見出し画像

センスの本質を理解する:出来事のリズムと直感の重要性

センスの定義とは、出来事を「そのもの」として捉えることができることだそうだ。出来事の意味や目的を考えずに、それそのものを楽しむことができるのがセンス。そして何を楽しむかというと、一つ一つの要素の「差」を楽しむ。例えば、0(=何かが欠如した状態)から1(満たされた状態)というところに差は発生して、0から1になるときに刺激を感じるという。ずっと1でもダメだし、ずっと0でもダメだ。例えば、箱根駅伝で「青山学院がずっと一位」で優勝した年がある。完全優勝だ。それは快挙だが意外と視聴者の反応が良くなかった。逆に、駒澤大学が創価大学を抜いて逆転優勝したとき、駒澤大学にも沸いたし、創価大学の抜かれた選手の「すみませんでした」というツイートにもみんな沸いていた。
このように、みんなはいい状態でも悪い状態でも、「一定」は面白いと思わない。うねりがあるから面白いなのだということだ。これは「センスの哲学」という本に書かれていたことだが、自分の中でまだなぜそれが「センス」なのかということが理解できていない。
自分の中で「センス」というのは、何か「物事を感覚的にうまくこなすことができる」とか、「深く考えないでもハイパフォーマンスを出せる」ということである。私がセンスがある人に惹かれるのは、「適当にやっている、あまり考えていない感じなのに何故か凄い」という、自分は真剣にやっているのに何故かその人には勝てないという壁を感じるからだ。「圧倒的な生まれつきの能力の差」というのがセンスに惹かれる理由だと思っていた。つまり、自分が思う「センス」とは、「能力の差」が前提であって、何かの勝負での中でのことを考えていた。ただ、この本ではそうではなく、そもそもセンスとは誰かと比較することから「降りる」ことから始まると言っていた。もしかしたら、その時点で私が思っている「センス」とは違うのかもしれない。ただ、一つ参考になる部分があるのは、「物事をリズムで捉える」ということだ。意味ではなく要素の関連性で考える。つまり、物事の本質的な意味は関係なく、その出来事と周りの出来事の関係性だ。どういうことかというと、人間=生物学として考えることが「本質的」だ。生物学的に言えば、「生存本能」を元に動いている。確かにこれを考えると色々な事象の説明がつく。生殖、食欲、睡眠、承認欲求など色々だ。だが、それらの要素は全て「生存本能」が元になっているが、「何かの出来事が起きた結果、生存本能的にこの行動になった」というのが正しいだろう。つまり、触媒となる出来事があったのだ。これは、何かの出来事と人間の行動に関係性があり、その関係性を「リズム」として捉える。そのリズムになっている根源は生存本能になるが、それだけを学んでも意味がない。つまり、「理論」とは本質を理解することであって、それだけを学んでも上達しないのは、その周りにある要因を理解できていないからである。全ての要素の関係性をリズムで捉えるのは、考えることが多くて大変だからみんな「本質」という一点に戻ろうとする。だけど、社会の出来事はそれだけで構成されていることはほぼない。だから、リズムで捉えないといけないのだが、全て考えることは大変なので「直感」に頼ることが必要だ。「直感」を磨くには「確からしい回答」を出せるようにしないといけないので、色々なデータから学習して「確からしい回答」を理解しておかないといけない。つまり、ディープラーニングなのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?