シェア
文春note部
2016年7月12日 09:00
6 星月優花は、駅前で彼と別れ、一人で歩いていた。 彼女が毎夜、必ず立ち寄る場所へと。 駅を越えた通り沿いにある、成美のパン屋。 その隣に建つ、今治タオルの小売店である。 閉店した店のわき、パン屋との間にある狭い通り道に優花は佇み―― 二階の窓を見上げている。 そこには明かりが灯っていて、彼女の両親がまだ起きていることを示していた。 ここは優花の家だ。 だ
2016年6月30日 09:00
港では、横一列につながれた小型ボートが波に合わせて揺れている。 ボート同士がぶつからないよう挟まれた発泡スチロールの浮がそのたびに擦れ、きゅきゅ、きゅきゅ、と鳴った。「海鳥みたいに聞こえるね」 隣で星月さんがつぶやく。夜の海を背景に、ほんのり青白く浮かんだ丸い頰。 自転車を押しながら、彼女と二人きりで夜道を歩いている。 この時間がずっと続けばいいのに。本気でそう思った。
2016年6月28日 09:00
5 深夜になって、新刊を買っていないことを思い出した。 それを自覚すると、今の気分を紛らわせる刺激がほしくなって、ぼくはすぐに家を出た。 暗い道を自転車で走る。商店街の書店はとっくに閉まっているから、ファミマに向かう。人気作だからコンビニでも置いてるはずだ。今は少し遠回りしたい気分で、ちょうどいい。 港は人影もなく、夜の海が持つ原始の怖さを浮標(ブイ)や建物の灯りがちかりちか
2016年6月23日 09:00
神社の前に自転車をとめた。 部活が終わったあと、ぼくは成美に誘われて三島神社に来た。 自転車に鍵をかけ、成美が先に歩きだす。鳥居の前でこちらに向き、目で促してきた。 ぼくも鍵をかけ、仕方なく急ぎめに追いつく。 対になった狛犬の間を通り抜け、境内までの長い石段に差しかかる。 今日は楽しみにしていたコミック新刊の発売日だから、神社に寄ったりはしたくなかった。 そのことを伝えた
2016年6月21日 09:00
3『今治タオル工場探訪記』『フジグラン、ミスドがやたら強い問題』 ノートパソコンの画面に、記事のレイアウトが表示されている。 ぼくたちは部室で新聞の編集作業をしていた。「写真、このへんか?」「そうね」 いつものように成美と横並びになってソフトを操作していると、「おおー……」 うしろからのぞき込む星月さんがストレートに感嘆する。「すごい、ほんとの新聞みた
2016年6月16日 09:00
ぼくは、星月さんが近くにいないことに気づき、姿を探す。 いた。 ちょっと奥のところで、タオルができていくさまをぼうっとみつめていた。 機械の動作を見張っている作業員さんの前を通り、そばへ行く。「どうした」「あ、うん……」 彼女にしては珍しくあいまいな反応をした。 そのまなざしは、編まれていくタオルから動かない。「こういうふうに作られてるんだなって」「なんかすご
2016年6月14日 09:00
健吾の野球部の休みに合わせて、活動は毎週一度に決まった。 次の週には、今治タオルを作っている工場見学に行った。 記事の目的を説明すると、快く応じてくれた。 大きな部屋で、ぶ厚い駆動音に包まれている。 たくさんの工業機械が一定の早いリズムで動く響きは、大きな船の機関室(エンジンルーム)を連想させた。 緑色のリノリウムの床にタオルの織機が何列も設置されている。各機の上には天井から
2016年6月9日 09:00
聞かれた星月さんは、パンをくわえたまま目を見開く。「忘れてた!」「忘れんなよ」 ツッコむと、彼女は笑いつつ残りのパンを押し込み、口をもこもこさせながら立ち上がる。 それから数歩進み出て、あごを持ち上げるように空へ向き、肩の線を膨らませる。たたんでいた翼がしなやかに広がり―― バサ、バサリッ。 と、空気を地面にぶつけた。芝がなびき、ぼくたちの顔にも音と風が当たる。「おお
2016年6月7日 12:06
2 そして、ミッション兼部活動が始まった。「蓮(はす)って、めっちゃキモいな!」「キモかった!」 健吾と星月さんが共感している。 月曜の放課後、ぼくたちは市民の森を訪れ、その一番の高台に向かっているところだった。「キモいっていうか、グロい」「モネの見方変わる勢いだよね」 睡蓮の作者までディスりだした。 まあたしかに、水面にびっしり集まった丸い葉は何か巨大化
2016年5月31日 09:00
「何が?」「みんな行ってないじゃない、そういうとこ」「まあ、かもな」「そうなのよ。だから行って、体験記みたいに書くのよ」 なるほど。次の新聞か。「『地元の人間が地元の観光地に行ってみた』みたいな」「そうそう。読んだ人が地元を再発見して『今治(いまばり)いい』って思えるような」「出た、地元ラブ」 ぼくのいじりに、成美はただ真面目に困った表情を浮かべた。それでぼくも困っ
2016年5月26日 09:00
それからぼくは、健吾にもこれまでの事情を説明した。「――で、しまなみ海道に行ったのか」「ああ」 ぼくが健吾に答えると、「すごかったですよ!」 星月さんがすっと加わった。 入り方がうまい。積極的なコミュ力。「橋が大きくて目まいがしそうで! 海が広がってて、島が神秘的で、そこの家とか含めて昔話的っていうか、神様いそうだなって! あと展望台やばかった!」「糸山公園?
2016年5月24日 09:00
第3話 好きだからだ 1 ぼくたちは健吾の部屋にいた。 古い木の匂いのする八畳間に絨毯を敷いた部屋には、必要最小限の家具が飾り気なく置かれている。細い本棚には少ないマンガと、もっと少ない小説と、少年野球時代の写真と盾と、一瞬ハマったというプロペラ機のプラモが二機。ぼくにとっては、すっかり見慣れた風景だ。「やー、マジほっとした」 健吾がベッドに寝転んでいる。自分の部屋の気楽
2015年12月17日 10:02
ぼくのクラスには天使がいる。 天使のように可愛いという比喩じゃなく、正真正銘、本物の天使だ。 星月(ほづき)優花というなんだか芸能人みたいな名前をした彼女は、その字面ほどではないけどけっこう可愛く、表情の動きが魅力的で、笑顔はぱっと光るような華があり―― 背中から、大きな白い翼を伸ばしている。 そんな彼女は今の休み時間、ぼくの斜め前の席で女子と屯(たむろ)しながら、 「天使な
2015年12月18日 10:05
第1話 神様いそうだね 1 星月さんがここ、愛媛県今治市の第一高校に転校してきたのは今からひと月前。二学期の初めからだった。 彼女が転校してきた日のことを、ぼくは忘れない。 『星月優花です。よろしくお願いします! ユーカって呼んでください!』 白い翼を持った女子が満面の笑みで黒板の前に立ったとき、ぼくはなんのコスプレだと思って吹き出し、同じ戸惑いを浮かべてるだろうクラスメ