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アメリカにおける「ペットロス」最前線〜文春新書『ペットロス いつか来る「その日」のために』より② 伊藤秀倫〜

2021年、日本では犬猫あわせて1600万頭ほどのペットが飼われています。大切な家族の一員であるペットはしかし、ご承知の通り人間よりも平均寿命が短く、別れの時が来ることを覚悟しながら共に日々を過ごします。これもまた、厳然たる事実です。

長年連れ添った愛犬ミントを亡くしたライターの伊藤秀倫さんは、その2日後、冷蔵庫の中にあったカブを目にして、涙が止まらなくなってしまいます。「カブのすりおろしなら、弱った愛犬も食べられるのではないか」と購入した食材が引きがねとなって、制御不能となった自身の喪失感とはじめて向き合ったのです。

これは、一体なんなのか? 「ペットロス」なのか? 
もしそうなら、この「ペットロス」を自分は乗り越えることはできるのか?

文春新書『ペットロス いつか来る「その日」のために』(税込・990円)は、筆者である伊藤さん自身の苦しい体験からスタートし、獣医や精神科医の分析や、上沼恵美子さん、壇蜜さんなど著名人をはじめ、国内外の幾多のペットロスを経験した方の言葉に耳を傾け、『ペットロス」の実相を明らかにしていく好著です。

今回は、書籍の一部を無料公開。
アメリカでペットロスを経験した方が教えてくださった、「サポートグループ」の役割とは?

オレゴンから届いた一通のメール


 では、欧米ではどうやってペットロスと向き合っているのだろうか──そんなことを考えているとき、私がネット上に公開している仕事用のメールアドレス宛に一通のメールが届いた。
〈はじめまして。米国オレゴン州ポートランドよりお便り差し上げています〉
 差出人はポートランド在住の中田理恵さんで、私が『週刊文春』に書いたペットロスについての記事を読んでの感想をメールで寄せてくださったのである。私は知らなかったのだが、オレゴン州は犬を取り巻く環境が恵まれており、“Dog Friendly State(犬にとって住みよい州)”のトップに頻繁にランキングされているのだという。メールはこう続く。
〈我が家には3代目の保護犬ポーリがおりますが、2019年11月、初代の犬(Sir Riley)を亡くしたとき、自分でも予想外の状態に陥りました。「家族であり、友であり、パートナーでもあった大切な存在」に気づかされたわけですが、私だけが毎日泣いているのではなかろうか、犬を亡くしたくらいでめそめそするなんて。あの時にもっと治療ができたのではなかろうか、もっと他の方法があったのでは? 考えたらキリがなく、サポートグループの存在を知らされて、半信半疑で犬の写真を持ってグループに参加してみました〉
 ペットロスの「サポートグループ」とは、どのようなものなのか。興味を持った私は中田さんにコンタクトをとり、改めて話を聞いた。

 それまで犬を飼ったことのなかった中田さんが「犬を迎えよう」と思い立ったのは2016年12月のこと。当時、アメリカではドナルド・トランプ氏が大統領選に当選した直後で、抗議デモが頻発するなど物情騒然としていたこともあり、中田さんとしては番犬としての役割も期待していたという。犬の保護団体のサイトなどを閲覧する中で中田さんの目にとまったのがミニチュアシュナウザーのライリーだった。ライリーはもともとの飼い主である高齢女性がケアホームに入ることになり、家族も犬の面倒を見ることができないため、泣く泣く保護施設に連れてこられた犬だった。
「ライリーは既に一一歳の老犬で、それほど激しい運動が必要ということもなかったので、条件的にも私にぴったりだったんです」
 こうして中田家にライリーがやってきた。散歩に連れ出すと、ワンブロック(約60メートル)を5分ぐらいかけてゆっくりと歩く。そうやって自宅周辺を二時間ほどかけて散歩していると、中田さんとライリーはご近所でたちまち「人気者」となった。
「それまでも近隣とのつきあいはあったのですが、ライリーと歩いていると本当にたくさんの人が声をかけてくださって、まるで比較にならないほどご近所ネットワークが広がっていきました」
 老犬との初めての暮らしは、中田さんにそれまでの人生では味わったことのないような穏やかで温かい時間をたくさん与えてくれた。だが老犬ゆえに、その時間には限りがある。
「それは迎えたときからわかっていたつもりでしたが、実際には全然わかってませんでしたね」
 2019年11月、14歳になったライリーは急に食べられなくなり、そのうちに自分の足で立つことができなくなった。お別れの時間が迫っていることを感じ取った中田さんは、ライリーが横たわるベッドごと動物病院へ駆け込んだ。
「痛みだけでもとってあげたくて……。先生に『何かできることはないんでしょうか?』と聞いたら、『いろいろ検査することはできるけどいい結果が得られるかはわからない』と。グッタリしているライリーを見て、私も『ああ、もうダメなんだ』と悟って、その場で(安楽死の)処置をしてもらいました。私の手の上でライリーは息を引き取ったんです」
 中田さんが当時を振り返る。
「家に帰ってみると、家がとてつもなく巨大な空間のように感じるんですね。あんなに小さな身体なのに、これほど大きな存在だったのか、と。もう本当に毎日泣いていました。たまに外に出ると、近所の人から『あれ、ライリーは?』と訊かれて、また号泣するという始末でした」
 中田さんは現地で、日本からの視察研修や教育事業、国際会議やメディア関係のコーディネート業を手掛けている。犬が死んだからといって、それらの仕事を断るわけにはいかない。
「泣きすぎて目が腫れ上がって、出目金状態だったので、とにかく目の腫れを抑えるアイクリームを山ほど買い込んで、仕事のときはそれを塗りたくって、何とかゴマかしていました(笑)。でも、今思うと、仕事をしている間だけはライリーのことを少し忘れられたので、自分にとっては仕事が救いだった面はあります」
 とはいえ、家に帰れば、また泣き腫らす日々。
「とくにいつも散歩に出ていた夕方が辛くて。時間が経つのがとにかく遅いんです。で、やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、新しいことには全然手が付けられない。ボーッとしちゃって時間の管理ができないんですね。自分でも頭がおかしくなっちゃったのかな、と思うほど。それで『これは火を使って料理は作らないほうがいい』と思って、しばらく料理もしませんでした。そもそも食べ物もロクにのどを通らなかったんですが……」

動物病院が提供する「ペットロス座談会」

 見かねた友人から教えられたのが、ペットを亡くした人のための「サポートグループ」の存在だった。
 それはペットを亡くした飼い主が「予約なし、無料で」参加できる座談会で、ポートランドにあるダブルイス動物病院が場所を提供する形で週に一回、行われているという。座談会にはファシリテーター(進行役)がいて、参加者はそれぞれに亡くしたペットの写真を持ち寄って、その子の自慢や、後悔している気持ち、あるいは罪悪感などについて話していく。アメリカではアルコール依存症の治療の一環として、こうしたグループディスカッションの有効性が社会的に認知されているが、ペットロス経験者を対象にしたサポートグループは、まだ珍しいという。
「正直、最初は半信半疑でした。私もアメリカでの生活は長くても、日本人的な感覚が抜けていないので、『まったく見知らぬ人たちに自分の犬が死んじゃった、という話をするなんてヘンだ。本当にサポートになるのかしら?』と思っていましたね。目も腫れちゃって、人にも会いたくないし(笑)。それでも本当にロクに食事もできない状態になっちゃっていたので、ワラにもすがるというか、せっかく友人が勧めてくれたので、騙されたつもりで行ってみよう、と」
 それぞれのペットの写真を手に動物病院の会議室に集まったのは、年齢も性別も経歴もバラバラで、唯一共通するのは愛するペットを亡くした悲しみを抱えているという点のみだ。
「ペットを亡くした時期も最近亡くしたという人もいれば、十数年前に亡くした子のことが忘れられない、という人もいました。参加人数はだいたい五名前後のことが多いようでした」
 座談会の最初にファシリテーターは次のような言葉を述べたという。
「皆さん、本日はよくお越しくださいました。今日は、これから皆さんにペットのお話をしていただくわけですが、誰がどういう感じ方をするかは人それぞれで、『こういう感じ方が正解で、これは間違い』ということはありません。そういう意味では、みんなが正しい。それぞれの方が経験されたこと、感じられたことをみんなでシェアすることで、グリーフワークをサポートしていくことがこのグループの目的です」
 それからファシリテーターが「では、そちらの方、自己紹介からどうぞ」という形で進行し、一人ひとりの話に皆で耳を傾ける。ファシリテーターは、ときに話し手の言葉を反復するように「あなたはこういうお気持ちだったんですね」と受け止めることで、場の空気を整える。
「ファシリテーターは臨床心理士などの資格を持つプロが務めていますが、座談会を通じて、何かアドバイスがあるとか、あるいは専門家が抗うつ剤などの治療方針を示すような場所ではなく、ただただペットを失った人々が集まって、その心境を分かち合う場でした。とくに宗教色もなく、それが私にとっては居心地がよかったですね」
 最初は半信半疑で参加した中田さんも、時間が経つにつれて、気持ちに変化が生じてきた。
「とにかく『わかる! 私もそうだった』という話ばかりなんですね。やっぱりペットを亡くした人は、みんな『なんであのとき病院に連れて行ってあげなかったんだろう』とか『仕事が忙しすぎて、あの子の異変に気付けなかった』という自責の念や後悔の気持ちを抱えていることが多いんです。そういう話を聞いていると、『ああ、自分だけじゃなかったんだ』と思えてきて、それは本当に救われる思いがしました。私自身、最初は知らない
人に自分の悲しみを打ち明ける羞恥心の方が勝っていましたが、その場にいる人たちが本当に共感してくれているのを感じて、悲しみが少し軽くなるような気がしました」

(他にもペット先進国アメリカならではの「ペットロス」への手厚いケアが記されています。つづきはぜひ本書を手にとってみていただけたら幸いです)

目次

第1章 「ペットロス」とは何か?
第2章 最初の〝備え〟は「よきホームドクター」
第3章 実録・私のペットロス
第4章 ペットロスアンケート 45人の「物語」
第5章 最後の〝備え〟は「お別れのセレモニー」
第6章 ペットを亡くしたら花を飾ろう
第7章 アメリカにおける「ペットロス」最前線
第8章 上沼恵美子さんの場合
第9章 壇蜜さんの場合
第10章 悲しみを和らげる方法はあるのか?
第11章 新しいペットを迎える

(プロローグ「号泣する準備はできていなかった」より)
 ペットを飼っている人で、いつか来る「その日」のことを考えない人はいないだろう。自分もそうだった。だが、いざ「その日」を迎えてみると、予想していたはずの衝撃に、ほとんど何の備えもできていなかったことを思い知らされた。
 ミントが亡くなって2日後のことだ。冷蔵庫を整理していた妻が「こんなの買ったっけ?」と手にした「カブ」を見て、反射的に涙が出た。それはあの日、スーパーで買ったカブだった。ミントの食欲が衰え始めたとき、犬用の自然食の製造・販売を手掛けている友人に相談したところ、「『カブのすりおろし』がいいんじゃないかな。そういう状態でも、それなら食べられるという子もいるから」と言っていたのを思い出して、カゴに放り込み、続いて精肉売り場で「大好きな鶏ナンコツなら食べられるかな。それとも目先をかえてラム肉にするか」などと考えていたときに、ミントは旅立ったのだ。この10分のロスのせいで、最期の瞬間に立ち会えなかった──。
 カブを見て泣きながら、そんなことを一気に思い出した。思い出したから泣いたのではなく、身体が勝手に反応して涙が出た、という経験は初めてだった。四十すぎの男がカブを見て、しゃくりあげる姿に自分で戸惑いながら、「これはマズい」と思った。号泣する準備はできていなかったのだ。
 これが「ペットロス」というものなのだとすれば、事前に思い描いていたものとは全く違う。何となく日常生活でミントの不在を感じるたびに寂しくなるのだろうと想像していたが、実際に我が身に起きた心と身体の反応は、自分で制御することが不可能なほど激烈で、空恐ろしい気すらした。
 (略)
 「ペットロス」とはいったい何なのだろうか。その衝撃を和らげる方法はあるのだろうか。そもそも「ペットロス」を乗り越えることは可能なのだろうか。
 疑問は次々と湧いてくるが、インターネットで調べてみても、なかなか自分が必要としている情報には辿り着けなかった。この経験が本書の出発点である。
●伊藤秀倫(いとう・ひでのり)
1975年生まれ。東京大学文学部卒。1998年文藝春秋入社。「Sports Graphic Number」「文藝春秋」「週刊文春」編集部などを経て、2019年フリーに。ヒグマ問題やペットロスなど動物と人間の関わりをテーマに取材している。現在は札幌在住。

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