【バイリンガルが幸せになる国語科へ】

 最近、第二言語習得論に関する本を読み始め、その中にバイリンガルの記述があった。曲なりにも十数年前まではバイリンガルであった身として、ほうほう、と思いながら読み進めると、「受容バイリンガル」という言葉に当たった。「聴いて理解はできるが、自分からは喋ろうとしない、または喋ることができない」。これだ、私は「受容バイリンガル」というれっきとした部類に入ってはいたのだ。長年の疑問が解き放たれた瞬間であった。

 この発見を母に伝えると、青天の霹靂的な事実が語られた。どうやら両親は私が小学生の頃、ずいぶんと長いこと、我が家での言語教育の方針について話し合っていたらしい。「バイリンガル路線に切り替えるか、それとも日本語でこのまま話させてみるか」である。

 私は言語遅滞児だった(らしい)こともあり、英日に限らず、なかなか自分からは口を開かなかった。そうした子どもに、例えば「日本語が分からないフリをして、半ば強制的に英語を喋らせる」という策は、あまりに酷ではないか。しくじるとさらに無口になってしまうのではないか。それよりは、彼女の喋りたいように喋らせるのがベストだろう。苦慮の末、そう父が提案したらしい。

 研究対象とした時には非常に興味深いケースとなると感じた一方、パーソナルな側面で言えば、父への罪悪感と感謝の念が混合して濁流の如く押し寄せてきた。

 感覚的には、7歳の「カナダ人としての私」からの長い空白期間の後、一気に「Academic-Englishを学ぶ日本人としての私」へと変容過程にある、と形容できようか。

 さて、ここから現状の国語教育を鑑みるに、国語科におけるバイリンガル教育の体制が充実しているとは、とてもではないが言い難い。言語教育は人間教育であるべきだという佐々木倫子氏の指摘はまさに正鵠を射ている。バイリンガル当事者たちが、どちらのアイデンティティーにも確固たる自信を持ち、双方の言語文化に対しempowermentを付与するための学習空間を整えることは、これからの国語科が引き受けるべき急務的な要請である。

 本来存在できていたはずのアイデンティティーが、外部からの様々な圧力-すなわち「正しい国語」に偏重してしまう指導など-によって消滅してしまうことほど、残酷で不安感を助長するものはない。こうした子どもたちの、いわば「言語権」とでもいうべき権利を保障することが、ひいては多様性の価値を理解することにも繋がり得る。

 私は、突然教育学や国語教育に関心を持ち始めたことにきっかけはなかったとばかり思っていたが、どうやらその認識は間違っていたようだ。私は日本の国語教育というkaleidoscopeを通して、私がいかにして「私」になったのか、そのプロセスを人生史として追体験し、言語存在としての「私」を探究したいと思う。なるほど、確かにそれをなすためには、文学研究では些か不充分かもしれない。

 幼少期に置き去りにしてきてしまった英語に再び命を吹き込むこと。そして、国語科において多言語・多文化を回復する「生きた言葉の学び場」のための理論を創ること。これは当面10年の間、私の課題になりそうである。

参考文献:
佐々木倫子「8.言語政策と教育 8.2 理論的諸問題」日本国語教育学会編『国語教育総合事典』所収、朝倉書店、2011年、pp.79-81.

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