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イスラーム×ユダヤ教×ロシアな新鋭ブランドNIGEL LENO!

BUNKER TOKYO、4月の入荷第1段は新進気鋭のロシアブランドNIGEL LENO。ダゲスタン出身の母と、イスラエル出身の父を持つデザイナーLeonが送るカルチュラルブランドです。
今回はアイテムに込められたカルチャー的意味を徹底解剖していこうと思います。どうぞお付き合いくださいませ。

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①ダゲスタン

まずは聞き慣れないダゲスタンという地域の説明から。地図の赤色の部分です。
カスピ海西岸に位置し、ジョージアやアゼルバイジャンと隣接するロシア西方の共和国ダゲスタン。
ロシアの中に国?と思った方は前回の記事でそのことについても説明してますのでそちらもぜひご一読ください。


ダゲスタンはロシア国内において初めてイスラーム化した都市であり、イスラーム化以前にも古い歴史が残っています。中でも第2の都市のデルベントには、少なくともアレクサンドロス大王の存在した紀元前4世紀には独自文化を持つ国が建ち、首都として機能していたと考えられています。
現在でも当時の古代城壁が残っており、世界遺産として登録されるほど。
チェチェン紛争やソチオリンピックでの大会妨害宣言など良くないニュースも多い地域ですが、街並みは美しく人々も優しいようです。
田舎部の方ではゆったりとした時間が流れるダゲスタン、機会があれば足を運んでみたいですね。

②Tシャツ

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ヘブライ語でWanted(指名手配)、Shoot to kill(射殺せよ)、Nigel Lenoと書かれたこちらのTシャツ。さらにはテロリストのような風貌の男の写真。
怖いアイテムかと思いきや写真の男性はデザイナーの友だちだそう。ブラックユーモアな遊び心を感じます。

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また、こちらのTシャツには上から英語、アラビア語、チェコ語、ロシア語、フランス語 語、ヘブライ語でVoice(声)。さらにはアナキズムオマージュなサークルN。ブランドらしいたくさんのカルチャーの詰まった1枚です。


③サマートレンチ(パトリス・ルムンバ)

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バックにはアフリカ、そしてコンゴの英雄パトリス・ルムンバがアフリカの形と共に描かれています。

彼の紹介と一緒にコンゴの歴史について振り返ってみます。

コンゴ共和国はアフリカの中部に位置する国。
鉱物資源に恵まれており、中でもリチウムイオン電池に使われるコバルトは世界生産量のなんと5割以上。

19世紀後半にヨーロッパ列強の国々がアフリカを植民地支配し始めると、ベルギーがコンゴを植民地化し、1885年に開かれたアフリカ分割に関するベルリン会議にてベンギーの領有が認められてコンゴ自由国となりました。
しかしその実態はベルギー国王レオポルド2世の私有地。その下でゴムや象牙、土地などを巡って過酷な現地人の収奪が行われました。
そのことについて国際的な非難が殺到すると、1908年にはベルギー政府が直轄するベルギー領コンゴに。

ルムンバは1925年、ベルギーがほとんど社会制度を整えてこなかった植民地時代のコンゴにて生まれました。
キリスト教会の支援する学校で教育を受けたのち、郵便局員やビールの販売員、鉱山会社での勤務、さらにはジャーナリストのキャリアを積みました。
この経験でルムンバは、コンゴにある豊富な資源が国際社会において大きな意味を持っていること。そしてその恩恵がコンゴ人に還元されていないことを知って問題意識を持ち始めます。

第二次世界大戦後にアフリカの各地で独立運動が開始されると、1951年にリビア、56年にスーダン、モロッコ、チュニジア、続いて57年にガーナ、58年にはギニアが独立を果たしました。
近隣諸国が独立への動きを進めていく中で、コンゴでもベルギーからの独立が叫ばれるようになります。

1958年10月にルムンバがコンゴ国民運動(MNC)を創設すると、同年11月23日にガーナのアクラで開かれた全アフリカの人民会議にMNCを代表して参加。1959年にMNCはルルワブール(現カナンガ)にて最初の全国大会を開催、次第に勢力を拡大していき、ルムンバはMNCの指導者として、部族間の紛争を防止し、コンゴ国民の一致団結とアフリカ諸国の独立運動に尽力します。
そして来たる1960年1月、ブリュッセルにてコンゴの独立に向けた円卓会議が開催。
この場にはアバコ党のジョセフ・カザブブ、コナカ党のモイズ・チョンベと共に、MNCのルムンバが参加。円卓会議での要求が通り、同年6月30日に独立を達成しました。
(同年にフランス領コンゴも独立。フランス領コンゴの現在の国号はコンゴ共和国だがベルギーから独立したコンゴとは別の国)
新しいコンゴの憲法では、大統領は統治権を発動するが、閣僚の連署がなければ権限が及ばないという制度を取りました。独立同年に行われた選挙で、ルムンバが首相、カザブブが大統領に就任します。

しかし建国思想の異なるカサブブとルムンバは対立。さらにカタンガ州分離派のモブツ将軍らが分離独立を主張し、独立後まもなくコンゴ動乱が始まってしまいました。
ルムンバは国連軍の派遣を要請しましたが、国連はカタンガ州の鉱山資源と結んでいるモブツ政権を保護、9月に国連とアメリカの後押しによるモブツのクーデターによってルムンバは逮捕され殺害されてしまいます。
コンゴには国連軍が派遣されていたが、ルムンバ殺害については傍観しました。

混乱の時代の中でアフリカの独立運動を牽引し、コンゴの独立を達成したルムンバ。彼の生涯については2000年に「ルムンバの叫び」という映画が作られたり、記念碑が建設されたりなど彼の功績は後世に語り継がれています。

…と、ここまでコンゴの歴史やルムンバの業績を振り返りましたがなぜロシアブランドがルムンバをフィーチャー?という疑問は残ったかと思います。
僕もここまで調べた上でそのなぜが拭えなかったのですがヒントはソ連にありました。

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画像はモスクワにあるロシア諸民族友好大学(People's Friendship University of Russia)。
この大学は冷戦からの1960年に、第三世界からの留学生を受け入れるために設立された学校です。
実はこの大学、かつては「パトリス・ルムンバ名称民族友好大学」と呼ばれていました。
アフリカの国々が植民地支配から脱し、世界地図が変わり始めるとソ連はアフリカの地域を赤に染めようと試みました。
それまでのアフリカは資本主義の帝国に支配され続けていたため、そこからの脱却の意味も兼ね、社会主義はアフリカの指導者らに人気のトピックに。
ソ連も社会主義を広めるためにアフリカからの留学生を多く受け入れていたようです。
また、1961年にルムンバを印刷した切手がソ連で発行されていたなど、実はロシア人との馴染みがあるルムンバ。デザイナーのLEONもルムンバをリスペクトしており、それが今回ルムンバをモチーフに使うことに繋がったようです。

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④コーチジャケット

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コーチジャケットに描かれているのは六芒星とサウジアラビアの国旗。
六芒星はユダヤ教やユダヤ民族を象徴するしるし。"ダビデの星"とも呼ばれており、イスラエルの国旗にも描かれています。
サウジアラビアの国旗の意味としては、まず緑はイスラームにおいて聖なる色であり、「アッラーの他に神は存在しない。マホメット(ムハンマド)はアッラーの預言者である。」とコーランの冒頭が書かれています。剣は聖地メッカを守護するという意味。
イスラームとユダヤのカルチャーを融合したジャケットとなっております。

本来ユダヤ教とイスラーム教は相容れがたい宗教です。
パレスチナ問題を筆頭に、パレスチナ人、ユダヤ人、アラブ人らの民族意識などもあってデザイナーの父親の出身地イスラエルは未だ混乱した情勢。
ジャケットに描かれたサウジアラビアも、厳格なイスラームのワッハーブ派(スンナ派)を国教としており実質的な宗教の自由はないとされています。
交わることのなさそうな2つのカルチャーをミックスしたこのジャケットは幼い頃から家庭内にある文化の対称性を見てきたこのデザイナーだからこそできたデザインとなっています。

最後に

Gosha Rubchinskiyがロシアファッションを世界に広め早数年、キリル文字やゴプニク(ロシア版ヤンキー)、adidasなど、ロシアらしいファッションとは何たるかをなんとなく掴めてきました方も多いと思いますが、前回のチベットインスパイアなNorbuや今回のNIGEL LENOなど、計り知れないほど数多のカルチャーを内包しているのがロシアなのです。
ロシア人でさえ全容を知らないあの広大な地の文化を、これからも私Ryuseiはロシアカルチャーのエヴァンゲリストとして精進して参りますので、今後も是非ご注目いただけましたら幸いです!

Ryusei


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