「乗り帆船」が語るだれでも航海できる帆船の話
■帆船で航海しました
大海原を風を受けて帆走(はし)る船。帆船。
青い海を白い帆を上げて航海する様にはとてもワクワクさせられますが、映画や絵画以外で実際に目にすることはあまりないかもしれません。
ところが、そんな帆船でリアルに航海することができたら、あなたはどうしますか?
2024年の5月、ぼくはオランダの帆船で航海をしました。
アムステルダムが母港の帆船「Stad Amsterdam」は足掛け3年の世界一周航海を行っています。
Stad Amsterdamは民間所有のクルーズ帆船。
寄港地から寄港地までゲストを乗せて航海します。
そのなかのひとつ、神戸から上海までの9日間のクルーズに乗船しました。
このnoteでは、Stad Amsterdamはじめ、世界のあちこちで行われている民間による帆船クルーズやセイルトレーニングなどについて書いていきます。
また追加でいくつかのnoteも公開していく予定です。
航海の様子や一般のクルーズ船と比較してのサービス内容について、またこれまでぼくが見てきた5-6隻の帆船と比較しての運用レポート。
ご興味のある人はそちらもチェックしてみてください。
■ぼくについて
ここでこれまでのぼくと帆船の関わりについて少し書いてみます。
ぼくは20代から25年以上、日本国内で活動していたいくつかの帆船でボランティアクルーとして活動してきました。
・あこがれ(1997~2013)
・海星(2000~2003)
・みらいへ(2016~現在)
*()内はぼくの活動期間
国内各地はもとより、韓国、中国、パラオ、カナダ、オランダ、フランスなどの海外でも、いくつもの楽しい航海を体験してきました。
また帆船で大西洋を横断した航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第5回海洋文学大賞を受賞しています。
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00325/contents/00003.htm
そんなぼくですが、昔から帆船や船が好きだったわけではありません。
20代後半にたまたま帆船での航海に乗客として参加し、そこからどっぷりと沼にハマってしまいました。
その後も航海を繰り返し、その合間にロサンゼルス、イギリスなどで海外の帆船にも乗船。
鉄道好きな人のなかでも、「撮り鉄」「乗り鉄」などわかりやすいマニアから「時刻表鉄」「駅鉄」などマニアックなファンまでいろんなパターンがあります。
ぼくは自分が乗れない船にはあまり興味がないので、スタンスとしては「乗り鉄」がいちばん近いのかもしれません。
とはいえ、ただのファンからボランティアとして毎年合計すると一ヶ月以上は船でくらしていますので、好きが高じて仕事にしてしまう「プロ鉄」なのかもしれませんがw
■乗れる!帆船
ここまで読んで「帆船って乗れるの?」ってびっくりされた方も多いのではないでしょうか?
実は誰でも航海を楽しむことができる帆船は決して少なくないのです。
国内外を問わず、数百人が乗れるような大型の帆船の多くは、海軍、コーストガード、商船大学など、公の機関が人員養成のために運用しているものがほとんどです。
日本にも日本丸、海王丸の二隻の帆船がありますが、船員養成に利用されていて原則一般の方が乗船することはできません。
大型船での航海は難しいのですが、民間団体が所有するやや小型の、誰でも乗れる帆船というのも北米やヨーロッパ、オセアニアを中心に数多く運航しています。
日本人にとって「帆船」はただのあこがれでしかありませんが、ヨーロッパなどでは地域の歴史、民族のアイデンティティと深く結びついています。
帆船による武力や交易で世界の覇権を握った国もあります。
遠い祖先が帆船での苦しい航海を経て、たどり着いた土地で作った国もあります。
帆船がいまでも多くの人に親しまれているのは、日本よりずっと「帆船で海を渡る」ことへの距離感が近いからなのかもしれません。
■セイルアムステルダム
ぼくが乗船した帆船Stad Amsterdam のStadは「市」という意味。
19世紀に実在した同名の帆船を復元したものであり、その名の通りアムステルダム市が所有しているそうです。
今回の世界一周航海は2023年の10月にオランダを出て、2025年の8月までの2年弱。
航海の最後はセイルアムステルダムという5年に一度の帆船イベントが待っています。
大西洋沿岸の北米やヨーロッパでは毎年夏になると帆船のイベントが開催されます。
平日に航海をして週末は船団が寄港してイベント。
帆船が寄港すると集客力があって盛り上がるので、どこの港でもこのイベントを開催しようとしています。
またいくつかのイベントが並行して開催されるので、主催者は自分の港になるべく多くの船を誘致しようと交渉に精を出します。
セイルアムステルダムは1975年に初めて開催されました。
アムステルダム市設立の700年記念イベントでした。
それまでにも多くの民間帆船がそれぞれの地元で活動していたのですが、そんな帆船たちが一堂に会したのはこれが初めて。
はじめて現代を生きる「帆船」が多くの人に認知された瞬間でした。
以来、前出のように帆船イベントが続々と企画されるようになり、毎年規模を拡大しながら今にいたります。
そのキッカケとなってセイルアムステルダムは数多のイベントの中でも特別な地位が与えられました。
5年に一度の開催に参加するためにスケジュールを合わせる帆船も少なくありません。
ぼくも2000年にこのイベントに参加したことがあります。
当時、世界一周航海の途上だった日本の帆船「あこがれ」のボランティアクルーとして。
カナダからスタートした大西洋横断レースの終着がこのアムステルダムでした。
そしてこのイベントで大きなカルチャーショックを受けて書き残した航海記が、前出の海洋文学大賞受賞作です。
初めてStad Amsterdam と出会ったのもこの時。
建造直後で岸壁に停泊した船の船内を見学しました。
だから今回は24年ぶりの再会というわけなのです。
■セイルトレーニング
では民間の帆船はなんのために作られ、運用されていたのでしょうか。
こうした活動が活発になったのは第二次世界大戦後の話。
帆船での航海を体験することが、特に若者の人格形成に大きなメリットがあるのではと、考えられるようになりました。
帆船は動力船と違って、少ない人数で動かすことができません。
風を読んでセイルを張り、舵を握って海を渡る。
そうした体験の中で、協調性やリーダーシップが育まれる。
そうした帆船での航海体験教育は「セイルトレーニング」と呼ばれました。
そして古い船を改装したり、新造船が作られたり、日帰りの短い航海を繰り返すものから、外洋の長期航海を目的とするものまで、多くの帆船が生まれたのです。
さきほど紹介した1975年のセイルアムステルダムをきっかけに、こうした民間の帆船の活動と「セイルトレーニング」という考え方は広く知られるようになりました。
セイルトレーニングは海洋文化が深く浸透するイギリスで最初に生まれ、ヨーロッパの多くの国に広がっていきました。
しかし最近、余暇の使い方の多様化などでセイルトレーニングでお客さんを惹きつけ、船を維持することは難しくなってきているようです。
ぼくは北米やオセアニアの帆船事情についてはあまり詳しくありませんが、ヨーロッパについてはそれなりにフォローしています。
最近では「Tenacious」という帆船を運用していたイギリスの団体、「 Jubilee Sailing Trust」が昨年末に経営破綻しました。
ある日突然、公式ホームページが事業中止を知らせる画像だけに変わっていました。
全くの突然の告知で、多くの人が驚いてました。
その先の航海の参加者も募集していたタイミングのに。
ぼくは2003年にこの団体が持っていた「Lord Nelson」という船で2週間航海したことがあります。
この団体の船は「障がい者と健常者が一緒に帆船で航海する」というユニークなコンセプトを持っていました。
船内のどこでも電動リフトを使用して車椅子で移動でき、車椅子のまま使えるトイレやシャワールームもありました。
目が見えない人でも舵を取ることのできる音声アシスタントもありました。
船のへさきに突き出したバウスプリットと呼ばれる低いマストも先端まで車椅子で行くことができます。
航海中にへさきで海を見ていて、たまたまやってきた車椅子使用の人を手伝ってバウスプリットまで連れて行ったのですが、彼が震える声で「Fantastic…」とつぶやいたのが、いまでも耳に残っています。
世界中でこの船でしかできない唯一の体験を提供していた、そんな船でした。
ちなみに、Lord Nelsonでの航海についてはこちらのnoteに書いています。
帆船は維持に相当のコストがかかります。
乗船費用だけで賄うのは不可能で、多くの民間帆船は寄付をその収入の柱としています。
Jubilee Sailing Trustは活動コンセプトがユニークなので、帆船運用団体のなかでも比較的寄付が集まりやすいとみられていたので、突然の事業中止にはJubilee Sailing Trustですら船を維持できないのか、と驚きました。
■トレーニングからクルージングへ
Jubilee Sailing Trustの業務停止を知ってからひと月ほどして、ぼくはfacebookでこんな投稿を見つけました。
Jubilee Sailing Trustの船でボランティアクルーをしているらしき人。
Jubilee Sailing Trustはじめ、イギリスの帆船が苦境に立たされる中で、オランダでは伝統的な帆船での航海を提供する団体が増え、それぞれの規模も大きくなっていること。
セイルトレーニング発祥の地であるイギリスの帆船が「トレーニング」にこだわっていた間に、オランダの船ではトレーニングと共に、船内生活の快適さにも注力していた。
その結果が、リピーターや新規顧客の獲得にも繋がっていたのではないか。
また結果として乗組員の待遇改善にも寄与しているのではないか。
ぼくの貧弱な英語力でも、こうしたことが読み取れました。
確かに、イギリスで活動している船の話題を最近はあまり聞かないとは感じていました。
また Stad Amsterdam 意外にも大西洋な太平洋で外洋航海を企画するオランダ帆船が何隻かいることも知っていました。
漠然とですが、オランダなんかすげーな、とも感じたのも事実です。
余談ですが、大航海時代の船内での食事はまずかった。
固いパンと薄いスープ、塩漬けの肉…みたいなイメージがありますよね。
それも間違いではないのですが、どうやらこれは「イギリスの船」の食事が…ということらしいのです。
ある時に、「大航海時代の食事を食べるイベント」みたいなのができないかとリサーチしたことがありました。
そこで出てきたのはイギリス海軍がまずい食事を食べていた同じ時代、フランス海軍では船内の食事事情が劇的に改善されて、船内でカマドが使えるようになり、毎日パンを焼いて、温かい食事が提供されていた、という情報です。
この話はさらに突き詰めていくと、人生に対する国民の意識や、カソリックとプロテスタントの宗教観の違い、みたいな話に広がりそうだったのですが、そこまでは興味がなかったので、当時f
リサーチをそれ以上進めませんでしたw
ただ、今の時代のイギリスとオランダの帆船運用ポリシーの違いを聞いた時に、最初に頭に浮かんだのはこの話。
なんかいまでも国民性の違いってありそうですね。
■とにかく乗ってみよう
そんななかで Stad Amsterdam 日本寄港の話を聞きました。
20年前に乗ったイギリス帆船といまのオランダ帆船。
そこにはどんな違いがあるのか、ヨーロッパ帆船業界のスタンダードはどんなものなのか。
「乗り帆船」としては興味が尽きなくて、ぼくは乗船を決めました。
長い前置きになりましたが、ここまでがなぜ Stad Amsterdam に乗ってみようと思ったのかのお話です。
そして民間の帆船とはどういう存在なのか、またそのあり用がどう変わりつつあるのか、について、ぼくなりの考えです。
実際に航海に参加してみて、いろいろと思うことはありました。
とはいえ、久しぶりにただのゲストとして帆船に乗ってみて、そんな小難しいこと抜きにして、ただただ楽しい!とも感じました。
そんな Stad Amsterdam で体験したこと、感じたこと、考えたことをこれから書いていきたいとおもいます。
………有料noteで。
まあウチも仕事休んで帆船乗ってるのでいろいろ大変なんです。
少しでも回収しないと、次に船に乗る資金があれなので、ご容赦ください。
一応、こんな内容で書いていこうと思ってます。
□帆船Stad Amsterdam での航海記
旅行好きな人向け。航海中の船上でどんなことがあったか。
読み物として楽しめる旅行記です。
□客船としての運用について
実際に帆船の航海に乗ってみようかと感じた人向け。
船内設備や食事、生活はどんな感じだったのか。
申込から乗船までの必要な手続き、向こうから送られてきた情報などについて。
客船でのクルーズに少し飽きてきて次は帆船もいいかなと思ってる方におすすめです。
□帆船としてのStad Amsterdam
これまで10隻近い帆船に乗ってきたぼくが見た、帆船としての運用の特徴。
クルーのマネジメントなどなど。
マニアック帆船好きは一読の価値あり?
こちらです。
そんな感じでアップしていきますので、引き続きよろしくお願いします!
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