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世界の移り変わりに合わせて。

すっかり世界が変わってしまった。
景気だとか社会のニーズだとかで自分の作る料理の方向性を考える事はあっても、”料理する事”そのものを考える事になるとは思っていなかった。

流行り廃りはいつの時代でもある。
それに合わせて新しい商品を考えるのも大変ではあるが、日々変化していかなくてはお客さんは新しいものへ惹かれて行ってしまう。
そんな事を言うと老舗はずっと変わらぬ味でやってると言う人もいるが、老舗が生き残り続けている要因の最たるは、細かな変化の連続にある。

今回はそういう変化で対応できる範囲を超えてしまった。
どんな料理を出すか、どんなサービスをするか、どんなプレゼンテーションをするか。
そういう事では解決できない。
不特定多数が集まることが出来なくなったからだ。

UberやAirbnbのようなシェアリングサービスと言うものは、別に新しくもなんともない。
飲食店がずっとシェアリングサービスそのものだったからだ。
その街の、その場所で、美味しいものをたくさん作ってみんなで食べる。
一人で飲みきれないワインを、一人で食べきれないお肉を、ずっと借りていられない場所を。
飲食店はシェアリングサービスだ。

個人向けの食べ物を宅配などで売ったところで、生き残れないのは自明だ。
シェアする事で経費を浮かせ、安価に食事を提供するモデルが9割だから。
個別に作る料理には地代や人件費や包装にかかる費用を乗せきれない。
それではお店で感じられるほどの価格的な魅力がなくなるからだ。

金額は関係ない、より良いサービスより良い商品が売れるのだという人がいるが、毎日のお昼ご飯に1,000円以上払い続ける選択ができる人は多くない。
お昼ご飯に25,000円~30,000円かけるくらいなら、500円かお弁当を持ってその半分の15,000円程度にする。
そうした浮いたお金でネットショッピングを選ぶ人が殆どだろう。
私もそうすると思う。

おまけにオフィスに出向く必要のない人も増えた。
お昼は家にあるもの食べて、夜も早く帰るように生活していた人は気づいただろう。
なんだか財布にお金があるなと。

外食は贅沢。
一種のご褒美のようなもの。
そういった側面もあったと思う。
自粛疲れした自分へのご褒美なら分からなくもないが、それなら家でいつもより凝った料理、いつもより高い食材となる方が想像がつく。
全体的に外食需要が減ったのは事実だろう。

飲食業と私との関係においては、問題はそこではない。
どんな社会状況だろうがやりたければ店を出す。
タイミングを待っていては、いつまでたっても店を始める事は出来ない。
11年前に店を出した時だって、ベストタイミングとは程遠かった。

要するに気づいたのだ。
もう店をやりたいと思っていない事に。

欲が削がれてしまったのだ。
大して外に出ずとも、外食が出来なくても、人と会う機会が減ったとしても、それならそれで構わないと感じている。
気力が、欲が削られてしまったのだ。

思えば過剰に期待される仕事だった。
お客”様”の最高の体験の為に、最低の労働環境を続けてきた。
それでも良かったのではない、単に考えてこなかったからだ。
それが当たり前だと思い込んでいたからだ。

体力的にも、精神的にも、以前のような飲食店の店長やシェフとして働くことは出来ない。
もうやりたくないのだ。

飲食店の魅力は、エンドユーザーからその場で答えを聞ける事にある。
車を売る場合、お客様は今まさにどんな風にその車に乗っていて、どんな体験価値を感じて、どんな改善を望んでいるのか即座に知ることが出来ない。
飲食業は提供するサービスすべての答えを目の前で聞くことが出来る。

しかし、もはやその回答は必要なくなった。
お客様は自分で判断しなくなっていった。
店選びの際は、有名人の紹介する店・星付きレストランで修業したシェフ・日本初上陸の有名店。
味の評価はSNSで見せたくなる盛り付けかどうかだ。

お店にいない誰かの為に食べに来てるのなら、実店舗で対応しているお客様と言うのは誰なのだろう?
顧客自身がその体験を価値と捉え、その対価を店舗に支払うなら。
その時初めて答えを聞いたと感じられる。
もう飲食店に私の求める答えはなくなった。

またいつか自分の求める飲食店が、その理想像が明確になったら。
なによりもまた、厨房に立ち包丁を握りたくなったら。
そんな日がくればまた始めるだろう。
別に日本でやる必要もないのだから。


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