【映画】「大いなる自由」感想・レビュー・解説

これはメチャクチャ良い映画だった。観るかどうかの当落線上の映画で、観ない可能性の方が高かったけど、観て良かった。

しかしこの作品、全体の98%が刑務所内の話で、その刑務所内だけで物語が終わっても「それなりには良かったな」となる作品だったと思う。っていうか、映画のラスト、刑務所外のシーンが始まった時には、「刑務所内の話だけで完結させても良かったんじゃないか……」なんて思ったりもした。しかしこの映画、何よりもラストシーンが素晴らしい。このラストシーンを体感した後で、それまで描かれていた物語すべてを振り返ることで、なんというか、もの凄く「濃い」物語が立ち上がるという印象がある。

しかも、タイトルの「大いなる自由」もメチャクチャ良い。98%が刑務所内の映画なのだから、「自由もくそもない」と考えるのが普通だろう。しかし、映画のラストシーンを体感することで、このタイトルの意味がブワーッと押し寄せてくる。映画のタイトルが内包する意味を僕が捉えきれていないだけのことも多いとは思うが、これほどタイトルと中身ががっちりと結びつき合った作品もなかなかないんじゃないかと思う。

映画を観る前の時点で、「ゲイが法律で禁止されていた時代の物語」ということだけは理解していた。映画を観終えた今、公式HPを観ながらその辺りの情報を少し詳しく書いておくと、物語の舞台はドイツで、1871年から1994年まで「ドイツ警報175条」と呼ばれる法律が存在した。これは「男性同性愛を禁じる刑法」であり、映画で描かれる主人公は、25年弱の間に恐らく計6年ほど刑務所に収容されていた。ちなみに、女性同性愛はその存在さえ否定されていたため違法と明記されなかったそうだ。男性のみを対象とした刑事罰というわけである。

さて、そんな情報だけを知っていたので、映画ではもう少し、この「175条」が前面に描き出されるんじゃないか、と思っていた。つまり、「175条に対する怒りや憤り、あるいはそれを撤回するような行動」が作品のメインとして描かれるんじゃないかと考えていたというわけだ。

しかし、その予想は良い意味で大きく外れた。映画を観ながらしばらくの間、この作品が一体何を描こうとしているのか全然理解できなかったが(冒頭から中盤ぐらいまでは、ゲイを理由に収監された主人公の悲嘆な境遇がメインで描かれていく)、中盤からラストに掛けて徐々にその輪郭が明らかになっていき、ラストシーンで一気に浮かび上がってくるような感じがとにかく絶妙だった。セリフは少ないし、物語を大きく動かすような起伏もほとんどない物語だが、静かに、淡々と展開される物語は、観る者を圧倒するんじゃないかと思う。

ざっくりと、物語の設定について説明しておこう。この映画は、主人公ハンス・ホフマンを軸に、3つの物語を描く物語である。

まず描かれるのは1968年。175条を理由に逮捕されたハンスは、刑務所内でヴィクトールと再会する。「俺のことが待ち遠しかったか」「お前のナニがな」という会話から、ヴィクトールのこともゲイなのかと勘違いさせる造りになっているが、実はそうではない(みたいなことは書いてもいいだろう)。ハンスは、中庭でちょっとしたトラブルを起こし、懲罰房へと入れられるが、「勝手知ったる」と言った感じで大人しく収監される。

続いて、1945年に遡る。ハンスが初めてヴィクトールと出会った年だ。その後1957年の描写が続き、後は1945年・1957年・1968年の3つの時代が時系列が錯綜する形で描かれていく。最初こそ、画面丈夫に「1968年」「1957年」と表記されるが、その後その表記はなくなる。しかし、それぞれの時代で、ハンスとヴィクトールの風貌や刑務所内の雰囲気が変わるため、観客がどの時代の物語なのか悩むようなことはまずないだろう。

さて、当然だが、「ハンスがゲイである」という事実は、物語の中で重要な要素として扱われる。それは「ハンスが175条で逮捕され刑務所に収監される」という理由だけではない。刑務所内においても、ハンスの性的嗜好が物語において重要な役割を演じる。

そしてその部分ももちろんとても良い。特に、1957年で描かれる物語を知った上で、改めて1968年の物語を思い返すと、ハンスの「人間愛の深さ」みたいなものが大いに感じられる。1968年の物語だけでは理解できない部分が、1957年の物語を知ることで分かってくる。そしてそのことによって、ハンスの「こんな風に生きなければならない」という覚悟や信念みたいなものを実感させられるのだ。その辺りの描写も実に良い。

感想を書く段階になって、自分が書いたメモを読み返していた時に、ふと思い出したシーンがある。正確には覚えていないが、たぶんそれは1968年のものなんじゃないかと思う(そうじゃないと、僕の仮説は成立しない)。確か、ハンスが聖書を真剣に見つめているような場面があったと思う。映画を観ている最中には気づかなかったけど、もしかしたらあれは「届くはずのない返信」を読んでいたってことなんだろうか?大したシーンじゃないと思ってあんまり記憶に残ってないんだが、もしそうだとしたらメチャクチャ良いシーンだと思う。こんな風にこの物語では、「後の時代の出来事を先に描くため、その時には何を描いているのか分からないシーン」が多いと思う。きっと僕も、まだまだ気づいていないものがあるだろう。

しかし、最終的に映画で最も重要になってくるのが、ハンスとヴィクトールの関係である。これがまたとてもいい。

先程書いたが、ヴィクトールはゲイではない。なんなら、1945年にハンスと同室であることを知ったヴィクトールは「変態と同じ部屋は御免だ」と言ってハンスを追い出そうとしたほどだ。部屋の前のネームプレートには、名前と共に「175条」など、収監理由となった法律の番号だけが書かれている。犯罪者だからと言って、すべての刑法を理解しているわけではないだろうが(それを示唆する場面も後に描かれる)、恐らくドイツにおいては「175条と言えば変態」という強い認識があったのだろう。そんなわけで、ハンスとヴィクトールの出会いは最悪だった。

1945年こそ、2人は相部屋だったので関わる時間は長かった。しかし、1957年と1968年はそうではない。刑務所内なのだから、囚人同士が深く関わるようなイベントもそうそう起こらない。ヴィクトールとしても、「ハンスと一緒にいるところを他の奴に見られて、ゲイだと思われたくない」みたいな気持ちがあるので、積極的に関わろうとはならない。

普通には関係性が交わるはずがない。

しかし、「(理由は不明だが)刑期の長いヴィクトール」と「刑務所内でもゲイとしての愛を貫こうとするハンス」というお互いの性質が巡り巡って上手く合わさり、結果として彼らは、なんとも名付けようのない関係性へと進んでいくことになる。

この関係がメチャクチャ熱い。

もしも、「ゲイの映画かー」と思って観るのを躊躇しているひとがいるなら、是非観てほしい。確かにゲイの話ではあるのだが、本質はそこにはないからだ。BL的に表現するのなら「ゲイとノンケの物語」であり、さらに言えば、「自由とは何か?」を問う物語だからだ。ハンスの視点で当時の世界を目にした時、「本当の自由」は一体どこにあると感じられるのか。そして、自分ならどの「自由」を追い求めたいか。そんな風に問われているのである。

印象的なシーンは色々とあるが、やはり「懲罰房」のシーンは一番驚きだった。なにせ、主人公が懲罰房に入れられている間、ただの真っ暗な映像が続くからだ(タバコに火をつけたり、ドアに付いた窓が開いて外の光が入る、みたいな場面もあるが)。一般的には、暗い青色みたいな照明にして、主人公の表情なんかを捉えたりするような演出が多いんじゃないかと思うが、この映画では「光のないところは何も映さない」という潔さを貫き通している。そしてそのことが、なんとなく、ハンスという人物の「頑固さ」をさらに強調しているような感じもあってよかった。

あと、これは僕が深読みし過ぎているだけかもしれないが、全編ほぼドイツ語で展開される映画の中で、確か一箇所だけ英語(字幕の日本語が通常の表記ではなく、<>付きだったのでそう判断した)のシーンがある。普通に考えたら、英語である必然性のないシーンだ。となると、もしかしたらだが、これは「ハンスには英語に聞こえた」という演出ではないかと思ったのだ。

英語のシーンについては詳しく触れないが、ハンスにとってこのシーンは「自由」と直接的に結びつくシーンである。そして、そんな「自由」を象徴するかの如く、彼の耳には英語に聞こえた、みたいな演出だとしたら、「自由」について問う映画全体のテーマとも合うと思うのだが、さすがに考えすぎだろうか?

とまあこんな風に、色々と深読みしたくなる作品である。先程も書いたが、静かに淡々と描かれていくために、「何が描かれている」のかに気づかないことが多いかもしれない。恐らく僕も、全然気づいていないような描写がたぶんあるだろう。刑務所内という、舞台設定も人間関係もドラマ性の設定もあらゆる点で制約を受ける物語において、これほど深く考えたくなるような物語を組み立てられるのは見事だと思うし、それを役者たちがとても見事に演じているので、とにかくグッと来る。

ホントに、良い物語を観たなぁ、という感じである。

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