですね。無知の知とは簡単に言えば「知らないということを知っている」ということですが、本著では達人=マスタリーへの道としてさらにその先までを考察しています。

知る/習得する、つまりインプットするということの順序は、

①知らないことを知らない。
②知らないことを知っている。
③知っていることを知っている。
④知っていることを知らない。

であると。

ソクラテスが語っているのは①→②の領域の部分で、

多くの「知者」と呼ばれる人は、「知ったかぶり」をしているだけで、本当は「知らないことを知らない」状態にある、ということですね。次になんらかの契機から「知らないことを知っている」という状態に移行すると、ここで初めて、学びへの欲求や必要性が生まれることになります。

山口周はさらに下記に続けます。

その後学習や経験を重ねることで「知っていることを知っている」という状態に移行します。「自分で知っていることについて、自分で意識的になっている」という状態です。
そして最後は本当の達人=マスタリーの領域である「知っていることを知らない(忘れている)」という状態になります。つまり知っていることについて意識的にならなくても、自動的に体が反応してこなせるくらいのレベルということです。

なるほどぉ~。確かに、日常生活でも「OK、わかった」というレベルの理解ではほとんどの部分を理解していなく、”理解したふり”をしているという状態があると思います。

自分はその状態を回避するために、大事なことなどは、よく「腹落ち」するまで考えようと思っているのですが、これが上記の達人までの道と、語感的にも親和性を感じ、ずいぶんと整理されました。

この「わかる」という感覚を山口周さんは本著で下記二人の方の言葉とともに指摘しているのでこちらもご紹介。

渡部昇一:英文学者で名著『知的生活の方法』の著者

ゾクゾクするほどわからなければ、わかっていないのだ。

原専禄:歴史学者阿部謹也の師

わかるということは、それによって自分が変わることでしょう。

どちらも名言すぎますね、両者ともに「わかる」ということの深遠さを認識しています。

これまで、自分がnoteに書いてきたインプットの”質”というのは、まさしくこのレベルでの「わかっているか」どうかということで、どの分野にしろ「知っていることを知らない」レベルまで到達するのは長く険しい道だとは思いますが、ほんとにインプットしたい/するべき事柄なら、謙虚にこの道を歩んでいきたいものです。


『武器になる哲学』ではほかの考え方も紹介したいものがあるので、またの機会にnoteに書きます。

とりあえず次こそ、スティーブジョブズの話します。

それでは。

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