【映画】「映画はアリスから始まった」感想・レビュー・解説

メチャクチャ面白い映画だった。映画史を辿るだけ、と言ってもいい内容の映画なのに、何か感動さえ覚える作品だった。

映画の歴史は、リュミエール兄弟から始まったことはよく知られているだろう。1895年12月28日、グラン・カフェの地下で上映されたのが、歴史上最初の映画上映だとされている。リュミエール強打はシネマトグラフという装置を開発したが、同じ頃、発明王のエジソンが、同じような仕組みを持つキネトスコープを開発したことも有名だと思う。映画史と言えば大体この辺りから語られるだろう。

では、アリス・ギイという女性のことはご存知だろうか? ほとんどの人が、まず知らないと思う。僕も、この映画を観るまでまったく知らなかった。それもそのはずで、この映画を制作するに当たって、監督がハリウッドの監督・脚本家・役者など様々な人物に「アリス・ギイを知っているか?」と聞いて回ったが、そのほとんどが「知らない」「聞いたこともない」という回答だったのだ。

しかし、この映画のタイトル『映画はアリスから始まった』の通り、映画史はアリス・ギイの存在抜きに語ることはできない。フランスで生まれ育ったアリスは、後にゴーモンという映画会社で映画製作を開始する。当時フランスには、「パテ」と「ゴーモン」の2社しか映画制作会社が存在しなかったが、ゴーモンの初期の映画をすべて撮ったのがアリスなのだ。彼女は、自ら脚本を書き、監督として映画製作のすべてに携わった。そしてその後アメリカへと移り、ソラックス社を立ち上げ、ここでも数多くの映画を製作した。後に映画製作がハリウッドへと拠点を移すが、その前に映画製作会社が集まっていたのがフォートリーであり、そのフォートリーに最も早くからいたのがアリスのソラックス社だったのだ。米仏での20年間のキャリアの間に1000本以上の映画を制作し、「クロースアップ」「着色」「音の同期」「二重露光」など様々な技術を開発した人物でもあるのだ。

そんな人物が、今では映画界から忘れられている。ある人物が映画の中で、

【アリスは、自分が作った業界から忘れられた】

と表現していた。実に印象的な言い方だ。今の時代で言えば、女性ではないので喩えとしては適切ではないが、ビル・ゲイツやスティーヴ・ジョブズの存在が忘れ去られているようなものだろう。

この映画の監督は、女性映画監督の歴史について調べる中で、初めて「アリス・ギイ」という存在を知り、その生涯を知るに連れて、「どうしてこれほどの重要人物が忘れられているのか」と驚愕した。そこで、僅かな資料や手がかりから、関係者の子孫を探し出したり、重要な資料を持つ人物にアプローチし、その実態を少しずつ明らかにしていく。映画は、監督の調査のパートの合間合間に、アリス・ギイ本人の肉声が差し挟まれる形で展開する。この音声は3種類存在し、内2つは映像だ。映像については、いつどんな状況で撮られたものなのかという説明がなされなかったが、1959年と1964年に撮られたものであることは表示される。アリスは1968年に亡くなったので、映像は彼女の最晩年の頃ということになる。

もう1つは、録音された音声だ。この音声が録音された経緯が非常に面白い。確かベルギー出身の映画史研究家が、偶然アリスの隣人になったそうなのだ。彼はアリスの存在と経歴を知り、その記録をしなければならないと思い立って、1963年から1964年に掛けて彼女にインタビューを行ったのだ。監督の調査で、その映画史研究家の子孫が見つかり、無事音声テープが発見されたというわけだ。

こんな風にして、まとまった資料がほとんど存在せず、全米中に散逸しているものを、監督が地道に集めていく。その集める過程と、アリス・ギイの生涯が、映画の中で描かれていく。あのヒッチコックがアリスの映画を絶賛するような文章を認めていたり、『戦艦ポチョムキン』の監督セルゲイ・エイゼンシュテインも彼女の映画に言及している。アリスの映画には、タイトルを書き留めるのを忘れてしまったが、「服装なそのままで、仕事などの役割が男女逆転している作品」がある。女性がカフェで政治について議論し、男性が家でミシンを使っているという感じだ。そしてエイゼンシュテインが著書の中でその映画について言及しているそうだ。8歳の時に観たその映画が印象的だったのだろう。映画に登場したロシアの映画史研究家は、「アリスの情報を知らせてもらって、ようやくこの記述の意味が理解できたよ」と、監督に感謝していた。

ある映画監督は、「アリスの映画を観た映画監督は全員同じことを考えると思う。『どこをパクろう』って」と語っていた。別の人物は、「構成や演技など、現代の映画と変わらない」とも言っていた。「魔法のようで、感情を駆り立てられる」と語る人物もいた。映画には、あちこちに散逸していたアリスのフィルムの一部が流れるのだが、確かに今の映画とさして変わらないように感じた。とても1900年代前半に撮られたとは思えない。

アリスはソラックス社のスタジオのあちこちに、自身のスローガンを掲示した。それが「Be natural」である。とにかく役者に「自然な演技」を求めた。「ポーズを取ることが演技だった時代に、自然な演技を貫いたことは偉大だ」と語られていた。だからこそ彼女の映画は古さを感じさせないのだろう。「反骨心や創造性のレベルが高い」と語る者もいた。アリスは、「初めての女性映画監督」というだけではなく、そもそも「フィクションの映画を最初に作った人物」なのだ。そんな先駆者が、成熟した現代の映画界においても通用するレベルの映像を作り続けていたことに驚かされる。

にも拘わらず、フランスでは今も、映画学校でアリス・ギイのことを教えないというのだから驚かされる。

全然話は変わるのだが、僕は最近、「僕らが知っている日本のサザエは、実は”新種”だった」という驚きの事実を知った。詳しい話は以下のリンク先を読んでほしいが、ざっくり書くと、「250年前に発見された、僕らがよく知っているサザエは、色んな誤解や勘違いの結果、『有効な学名を有していない』と判明した」というのだ。2017年に岡山大学の研究者が学名を申請する論文を提出したそうで、それが最近ツイッターのまとめとして話題になっていたので読んだ。映画『日本のいちばん長い日』がきっかけだったというエピソードに驚愕させられた。

この『映画はアリスから始まった』も、このサザエの話に近いイメージがある。映画史における重要人物が、歴史上から綺麗さっぱり消えてしまっているのだ。この映画の主たる問いは、「何故アリスは忘れ去られたのか」であり、その点については、断言こそしないものの映画の中で様々な示唆がなされる。そこにはもちろん、アリスが女性であるという事実も大きく関係しているのだが、夫にも問題があったように感じられた。

夫のハーバートは、ゴーモンのカメラマンだったが、アリスとの結婚の後、ゴーモンが彼をアメリカに派遣することに決め、アリスはゴーモンを退社してアメリカへ渡った。その後アリスはソラックス社を設立し、後に夫がソラックス社の社長になるのだが、戦争で経営が厳しくなり、スタジオを他社に貸すようになる。既に夫婦関係は悪化しており、アリスは子どもたちとニューヨークへ、そしてハーバートは映画製作が盛んになり始めたハリウッドへと向かった。

さて問題はここだ。この時ハーバートが連れて行ったのが、ゴーモンでのかつての部下だったロイス・ウェバーであり、彼女はハーバートの愛人だった。調べてみると、ロイスもフィリップス・スモーリーという人物と結婚していたようで、アリスは彼女のことを「スモーリー夫人」と呼んでいた。ダブル不倫というわけだ。

そしてこのロイス・ウェバーこそ、「初めての女性映画監督」とされている人物なのである。アリスも手紙の中で、「女性初の映画監督はスモーリー夫人ではありません」と反論している。この辺りの事情も、映画史からアリスが抹殺された理由なのではないかと、この映画では示唆されていた。

ゴーモンの社史では、アリスにも執筆依頼が来たにも拘わらず、アリスが監督した多数の作品が別の人物のものだと書き換えられていた。アリスが抗議すると、「再版時に直す」と約束したものの、その約束は果たされなかった。サドゥールという超大物の映画批評家が映画史に関する本を執筆したのだが、文献にしか関心を持たない研究者の常として、アリスの話を聞くこともなく本が出版され、やはりアリス監督作が誤ったままになってしまう。生前には、回想録の出版をあらゆる出版社に断られ、死後8年経ってようやく回想録が出版されるも、映画史におけるアリスの貢献を疑う声の方が大きいような状況だったそうだ。なんとも悲しい生涯だと言える。

さて最後に、そんなアリスがどのように映画製作に足を踏み入れていったのか、その最初の歴史に触れて終わろう。

1873年7月1日、ギイ夫妻5番目の子としてパリ郊外で生まれたアリスは、チリ出身の父親が事業のため帰国したため、スイスの祖母の元で育てられた。1876年に家族でチリに戻ったギイ一家は、父が出版事業、母が慈善事業を行いながら生活を続ける。1885年に長男が亡くなった後、一家は再びパリへと戻る。そして、3人の姉が家を出て、父親が亡くなり、母マリとアリスだけが残った。

アリスは、フォトグラフィ商会が秘書を募集していると知り、応募しようと向かうが、その日は社長が不在だった。技師のゴーモン氏ならいると言われ、秘書を申し込む。重要な仕事だから、あなたは若すぎると反対されたが、アリスは「どうか試験してください」と頼みこみ、無事秘書として採用された。

さて、リュミエール兄弟が歴史上初めて映画を上映した9ヶ月前の3月23日、ゴーモンとアリスは全国産業奨励会で白いスクリーンを眺めていた。リュミエール兄弟が、一般公開に先立って内々で映画上映を行ったのだ。実はゴーモンたちも映画製作のための機械を制作中だった。ジョルジュ・ドゥメニという人物が持ち込んだ器械を、科学者であるゴーモンが目に留め、その将来性を感じ取っていたのだ。しかし、彼らが知らないところで映画製作の機械は製作されていたのだ。

しかし、リュミエール兄弟の映像を観て、アリスはこんな風に思う。

【記録するだけの映像は退屈。
映画で物語をつくったらどうかしら……】

そのアイデアをゴーモンにしたところ、「確かに女性に向く仕事だろう。ただし、業務の妨げにならないように」と許可をもらう。こうして彼女は、脚本作りや監督業のノウハウなどまったく存在しないところから、初監督作品『キャベツ畑の妖精』を完成させた。興行的に大成功を収め、彼女は超人的なスピードで映画を作り続けていったのである。

ある人物が興味深いことを言っていた。初期の映画界には、女性監督が多かった。そして、当時の批評には、「映画を女性が作っていること」に関する言及がなかったというのだ。それはつまり、「女性が映画を作ること」が当たり前だったことを示唆している。いつの間にか映画界も「男のもの」になってしまったが、アリスに限らず、最初期の映画界は女性が担っていたというわけだ。

アリス・ギイの存在は、まさに映画史を塗り替えるものだと言っていいだろう。そんな存在が、完膚なきまでに忘れ去られてしまったという現実に、驚かされてしまった。

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