【映画】「映画 ◯月◯日、区長になる女。」感想・レビュー・解説

なかなかおもしろい映画だった。何よりワクワクしたのは、区長選の結果だ。まさか187票差とはね。

というわけで僕は、杉並区長選の結果も知らず、候補者である岸本聡子のことも知らず、もちろん杉並区民でもなくこの映画を観た者である。

さて、内容に触れる前に、この映画の人気っぷりについて触れておこう。

1/2に公開された映画なのだが、元々は公開直後に観る予定だった。しかし、満席でチケットが取れず。その日が、ポレポレ東中野のサービスデーだったので、それで取れなかったのかなと思い、今度は1/13(土)に観ようと思い、前日の1/12(金)の夜にチケットの確認をしたら、1/13の昼の分は完売。ならばと、翌1/14(日)の昼のチケットはと見ると、残ってはいたのだけど最前列のみ。というわけで、久々に最前列で映画を観た。たぶん、『マッドマックス』を観た時以来の最前列だなぁ。

というわけで、なんかメチャクチャ混んでる。選挙の応援に関わった人たちが観に来てるのかなぁ。現時点ではポレポレ東中野のみの公開のようで、2月から順次各地での公開も決まっているようだが、とにかくポレポレ東中野の座席はどんどん埋まっていくので、観ようと思っている方は早めに予定を決めてチケットを取るのが良いだろう。

さて、本作の監督は、劇作家のペヤンヌマキである。恐らく、初映画監督作品だろう。映画の世界にはたぶん絡んでこなかった人だと思うのだが、どうしてそんな人が「選挙」の映画を撮ることになったのか。まずはその辺りの事情から説明していこう。本作の冒頭では、まさにその「ペヤンヌマキが本作を撮ることになったきっかけ」が紹介されている。

杉並区に20年以上住んでいる彼女は、近くを流れる善福寺川周辺に広がる緑地や、近所にある小道沿いの木など、自然豊かな住環境に惹かれて、なかなか杉並区から引っ越せないでいると言っていた。そんな彼女が3年前体調を崩し、近くにある成宗診療所に足を運んだことがすべてのきっかけだった。

彼女はそこで、杉並区で今「133号線」という新しい道路建設が進行しかけているという話を知る。まさにその診療所は、その道路計画で移転を余儀なくされる場所に建っており、「この計画に反対するための署名」みたいなものが置かれていたのだ。彼女は20年間杉並区に住んでいたが、そんな話はまったく知らなかった。

近所の診療所が立ち退きの可能性があると知った彼女は、その133号線の計画について調べることにした。すると、まさに彼女が気に入っている善福寺川緑地や小道の木を潰して道路を作るという計画だったのだ。ギリギリ彼女の家そのものは対象の区画から外れていたが、「これは由々しき問題だ」と初めて彼女は状況を理解する。

そうして彼女は初めて、「区政」というものを調べてみることにした。すると、どうやら国と杉並区が、市民にあまり物事を知らせないようにして道路計画を進めていることが分かった。さらに、問題は133号線だけではない。杉並区内だけでも、向こう10年の間に10本の道路計画が存在し、商店街を潰したり、住宅街をぶち抜いたりして道路を作ろうとしていることが分かったのである。

これは大変だ。そう感じたペヤンヌマキは、その調べていく中で、「住民思いの杉並区長をつくる会」という市民団体の存在を知る。どうやら以前から、杉並区の様々な問題について市民運動を展開していたようだ。ただ、「杉並区長をつくる会」と銘打っていたものの、肝心の区長候補は見つかっていなかった。その時、区長選まで2ヶ月弱というタイミングである。ペヤンヌマキは、このままでは3期12年区長を続けた田中良が再び区長になり、道路計画がそのまま進んでしまうとヤキモキしていた。

するとある日、区長候補が決まったことを知る。それが、つい先日までアムステルダムに住んでいた岸本聡子である。内田聖子という、岸本聡子と20年来の関わりがある人物の仲介で杉並区長候補への打診があり、10日ほど悩んだ後、立ち上がることを決意したのだそうだ。

ペヤンヌマキは、岸本聡子がどんな人なのかも知らない状態で、「杉並区長候補」として街頭演説をする岸本聡子の元へと出向き、チラシ配りを手伝った。さらに、岸本聡子本人とも直接話す機会があったので、「選挙を盛り上げたいので、動画を撮ってSNSに流したい」と自ら申し出たのだそうだ。

そうして生まれたのが本作『◯月◯日、区長になる女。』である。

映画は基本的に、「公示日前からの街頭演説などの活動、そして公示日以降の選挙戦」を軸に据えつつ、その合間合間に「岸本聡子という人物」の断片が窺えるような描写が挟み込まれる、というような形で展開されていく。そしてやはり個人的には、「岸本聡子本人」に特に焦点が当たる部分が面白かった。

彼女は27歳でアムステルダムに渡り、「トランスナショナル研究所」というNGOで就職した。市民運動の支援をしつつ、環境などに関する公共政策リサーチに携わっていた人物だ。しかし2018年、職場で(なのかな?)定期的に行われるキャリアカウンセリングの中で、「今自分が本当にやりたいことは何なのか?」をやり取りした際に、「あなたは、地域の政治活動に関わりたいんですね」という風に言われたのだそうだ。これでようやく自身の気持ちを再確認出来た彼女は、そこから日本語で本の執筆をするようになり、また、日本に変えるタイミングを伺っていたという。

彼女が杉並区長の打診を受けた時には既に日本に帰ることは決まっていたそうなので、時期はたまたまなのだが、しかし彼女はずっと「日本に帰ろう」と考えていたという。その理由について彼女は、「自分には、日本の民主化のために人生を全うする責任があると感じているから」と言っていた。私は正直、こういう言葉に「胡散臭さ」を感じてしまうことが多いのだが、岸本聡子は喋りや佇まいがとても芯がある感じがするし、「言っていることが本心なんだろうなぁ」と感じさせる雰囲気があるので、普段だったら感じてしまうような胡散臭さを彼女に対して抱くことはなかった。

映画の中で彼女は何度か、「ミュニシパリズム」という言葉を遣っていた。日本語では「地域自治主義」というそうだ。読んで字の如くという感じだが、「地域に根付いた自治的な民主主義や合意形成を重視する考え方」だそうで、まあ要するに「市民のために政治をやろうぜ」みたいなことだろう。

映画を観ていても、「当時の杉並区が、どうして133号線などの道路を作ろうとしていたのか」についてはほとんど説明がなかったので、僕にはその是非は判断できない。映画はもちろん岸本聡子視点で描かれるので、「岸本聡子が進める制作こそがミュニシパリズムなのだ」という描かれ方になっているが、もしかしたら133号線などの道路を必要としている市民も多くいるかもしれないし、だとすればその勢力も「ミュニシパリズム」と言えるだろう。本作だけからは、133号線等の道路計画の是非が判断出来ないので、その辺りについては特に僕自身の見解はないが、ただ「市民の声を聞こう」とする岸本聡子のスタンスはとてもよく理解できた。

彼女が公示日前の時点におけるアピール活動について不満を漏らす場面がある。支援者から、「街頭に立ってやりたいことを短くアピールしろ」とか「短い間隔で名前を繰り返せ」みたいなことを言われるのだが、彼女はそれに全然納得出来ていない。日本では未だに「名前と顔を覚えてもらう人気投票」みたいな選挙が行われているが、ヨーロッパの民主主義の中にどっぷり浸かっていた彼女には、そんなやり方は「前時代的」にしか見えないのだ。こういう古いやり方は、組織票を持っている現職が有利な仕組みでしかないのだから、「挑戦者である私たちがこのやり方で戦わなきゃいけないっていう状況がそもそもおかしいよね」と彼女は様々な場面で愚痴を漏らすである。

まあ、確かにその通りだろう。

政策の是非で選ばれたいと考える彼女は、そういう提案をしてみるのだが、しかし支援者から「現職は討論の場に出てこないから」と一蹴されてしまう。しかしやはり、名前を連呼するだけの街頭演説にはしっくり来ない彼女は、とにかく街を歩いては色んな人に声を掛けて意見を聞いたり、あるいはタウンミーティングを開いて議論したりと、積極的に「声」を拾っていく。

そもそも彼女は、区長に立候補することを表明した場で、自身の名前の感じを使って「声を聞く」スタンスについて示していた。「聡」という字は、「公の心を耳にする」と書く。そういう名前であることもあって彼女は、「人々の声に耳を傾けること」が使命であると割と本気で考えているようなのだ。

このような、「よくもまあ選挙なんかに出てくれたものだ」と感じるような有能な人間なのだが(まあ正直、こんなことを言っているから日本の政治はダメなんでしょうね。なんとなく日本の政治って、「有能な人は寄り付かない」イメージが僕の中にある)、そんな彼女がカメラを回すペヤンヌマキに盛大に愚痴をこぼす場面がある。

そこには1つ、前段となる出来事がある。支援者の中に小関啓子という、市民運動の最古参メンバーの女性がいる。70代とか80代ぐらいの人だろう。そして夜中、恐らく支援者たちとのミーティングが終わった後、ガードレールの横で小関啓子と岸本聡子がやり合う場面がカメラに収められている。これは個人的に、結構好きな場面だった。

さて、2人の争点となっているのは、「岸本聡子の出す政策が、『住民思いの杉並区長をつくる会』の思いを汲んだようには思えない」という点であるようだ。小関啓子は20年以上も市民運動に携わっており、それまでの長い長い歴史と思いの積み重ねを一番理解している人だ。そしてだからこそ、やっと何かが大きく変わるかもしれないという状況を前に、岸本聡子に望むことが色々とある。

一方岸本聡子は、帰国して2ヶ月しか経っていないし、正直杉並区のこともちゃんとは捉えきれていないだろう。しかし、政策に関わってきた経験は彼女の方が上だ。岸本聡子は小関啓子に、「『要求』を『政策』にしないと何も進まない」と説得しようとする。「つくる会」の人の「要求」はもちろん理解しているが、それを政治の世界で通用する「政策」に変換するにはテクニカルなことも必要だし、それを見て「私たちの想いが汲み取られていない」と言われても困る、というわけだ。

まあそんなやり取りをした後で、岸本聡子はペヤンヌマキのカメラに向かって、こんなことを言う。

『「つくる会」の人たちが言っていることももちろん分かるけど、街頭演説やタウンミーティングをやった上で、さらに人間関係を調整していくようなことまでやるのは難しい。そこまでのスーパー人間はいないと思う。私は相当キャパがある方だと思ってるけど、その私が音を上げるんだから、そりゃあ候補者なんかいないよね。』

彼女のこの発言を聞いたペヤンヌマキは、「もしかしたらこのまま候補を下りてしまうんじゃないかと心配になった」と語っていた。まあ、たしかにそれぐらいの語調で話していた感じはあった。

そんな風にしながら、公示日を迎えるのである。

区長選の中で興味深かったのは、「ひとり街宣」というシステムが自然発生的に生まれたことだ。岸本聡子ではない支援者が幟を持って様々な駅に立ち、岸本聡子を応援するという仕組みだ。恐らく公職選挙法違反になってしまうからだろう、幟には「岸本聡子」の名前は無い(たぶん、本人がいる場所にしか名前入りの幟は設置出来ないというルールだと思う)。だから幟には「杉並区初の女性区長」と書かれ、支援者がそれぞれ道行く人たちにチラシを配っていた(この映画を観て初めて知ったが、どうやら「公式のチラシ」みたいなものは、切手みたいなものを貼り、さらに本人が演説している場所でしか配れないのだそうだ。だから、「ひとり街宣」で配っていたのは「公式のチラシ」とはまた違うものなのだろう)。

商店街の中に作られた選挙管理事務所には、「ポストに入っていたチラシを見て手伝いに来た」という車椅子の女性が、チラシ折や電話かけをしている姿も映し出されていた。とにかく活気ある選挙戦という感じで、みんなが楽しそうに参加しているのがとても良かったなと思う。

さて、一応ここまでなんとなく区長選の結果を書かないようにしてきたが、どうせ調べれば分かることなのだから書いておこう。187票差で買ったのは、なんと岸本聡子の方である。マジで選挙結果を知らないまま映画を観に行ったので、開票が終了する直前まで、現職の田中良と同数という結果が報告される展開にはかなりドキドキさせられた。さらに、実際に勝ったと知ってさらに驚いた。まさか勝てるとは。それは岸本聡子自身の感想でもあったようで、「負けても、次の4年の向けて皆さんと活動をしていくつもりだった」と話し、「まさか勝てるとは思わなかった」と言っていた。

さて、実は市長選の後の展開も興味深かった。まず、所信表明演説を行った翌日のこと、区議の1人から「6月19日の区長選は異常な選挙だった」みたいに、色んな形で岸本聡子を悪く言うような質問(まあ、質問ではないな)が出た。恐らく、田中良を支持していた人なのだろう。そしてその様子を、「つくる会」の面々も傍聴席から見ていた。

恐らくこの様子を見て、「これじゃダメだ」と感じたのだろう。そこで、岸本聡子の選挙戦を共に闘った仲間たちが、今度は区議選に出馬したのである。結果はなかなか凄まじく、15人の新人が当選し、現職12人が落選となった。

岸本聡子がどのような区政を敷いているのか、それは僕にはよく分からないが、この映画を観る限りにおいては、「なんか色々変えてくれそうな人だな」という感じはする。旧弊な政治を維持したい勢力にとっては邪魔な存在だろうが、これからの日本を作っていく上では、とても重要な人物なんじゃないかと思う。

彼女が選挙前に語っていたように、「日本の民主化のために人生を全うする」スタートを切ったと言えるだろうし、本当に日本の何かを変えてくれるかもしれないとも思える。

杉並区、なかなか面白そうだなぁ。

この記事が参加している募集

映画感想文

サポートいただけると励みになります!