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少女服のブランドを立ち上げる夢を見た

謙也は、少女服のブランドを立ち上げる夢を見た?「もう古いよ。少女服なんて、時代にあってない」「オリーブのような雑誌もなければ、市場もないよ。だいいち、人口が減少している」と散々に言われた赤川翔は、「そうでもやりたい。少女服は、少女だけでなく、大人の女性のロマンなんだよ」と言い放った。

正直、ネットで売れなければ、致命傷の時代だ。健全なブランドは、ネットを通して年間売り上げの70%以上を達成している。「むしろ、差別化という意味では、やる価値があるかもしれない。おたくじやないけけど、少数派こそネットの中の存在感がある。世界中に発信できるネットだからこそ、やる意味があるかもしれない」と課長の山本俊輔が賛同した。

百貨店を中心に全国展開してきた名門の飛鳥商事であるが、百貨店の衰退とともに、事業の縮小やブランドの廃止など暗いニュースばかりが目立っていた。それに加え、コロナ禍で客が減った大都市の現状では、立ち直れない厳しさがある。

人間関係も最悪で、いつリストラされるか疑心暗鬼の時期に、新ブランドなど立ち上げる訳がないと踏んでいた。「こんなにスタッフが多いのに、たった一人だけが、味方してくれた」と翔は嬉しかった。

雑誌「オリーブ」は、男性向け雑誌『ポパイ』の増刊号として1981年11月5日号から2冊を発刊。翌1982年6月3日号をもってあらためて創刊号とされたアメリカンコミックから取った名前だ。「リセエンヌ」(lycéenne 仏:lycéeの女子学生)などのライフスタイルを提示、中高生を含む、ティーン向けの文化をキャッチおよび発信した。翔は3代目編集長の淀川美代子を知っていた。1980年代の「ロマンティック・ガール」を掲げ、ファンタスティックなコンセプトを確立した人だ。

妻の明美がイラストレーターで雑誌のカットやイラストなどの仕事をしていた関係で繋がっていたためだ。50歳~60歳以上の”元オリーブ少女”をターゲットにした女性誌「ku:nel(クウネル)」が、雑誌不況の中で右肩上がりの快進撃を続けていると聞いた翔ではあるが、「そこではない。小林麻美や石田ゆり子じゃない。今のキラキラした10代20代の女性でなければ意味がない」と言い切った。

益々、ビジネスから離れていく、夢おい人になってしまった。50〜60代の有閑マダムやミセス、富裕層に向けたビジネスしか残っていないのもファッションビジネスの常識であった。一昔前は、トレンドだ流行だと騒ぎ立てていた時代が懐かしいほど、実用的な衣服か、投機的なブランドの時計やバッグなどが売れる時代になってしまった。

それを覆す勢いのあるものを提供すべきだと翔は、考えていた。往年の「ピンクハウス」「MILK」「ヴィヴィアンウエストウッド」でもない。「過去に囚われず、斬新で新しい何かを発表すべきだ」と思っていた。

息詰まるという言葉がある。どうにもならない状態だった。ロリータ・ファッションでなく、翔はドールファッションに近いのかもしれないと気づいた。「それも誤解がありそうだ。バービーなどのフィギア用の衣装でもない。ドールは、手作り感のあるもの。人間の手で拵えたものだ」と明確に答えをだした。

翔がシベリア鉄道で見た古い家の窓に飾ってあった素朴な手作りの人形のように思えた。古い記憶を辿った。真っ白いドレスは、程よいフレアが入り、襟にはアンティークレースが付けられている。その少女服のイメージが誰にも伝わらないもどかしさを感じた。ブランドを新たに立ち上げることは、会社を起こすことよりも難しい。そんな苦悶の中、夢から覚めた謙也は、笑ってしまった。

赤川翔が実在の知り合いだったこと。コムデギャルソン・オムを好んで着ていたこと。東北の田舎出身だから田舎が合うと「コムデギャルソン・ノラ」と冷やかしたことなどを思い出した謙也であった。

走馬灯のように過去が鮮明に近づいてくる。歳をとるという事実がそうさせるのだろうか。ファッションも目まぐるしく変化する。新しいものが誕生しない。このまま、閉塞感だけで突き進むわけではないはずだ。ファッション大国が総崩れな時は、アフリカやアジア、中東などとんでもないところから常識を覆すスタイルが誕生する。

謙也は、そうしたニューカマーを応援することだと思った。常にアンテナを鋭く受信する体制が必要だ。ファッション業界に少しでも貢献しなければならない。何故なら儲けさせて貰ったから。「老人は、邪魔をしないように後に下がっていないとダメ。政治家みたいに死にそうなのに、邪魔ばかりしていると恨まれるよ」と言われた。
確かに。未来は、若者が作るもの。老兵は静かにさるべき。


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