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全共闘から禅へ「情熱こそが原動力だった」

 今春公開された映画『三島由紀夫vs 東大全共闘 50年目の真実』(豊島圭介監督)を見て、「映像が始まった瞬間から、心臓が高鳴った。当時の私たちは熱く、情熱こそが原動力だった」と語るのは、曹洞宗の五十嵐靖雄道心寺住職(広島県呉市)。駒澤大学全共闘として学生運動に身を投じた後、大学を中退し、「生きるとは何か」を思索。滝沢克己(キリスト教神学者)や久松真一(哲学者)の著作を通じ、禅の世界に道を求めた。「学生運動に没頭したからこそ、仏教に目覚めた」と語る。

なぜ社会に憤っているのか

 新潟県阿賀野市にある曹洞宗瑠璃光院の次男として生まれ、1966(昭和41)年に駒澤大学仏教学部に進学した。当時は僧侶になる気持ちは薄かったという。

 ノンポリだった青年が学生運動に関心を持ったのは、67年の「10・8羽田闘争」。ベトナム戦争反対を訴える同じ世代の学生たちが機動隊と渡り合う姿に「どうしてここまで社会に憤っているのか」と疑問が湧いた。

 初めてデモに参加したのは、翌68年の「新宿騒乱」だった。10月21日の国際反戦デーを迎えるにあたり、反戦団体はベトナム戦争反対の集会を各地で開いた。武装した約2千人が新宿駅で機動隊と衝突。政府は騒擾罪(そうじょうざい、現在の騒乱罪)の適用を決め、743人が逮捕された。

 五十嵐住職はその日、国会議事堂やアメリカ大使館へのデモに参加していた。
 
 「東京都内は至る所で火の手が上がり、学生を応援する群衆の波がすごかった。交通はストップし、唯一動いていた地下鉄丸ノ内線に飛び乗ったが、駒大には帰れず、早稲田大学の最寄り駅で降り、大隈講堂で一晩を過ごした」

 デモに参加した動機は、戦争反対の思いからだったという。

俺が俺であるとは

 1969(昭和44)年、駒大も機動隊を学内に入れ、大学側が校舎を逆封鎖。正門で学生証を提示しなければ学内に入れなくなった。

 ある日、五十嵐住職が学生証を持たずに正門から入ろうとすると「五十嵐君、学生証がなければ入れないよ」と教員に呼び止められた。「あなたは僕を五十嵐君と呼び、駒大の学生だとわかっている。にもかかわらず入れないとはどういうことか。今いる私そのものが、本当の私ではないのか」と教員とやり合い、正門のフェンスに登ってアジ演説を始めた。

 その場に集まった多くの学生の押す力でフェンスが倒れると、私服警官に取り囲まれ、東京都公安条例違反容疑で逮捕された。玉川警察署での2週間の勾留が解かれて大学に戻ると、授業料未納で退学処分となっていた。

 「俺が俺であるとはどういうことか」。退学後も探究し、手当たり次第に本をあさった。中でも高橋和巳、小田実、柴田翔らからは多くの影響を受けた。

 「高橋和巳からは『普段の生活の中で、一人一人、自分の主体に対して真摯に問いを発しているのか』という課題を投げかけられた。すると困ったもので、だんだん闘争する根拠がなくなってきた。そしてセクトの人間と話をすればするほど、私自身が相反する立場となった。『何のために闘うのか』を自己に問い直さなければならないと考えるようになってきた」
 
 さらに思索は深まっていった。「人は何によって人たりうるのか」と。

★五十嵐靖雄住職②よこ

神も因縁所生の身

 そのような中、ある言葉に巡り合う。哲学者・キリスト教神学者で九州大学教授を務めた滝沢克己の「人は神ありて人なんだ」というフレーズだった。

 「滝沢先生は全共闘の学生に対し、一宗教者として理論的に対話してくれた人。滝沢先生の本に巡り合って助かった。ここで宗教が出てくるのかと感嘆した」

 その後、滝沢と京都大学教授を務めた哲学者、久松真一の間で、無神論に関する論争があった。西田幾多郎の哲学と、鈴木大拙の禅学に影響を受けた久松にも、五十嵐住職は関心を持った。

 「久松先生の本には『絶対者はどこに立ち現れるのか。禅者の立場からすれば、神といえども因縁所生の身だ』と書いてあった。この言葉に衝撃を受け、やはり信仰の世界に入らなければ分からないのかなと考えた。頭で考えるよりも、座らなければ答えは出てこないと思った」
 
 70年春、五十嵐住職は修行のために、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺へと向かった。

言葉を全て手放す

 69年1月18、19日に全共闘運動の象徴ともいえる東大安田講堂事件があった。駒大全共闘の一員だった五十嵐住職も、たびたび本郷に動員されていたが、その時はけがをしていて参加できず、テレビを見ながら歯がゆい思いをしていたという。

 映画『三島由紀夫vs東大全共闘』は、同年5月13日に東大駒場キャンパスで行われた討論会の様子と、当時の関係者や文化人への取材を基に構成している。

 この討論会の様子は、数日後には周辺の大学の学生の耳にも届いた。討論で三島は、学生たちとの間にあるイデオロギーの違いを超え、「私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます」と語っている。

 「その情熱を原動力として私は自分のありようを探究し、滝沢先生と久松先生の言葉に出会い、僧堂生活に入った、坐禅は一切のもの、言葉も全て手放してしまうこと。如実に立っていることから始め、物事を照り返すということだった」

★五十嵐靖雄住職①

運動は敗北だったのか

 映画の終盤、全共闘運動に身を投じた人たちに、「全共闘運動は敗北だったのか」と尋ねる場面がある。ある人は問いに沈黙し、ある人は「君たちの国では敗北という認識かもしれないが、僕の国では…」と持論を展開した。五十嵐住職はどう捉えているのか。

 「勝った、負けたという話ではなく、いよいよ自分の立つ位置が鮮明になったということ。どのように一歩を踏み出すのかが大事になった。だから私はその一歩を手探りで求め、その先に坐禅があった」

 討論では、全共闘の論客で、今も劇団を主宰する芥正彦氏が三島に対し、「あなたは日本人であるという限界を超えることはできなくなっている」と言い放つ。このやりとりは空間や時間といった観念論にも飛躍し、印象的なシーンでもある。そして全共闘の学生の情熱にだけは共感を示した三島は「言霊をここに残して去っていく」と会場を後にする。

 五十嵐住職は「当時の全共闘運動を実際に肌で感じていない人にとっては、このシーンは禅問答のように感じるかもしれないが」と補足しつつ、次のように説明する。

 「表現の仕方はそれぞれで、芥氏は演劇を使った体での表現だったろうし、三島は言葉という言霊を使った文学表現だった。ただ、全てのことから自立するということは、国籍はもちろん、自立という言葉さえなく、言葉の意味すらも問い直さなくてはならない。三島はそのことを知っていたからこそ、自分にとっての言葉は言霊だと確信していた」

 禅の世界で、言葉のないところを言葉で指し示さなければならない場合、それは「如是」となる。

 「如是とは、そのまま、ありのままという意味。今の自分の立場で言えば、坐禅に照り返されている自己。そこから初めて言葉が発せられる。それを三島は言霊と言った。だからこそ、三島の文学には力がある。そしてわれわれ僧侶が読むお経も、お釈迦さまの言霊であり、いいかげんに読んでいてはいけないということだ」

切腹に匹敵する坐禅

 五十嵐住職が大本山總持寺に入った年の秋、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で三島は割腹自殺をした。夕方、風呂に入っていると、修行仲間から「三島が切腹したぞ」と伝えられ、言葉が出なかったという。

 「修行時代もずっと三島が切腹した意味を考えていたが、その答えは『生き切ること』だと考えていた。私は幸いにして、坐禅の道に進み、これまでやってくることができた。人生において選び取ることは大事で、そこに人それぞれの思いが込められている」

 「おそらく三島は三島で、憂国の志士として割腹したのだろう。それは彼の美学。映画を観て、改めて三島の真剣に生きる姿に触れ、私自身がもっと毎日を凛(りん)として生きなければと思った。三島の切腹に匹敵するほどの坐禅を、今後も行い続けなければと思わされた」

水平に立ち尽くす

 学生運動の中にはさまざまなセクトがあったが、セクトに属さない「ノンセクト・ラジカル」の全共闘は比較的、紳士的な人が多かったと五十嵐住職は振り返る。

 「機動隊とゲバ棒で戦う場面だけをクローズアップするから、暴力的な集団だという印象が人々の中にはある。しかし、討論会を見ていてもわかるが、普通の人間が『これはおかしい』と思って立ち上がったのが、全共闘運動だった」

 では、そもそも全共闘運動とは何だったのか。

 「当時の若者は、大学のありようや人間のありようを問い直すとき、文明・文化は果たして学生にこれほどまで秩序を要請するものなのだろうか、あまりにも権威主義、学歴偏重主義になっているのではないかと疑問を抱いていた。その疑問に、ほとんどの学者は答えられなかった。それならば大学は解体してしまえばいいという運動だった」

 教員が問いに答えられないのは、大学が生きた学問をしていないからだと五十嵐住職は指摘する。

 「本来なら、曹洞宗の宗門関係学校である駒澤大学は、禅という立場で答えを出せる大学だったはずだ。言葉以前の水平に立ち尽くし、そこから物事を見ていかなければならないというのが禅の立場。当時の全共闘運動も実はそのことを目指していた。今から思えば三島由紀夫も滝沢先生も、まっすぐに全共闘運動に向き合ってくれた。とてもありがたかった」

★五十嵐靖雄住職⑥

 五十嵐靖雄(いがらし・せいゆう)1947年、新潟県生まれ。駒澤大学中退。曹洞宗大本山總持寺で修行した後、京都・安泰寺で内山興正老師に師事した。83年に広島県呉市の道心寺へ入寺。2006年から宗議会議員を務め、現在4期目。

 私たちが週2回発行している宗教専門紙「文化時報」の中から、2020年4月15日号に掲載された記事を再構成しました。皆さまの「スキ」と「フォロー」をお待ちしております。
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