【映画】「理大囲城」感想・レビュー・解説

凄い映画だった。こういう映像を観られるから、ドキュメンタリー映画を観るのは止められない。

今日僕が観たのが、世界初の劇場公開回だったようだ。山形国際ドキュメンタリー映画祭など、単発での上映はこれまでにもあったが、今日12時からポレポレ東中野で上映されたのが、劇場で公開された世界初の回だったのである。ちなみにこの『理大囲城』、当初は香港国内でも上映が出来たそうだが、去年3月頃に上映禁止と決まったそうだ。だから、外国の観客からの反応に勇気づけられると、上映後のトークイベントで語られていた。

ちなみに、トークイベントは、香港からオンラインで繋いだ画面は真っ黒で、音声のみ。映画のクレジットには、「監督:香港ドキュメンタリー映画工作者」と書かれている。映画に映し出される者は、記者や高校の校長など一部を除いて全員の顔にモザイクが掛けられている。暴動罪での逮捕の恐れがあるからだ。緊迫感が今もリアルタイムで進行していることを痛感させられた。

『理大囲城』は、2019年6月から始まった香港民主化デモにおいて、11月16日から11月29日の13日間に渡り、香港の名門・香港理工大学に籠城した(させられた)若者たちをその内部から記録した衝撃のドキュメンタリー映画だ。日本で喩えるなら、最高学府・東京大学で起こった安田講堂事件のようなものだろうか。

正直、映画そのものについて説明することはあまり意味がない。衝撃的な88分間であり、それは言葉を尽くしたところで表現できるような何かではないのだ。後でざっくりと経緯には触れようと思うが、その凄まじさは体感してもらうしかない。

ちなみに、映画のラストで表示された数字を紹介しておこう。香港理工大学の籠城事件において、逮捕者は1377人に上った。その内、途中で大学を抜け出して逮捕に至ったのが567人、そして最後まで大学に残って逮捕されたのが810人。また、18歳未満で、ID登録を条件に帰宅を許された者たちが318人いたという。もちろん、香港民主化デモにおいて、最大の逮捕者を出した事件となった。

さて、この記事では、上映後のトークイベントで語られた話についてまず触れていきたいと思う。何故ならその内容は、この映画を観る前に知っておくとより衝撃が増すことになるだろう情報だからだ。

映画『理大囲城』を撮影した者たちは、6月に始まった民主化デモの当初から様々な場所に出向いてカメラを回していた。その過程で、香港理工大学での籠城計画が明らかになり、彼らも大学内部に先に入って撮影を行うことに決めた。そうして生まれた映画なのだが、彼らもまさか、13日間に渡って外部と遮断されるとは思ってもみなかったのだそうだ。

ちなみに、籠城からしばらくして、救護班の一部と大勢の記者が大学を離れた。その後、彼らが後ろ手で縛られ逮捕された様子がSNSにアップされた。香港警察は、救護班も記者も容赦なく逮捕したのである。この事実は、大学に残った者たちにとって大きな衝撃をもたらすことになる。救護班・記者も逮捕されるのであれば、自分たちは大学を出れば間違いなく逮捕される。そのことによって、中にいる者たちは追い詰められていくのである。

さて、記者の多くが早い段階で大学を離れたことで、大学内部に留まって撮影を続けた者は、映画『理大囲城』の撮影を行っていた者たちだけとなった。そういう意味でもこの映画は非常に貴重なものと言える。衝撃の最前線を、唯一映像で記録し続けたものだからだ。

しかし、その撮影はとてつもなく過酷なものだった。映画『理大囲城』は主に、11月17日・18日の2日間の出来事がメインで構成されている。それ以降の映像もあるのだが、決して多くはないという。そしてその理由が、「撮影した者たちも、精神的に追い詰められていたからだ」というのだ。それは、映像を観れば納得である。とてもまともな理性を保てるような状況ではない。

しかし、トークイベントで匿名の監督は、「撮る動機も気力も失っていた」と語っていた。これはなかなか凄い表現だと感じる。ドキュメンタリーを撮影するぐらいだから、やはり、「事実を記録すること」に対する使命感や意欲みたいなものは人一倍強いはずだと思う。にも拘わらず、そういう人たちが「撮る動機さえ失った」と語るほどの状況なのだ。その壮絶さは推して知るべしと言ったところだろう。

トークイベントで司会と通訳を担当していた映画監督のリム・カーワイ(彼が何故司会と通訳をやっていたのかは分からない)が、「撮影した映像をどうやって大学の外に持ち出したのか聞いてみますね」と言って質問を始めた。その時に初めて、「なるほど、確かにそういう懸念もあったか」と思い至った。映像があまりにも衝撃的すぎて、そんな疑問さえ頭に浮かばなかったのだ。確かに、彼らも恐らく最後まで大学に残っていただろうし、逮捕されたのかどうかは不明だが、いずれにせよ一時的な拘束や取り調べは避けられなかっただろう。その過程で、撮影したテープが見つかったら、まず没収されてしまうに違いない。確かにどうやったのだろう。

匿名の監督は、その質問に、明確な答えを返さなかった。「あらゆる方法を駆使して持ち出した」としか言っていない。まあ確かに、それを明言するのは危険だろう。籠城中の撮影の問題点として、「カメラのバッテリー切れ」があったそうで、後半はスマホで撮影したと語っていた。スマホで撮影したものであれば、その撮影データをいかようにでも保存できるだろう。ただ、カメラのデータに記録されたものは、物理的にそのデータを持ち出さなければならない。それらを危険を犯して持ち出すという点でも困難があったわけで、そういう意味でもこの映画はなかなか奇跡的な存在だと感じさせられた。

トークイベントでは、映画の編集に際しての話についても触れられていた。籠城中の撮影時には、監督たちは「感情を入れずに撮影を行うことと心がけた」そうだ。映画ではとにかく、悲惨としか言いようがない状況が映し出されていく。それらに怒りや同情などを抱いていたら、心が持たないだろう。自分の感情を切り離し、「無心で眼の前の現実を撮影する」ということに専念するしかなかったというのは、なんとなく理解できる気がする。

しかしその後、どうにか持ち出したデータを編集のために見返していると、彼らは「超現実的」な感覚に襲われたのだそうだ。自分たちがまさにその現場に立ち会い、自ら経験した出来事を映像として記録しているのに、「リアルに起こったことではない」ような感覚になってしまったのだという。なるほど、その感覚は、体験したものにしかなかなか想像が難しいだろう。だから彼らは編集に入る前にまず、映像を見返して、「これが実際に起こったリアルの出来事なのだ」という感覚を取り戻すことから始めた、と語っていた。カメラに映し出された者たちの姿も壮絶だったが、撮影し編集した者たちもまた、凄まじい葛藤を闘っていたのである。

ちなみに映画『理大囲城』は、ほとんど説明らしい説明がないまま、ひたすら衝撃的な映像を積み上げていくように構成されている。僕は、以前『時代革命』という映画を観て、この香港理工大学の籠城についても大雑把な経緯を知っていたので特に混乱はなかったが、何も知らないままこの映画を観たら、何がどうなっているのか理解できない部分が多いだろう。

トークイベントでは、その点についても触れられていた。監督たちは、当然だが、この映画をまずは香港人に観てほしいと思って作ったのだ。だから、香港人なら当然知っているだろう説明は省かれ、ひたすら「香港理工大学内部で何が起こっていたのか」を描き出す構成に決めたという。香港理工大学の外で何が起こっていたのかについては一切触れず、大学構内から撮影した映像のみで映画が構成されている。だから、事実を理解する上での説明不足は確かに否めないが、このような構成にしたことによって、「映像が持つ凄まじさ」を最大限全面に活かす作品に仕上がっていると感じた。

というわけで、映画『理大囲城』で描かれているわけではない事件の経緯について、映画『時代革命』を観て僕なりに理解した点を踏まえてまとめてみたいと思う。

最初にきっかけは、勇武派と呼ばれる武力行使を厭わないグループが、11月11日に「交通障害スト」に踏み切ったことだ。それまでは、なるべく市民生活に影響を与えないようにデモを進めてきた勇武派だったが、状況が変化しないことに業を煮やし、ついに、市民生活を巻き込むことを覚悟に、道路や線路を塞ぎ、交通網を麻痺させる手段に打って出たのだ。

そしてこの「交通障害スト」をきっかけに1つの案が生まれる。それが、香港中文大学への籠城だ。デモに参加する者に中文大学の学生が多かったこと、そして中文大学に至る3つの経路をすべて塞げば、警察の侵入を防いで籠城が可能だという理由で、彼らは大学での籠城を決める。

この香港中文大学での籠城は長くは続かなかったのだが、その後彼らは舞台を香港理工大学へと移し、それまで以上に念入りに準備をし籠城を行う計画を立てる。そしてそれを実行に移したというわけだ。

籠城からしばらくの間、彼らは包囲する警察官を挑発したり、投石を行ったりして抵抗を続ける。しかしやがて彼らは、香港理工大学が完全に包囲され、どこにも逃げ場がないことを悟る。逮捕されれば、暴動罪で最大10年の懲役を食らう可能性がある。だから外には出られない。しかし、装備や食料はどんどんと底を突く。幾度か警察の包囲を突破し脱出を試みるも、その度に怪我人や逮捕者が出てしまう。彼らは「籠城している」はずだったが、次第に「籠城させられている」という状態になってしまったのだ。

状況は完全に膠着状態に陥った。警察は大学を包囲するのみで、構内にまで入ってこない。大学内部では、状況を打破するための話し合いが続く。選択肢は多くはない。外に出れば逮捕、このまま残れば撃たれて死ぬか逮捕されるか。話し合いは次第に、怒号のやり取りとなる。外に出ようとする者と、もう少し様子を見ようと主張する者。内部に裏切り者がいるのではないかという疑心暗鬼も加わり、混沌とした状況になっていく。

さらにそこに、ある意味でややこしい要素が加わってくる。大学内部に、警察の許可を受けて高校の校長の集団が入ってきたのだ。籠城していた者たちは状況が理解できない。校長の代表は、「警察と交渉し、できるだけのことをする」と口にするが、彼らの提案は大筋で「ID登録をすれば家に帰れる」というものだった。これを学生たちは「自首」と捉えた。確かに家には帰れる。しかし、警察はID登録した者を起訴する権利を持つ。無罪放免とはならない。だったら、どうにか自力で脱出できる道を探すべきではないか。

校長の説得に応じて大学を去る者もいれば、そういう人を説得して押し留めようとする者もいる。校長たちを「警察のイヌ」のように扱って非難する者もおり、さらに状況は混沌としていく、というわけだ。

校長の説得を受けて大学を去ると決めた者の中には、「俺は弱い」「見捨てないと誓ったのに先に出るなんて」と号泣する者もいた。彼らにしてもギリギリの判断が迫られる。同じ志を持つとは言え、全員で一枚岩になれるわけもない。残酷だが、若者たちのそんなリアルな姿が如実に映し出されていた。

僕が映画を観て理解できなかったのは、「なぜ警察は大学構内に突入しなかったのだろうか」ということだ。まあ、色々可能性は考えられる。なるべく死者・怪我人を出さずに解決したかったのかもしれないし、警察側の被害を最小限に抑えたかったのかもしれない。籠城している者が諦めて投降する姿をメディアが映し出すことによってデモの機運を削ごうとしたのかもしれないし、単に中の様子を正確に把握できなかったから躊躇していただけなのかもしれない。正確には分からないが、「警察が踏み込めば、もっと早く事態が収まったのではないか」という気もした。その辺りのことは、やはり部外者にはなかなかイメージできないなと感じさせられた。

とにかく、凄まじい映像だった。ロシアによるウクライナ侵攻にも驚かされたが、自分が生きているまさに同時代にこんなことが起こるなんてという衝撃を、香港民主化デモに対しては感じたし、その中でもやはりこの香港理工大学の籠城事件には驚かされた。そのすさまじい事実を知るために、多くの人に観てほしい映画だ。

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