【映画】「キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性」感想・レビュー・解説

これは面白い映画だった。

「キャスティング・ディレクター」という正直初めて聞いたと思う。いや、耳にしたことぐらいはあるかもしれないし、聞けばどんな仕事なのかもざっくりとは想像できるわけだが、しかしこれほど重要な仕事だとは思わなかった。

「キャスティング・ディレクター」とはその名の通り、映画やドラマの配役を考え、役者を手配する仕事だ。そしてこの映画では主に、「キャスティングの仕事を一変させた」と評価されるマリオン・ドハティという女性の仕事が紹介される。

さて、マリオンについて触れる前に、まずは僕が「映画などの配役」についてどんなイメージを持っていたのかを書いておこう。

当然だが、映画が様々な要素で成り立っていることは知っている。音楽・衣装・美術・CGなどなど様々なものが映画には不可欠だ。

ただ、その中でも「配役」というのはとんでもなく重要なものだ、と認識している。どれだけ音楽や衣装があったところで、役者がいなければ成立しないからだ。だから、そんな重要な「配役」という仕事は、基本的に「映画監督」が実質を担っている、と僕は勝手に思っていた。もちろん、すべてを映画監督がやるのは無理だろうが、「配役」における非常に重要な部分は、「映画監督」の仕事だと思っていたのだ。

しかしこの映画を観て、そうではないことを知った。そのことを象徴的に語っていたのが、映画監督のウディ・アレンだ。彼ははっきりと「キャスティングは嫌い」と言っていた。そもそも人見知りだし、スター俳優がオーディションに来ると萎縮するし、同じくらい有能な俳優たちから1人だけを選ぶのも気が引ける、と。全員ではないだろうが、「俳優を選ぶのは得意じゃない」と考えている映画監督は多いそうだ。

だからこそ「キャスティング・ディレクター」が重要なのだ。

映画には、映画監督や俳優などに全然詳しくない僕でも当然名前を知っているような有名な人たちが、口々にマリオンの仕事を称賛していた。

【映画製作のパートナーだと思う】

【手掛けた映画の量と質に圧倒される。どれも、アメリカ文化を語る上で外せない映画ばかりだ】

【マリオン・ドハティはキャスティングを革新した】

【マリオンのキャスティングは芸術だ】

マーティン・スコセッシは映画の冒頭で、

【映画の9割以上はキャスティングで決まる】

と、彼女の仕事を絶賛していた。

しかし、それほど重要性が認識されている存在であるのに、マリオンを初めキャスティング・ディレクターは「過小評価」されてきた。

確か『真夜中のカーボーイ』だったはずだが、マリオンは主演にジョン・ヴォイドを推した。当時はまだ無名で、しかも、かつてマリオンのお陰でテレビの仕事をもらった際に酷い芝居をしてしまっていた。それでもジョンはマリオンに直談判し、マリオンは「過去は過去よ」と言ってジョンを推した。ジョンはこの時のマリオンの決断について、

【マリオンの度胸は凄い】

と言っていた。それほど彼には、実績もなければ、分かりやすく推せる部分もなかったのだ。

実際、オーディションでも、制作側が高評価をつけていた別の俳優が良いとなり、ジョンは選ばれなかった。しかし、主演に決まっていた俳優のスタジオが、2週間後のリハーサルを拒否するという事態になり、オーディションを再考する必要に迫られた。マリオンはもちろんジョンを推す。そんな風にして、『真夜中のカーボーイ』はジョン・ヴォイド主演で決まり、アカデミー賞の作品賞他、様々な賞を受賞する作品になった。

しかし、この映画のキャスティングに、マリオンは単独でクレジットされなかった。他のアシスタントと同列だったのだ。彼女はこの時点で既に、映画業界には欠かせない存在として認識されている人物だったし、彼女自身の認識でも、自分はクレジットされて然るべきだと考えていた。そこで監督にそう申し出るのだが、監督は「それは無理だ」と答えた。そこでマリオンは「だったら私の名前は外してほしい」と伝え、監督は実際に彼女の名前をクレジットから一切排除したそうだ。マリオンはこの時の出来事について、

【私のキャリアにおいて最悪の出来事】

と語っていた。映画には、『真夜中のカーボーイ』の監督も出演しており、

【今考えれば、彼女を単独でクレジットすべきだった。45年間、そのことを後悔している】

と言っていた。

マリオンは、1949年にテレビの世界でキャスティングの仕事を始め、その後映画界でも知られる絶対的な存在だったが、それでも、映画のクレジットに彼女の名前が初めて単独で表記されたのは、『真夜中のカーボーイ』から3年後、『スローターハウス5』でのことだったそうだ。

クレジットの話で言えば、マリオンが初めに関わったテレビの世界でも問題があった。キャスティングの仕事を初めて8年、500話以上のドラマのキャスティングの手掛けても一度もクレジットに名前が乗らなかったが、1960年に始まった伝説の刑事ドラマ『裸の町』で初めてマリオンの名前がクレジットされた。

しかしその2週間後、問題が起こる。全米監督協会からクレームが入ったのだ。『裸の町』でマリオンは「キャスティング・ディレクター(配役監督)」と表記されたが、全米監督協会から「”監督”という表記」はおかしいと指摘されたのだ。

映画には、全米監督協会の会長だろう人も出てきて、自説を述べていた。曰く、映画において「監督」は基本的に1人だ。「撮影監督」という表記もあるが、実質は「撮影技師」であり、本来は「監督」という表記は納得しがたい。「監督」というのは、現場のスタッフを取りまとめる重要な役どころだ。「監督」と表記したいなら、全スタッフをまとめあげるべきだ。そういう主張だった。

そういう問題があったからなのだろう、映画のクレジットでは「Casting by」という表記がなされるようになる。

この全米監督協会は、別の場面でもマリオンの邪魔をしている。アカデミー賞には、編集賞・脚本賞などなど様々な部門が存在するが、「キャスティング賞」は存在しない。テレビのエミー賞にはあるが、アカデミー賞にはないのだ。その理由は、全米監督協会が反対しているからだそうだ。

同じく全米監督協会の会長だろう人が、「配役は最終的に監督が決めている。だからキャスティングに賞を与えるのはおかしい」と主張していたが、映画の中では様々な人物が、「編集・美術・衣装だって、それぞれが案を出し、最終的に監督が決定しているのだから同じだ」と主張していた。僕もそう思う。しかし結局アカデミー賞では、「監督と役割を明確に線引きできない」という理由でキャスティング賞の創設を見送っている。

また、1991年に、マリオンにアカデミー賞の特別賞を与えようという動きが生まれた。様々な監督や俳優が、マリオンの表彰を支持する手紙を書いたが、結局マリオンの受賞は見送られることになった。

マリオンは、自ら事務所を作り、そこで女性だけを雇い、自身のキャスティングの能力を惜しげもなく継承しており、この映画にはその薫陶を受けた女性たちも多数登場する。その1人が、「未だに私たちは秘書と同じように思われている」と語っていた。

ただこの発言は、現在に至る変遷を踏まえたものでもある。「キャスティング・ディレクター」は、マリオンが登場するまでまったく重視されていなかったが、マリオンが革命を起こし、その重要性が認識されるようになった。しかし現在再び、「キャスティング・ディレクター」の仕事が過小評価されているのである。

そこには、「映画が巨大産業になったこと」が関係している。

マリオンのキャスティングが「芸術」と呼ばれているのは、「演技力のある俳優の素質や適正を見抜き、さらに脚本の意図を正確に理解し、ぴったりの俳優を紹介するから」だ。彼女はそもそもどんな映画でも、1つの役に対して2~3人しか紹介しないそうだ。そう語っていたマリオンの弟子の女性の口ぶりからすると、人によっては1つの役に10人以上推薦することもあるそうだ。

さらにマリオン自身が語っていたのが『スティング』のエピソード。この時は、1つの役に対して1人しか紹介しなかったそうだ。ある人物はこの仕事を「驚異的」と評していた。『スティング』の監督は、アカデミー賞の授賞式で、「こんなメンバーが揃ってるんだから傑作になるに決まってる」と口にした際、マリオンの名前も含めた。マリオンはこの時のことについて、「キャスティングに言及してくれて嬉しかった」と語っていた。

しかし、映画が巨大産業になったことで、配役の基準が「創造性」から「利益」に変わってしまう。とにかく、演技ができるかどうかなど関係なく、見栄えの良い者たちばかりが映画に出るようになっていったのだ。脚本の質も下がり、マリオンに求められることも変わっていく。

ある人物が、マリオンから電話を受けた歳のエピソードを語っていた。タイトルは忘れたが、マリオンはある映画の配役をやるように言われ、自身のキャリアを振り返って泣き始めたそうだ。

【名作が並ぶ実績に、こんな作品を加えたくない】

と。

マリオンは結局、業界の変遷の流れの中で求められなくなり、50年以上続けたキャスティングの仕事を突然奪われてしまうのだった。

「配役」という観点から考えた時、現在の映画界は、マリオンが仕事をスタートさせた時と同じような状況にあると言っていいだろう。かつてのハリウッドも、「見た目」だけで配役が決まっていたのだ。

そもそも、創成期のハリウッドでは、スタジオ毎に俳優が契約しており、「配役」は所属俳優のリストから誰かを選ぶだけの仕事だった。「配役」に重要なのは、見た目から判断される「タイプ」であり、医者の役が当たれば医者ばかりやらせる、というような状態だったという。ある人物は当時のハリウッドの役者について、

【映画スターではあったが、役者ではなかった】

とシンプルに表現している。

もしもマリオンが、ハリウッドでキャリアをスタートさせていたら、今のような革新を起こすことはなかっただろう。

マリオンは大学時代に演劇に興味を持ったが、役者になるのは大変だと知り、とりあえずニューヨークで百貨店のディスプレイの仕事に就いた。その2年後の1949年、大学の友人がテレビで配役の仕事をやることになり、彼女はそのアシスタントをすることになったのだ。

創成期のテレビ局の多くはニューヨークにあった。そして当時ドラマと言えば、生放送だった。当時を知る役者は、「毎日が舞台の初日のようなものだった」と語っていた。

働き始めてから4ヶ月後、マリオンはキャスティングを任されるようになり、良い役者を見つけようと劇場へと足を運んだ。当時はオフ・ブロードウェイやオフオフなどが始まった頃で、マリオンはテレビの世界に優れた舞台俳優を次々に送り込んだ。マリオンは、後に名優となる役者の初配役に多数関係している。ジェームス・ディーンをドラマに初めて起用した際、遅刻したせいで監督から「別の役者を寄越せ」と怒鳴られたそうだ。しかしマリオンはジェームスに遅刻しないよう言い聞かせ、監督も説得、ジェームス・ディーンをスターにするきっかけを作った。彼女のキャリアには、こんな話は事欠かない。

1960年に『裸の町』が始まると同時に、『ルート66』もスタートし、彼女はこの2作品の配役をやってのける。映画の中で誰かが、

【この2作品の配役をやっていたというだけでも凄い。役者と出演交渉し、予算内で配役を揃えるだけでも相当なものだ。さらに、その役者たちのレベルが驚異的なのだから、マリオンの仕事は凄まじい】

と言っていた。

その後1950年代に入ると、映画産業が徐々に破綻、スタジオが立ち行かなくなっていき、俳優もスタジオと契約ではなく独立するようになっていく。そのような時代に注目されたのがUAという映画製作会社だ。「予算さえ守れば一切口を出さない」というスタンスであり、だからここに大勢の有能な監督が集まった。

そしてそんな独立系の作品だからこそ「キャスティング・ディレクター」はこれまで以上に重視されるようになる。このタイミングでマリオンは映画の世界へ飛び込み、二度とテレビの世界には戻らなかったそうだ。

マリオンのエピソードで印象的だったのが『リーサル・ウェポン』に関するものだ。この映画に関してスピーチを行った監督は、「マリオンの配役によって人生が変わった」と語っていた。

主演の1人であるメル・ギブソンは、それまで3度映画に出演したことはあるが「鳴かず飛ばず」と言った感じで、全然注目されていなかった。メル・ギブソン本人も出演しており、彼は「俳優は辞めて、有機野菜でも作ろうと思っていた」と語っていた。

しかしマリオンがメル・ギブソンに脚本を渡し、もう一度やってみるかと考えてリックス役を引き受けたそうだ。

しかしより印象的だったのは、リックスとバディを組むマータフの配役だ。マリオンはこの配役に、黒人のダニー・グローヴァーを推した。

これに監督は驚愕したという。何故なら、脚本では「黒人」と指定されていたわけではなかったからだ。その戸惑いをマリオンに伝えると、彼女は「黒人だから何?」と強気に返してきたという。マリオンは、メル・ギブソンとの対比で彼が映えると考え、「黒人」の俳優を推薦したのだ。

この時の出来事について監督は、

【私は偏見から、書かれていないことを見落としていた】

と語り、人生が変わったとマリオンを称賛していた。

誰かが「キャスティング・ディレクター」の仕事についてこんな風に言っていた。

【偉大な監督のほとんどが、キャスティング・ディレクターに感謝していると思う。知らない俳優を連れてきてくれて、時には背中を押してくれるんだから】

映画がどんな風に作られているのか全然知らない僕のような人間には、そもそも「キャスティング・ディレクター」という仕事すら見えていなかったし、当然その重要さなんてまったく理解できていなかった。しかし、この映画を観て、確かに「キャスティング・ディレクター」が存在しなければ素晴らしい映画には成り得ないということが理解できた。

そして、マリオンが築き上げた、芸術とまで評された「キャスティング」が、現在の映画では再び過小評価されてしまっている、という事実も非常に残念ではある。

公式HPによると、そもそもこの映画は2012年にアメリカで公開されたものだそうで、この映画公開後、アメリカのアカデミー賞にもちょっとした変化はあったそうだ。また2019年にイギリスのアカデミー賞がキャスティング部門を新設したことも話題になってるそうだ。

映画ではそのような言及はさほどなかったが、やはりマリオンが女性だったから評価されなかった、という側面もきっとあったのではないかと思う。もし「キャスティング・ディレクター」の先駆者が女性ではなく男性だったら、歴史はもう少し変わっていたかもしれない。そんな風にも思わされてしまった。

僕でも名前を知っているような有名映画の実際の映像が多数組み込まれ、僕でも名前を知っているような有名な俳優のデビュー当時の姿から、マリオンの功績を称える現在の姿まで様々に映し出される作品だ。そういう意味でも貴重な作品と言えるかもしれない。



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