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春だから桜餅を食う

大山とその裏側に聳え立つ丹沢が白く薄化粧をしていた。謙也はいつもより雪が降るのが遅く感じた。それ程寒く感じ無いと思っていても、山から、雪を括った冷気が押し寄せる。散歩に図書館まで出かけた謙也と優子は、いつも通り、優子がTSUTAYAに並んだ新着雑誌をテーブル席で読んでいる間、謙也は2階の新着本を見ていた。

図書館と言っても一階はTSUTAYAの販売している本が並んでいる。「新着のファッション関連の雑誌や本が多いので助かるわ」と優子はいつも言う。まるで買う気のない読むだけに立ち寄っている感じだ。

謙也は、二階、三階部分の図書館の蔵書が詰まった書庫で、新刊だけのコーナーに立ち寄る。国内、海外問わず文学本が多く、児童書も、優れた作品が多い。児童書と分類されてはいるが、高校生位が対象なので、むしろ面白い。無名だが、力作が多いのもこのジャンルだ。

清水杜氏彦の「少女モモの長い逃亡」
ヒラリー・マッカイの「ビーパートのいた夏」
鈴木るりかの「私を月に連れてって」
ジャズの生野象子の「ビリー・ホリデイとカフェソサエティの人びと」
の四冊を借りた。この四冊を台の上に載せるだけで、簡単に読み取りプリントアウトされる。貸し出し完了だ。どう言う仕組みだか、未だに謙也には分からない。

そうこうしているうちに、お互いに借りたり、読み終えたりしたので図書館を出る。歩いて、この界隈では巨大な商業施設「ららぽーと」に向かった。「ロピア」と言う現金しか扱わないスーパーがららぽーとの中にある。

そこで、「道明寺」を買ってきた賢也。桜餅の代表は、道明寺。道明寺粉で皮を作り餡を包んだ、まんじゅう状のお餅で、道明寺粉のつぶつぶした食感が特徴。桜餅には、大きく分けて関東風の「長命寺」(ちょうめいじ)と、関西風の「道明寺」(どうみょうじ)2種類の桜餅がある。

「桜餅は、桜にちなんだ和菓子であり、桜の葉で餅菓子を包んだもの。雛菓子の一つでもあり、春の季語である。 」とウィキペディアに書いてあるが、そのまま桜餅は、餅米が残っていて、食感がいい。一口で食べられるので、そのまま葉っぱと一緒に口の中に頬張った。

見た目が春の桜餅を見て仕舞えば、「春を感じさせる桜餅を食べたくなった」などと言い訳もいらない。関東風の「長命寺」は、ほとんどの店で売っていない。しかも、見たこともない。

長命寺の桜餅は、1717年(享保2年) 、創業者の山本新六が、大川の土手の桜の葉を塩漬けにして、試みに桜もちを考案し、向島の長命寺の門前で売り始めたのが最初で、東京・墨田区向島5丁目にある甘味処かデパートの一部でしか販売していないようだ。だから、手にも口にも入らない逸品として重宝されている。

謙也は、それほど食べたいと思わないし、向島まで行くモチベーションもなかった。「道明寺で充分だよ」と甘さのある桜餅を食べた。和菓子といえば、茶道に付き物で、茶道で出されるのは、昔から「干菓子(ひがし)」という。濃茶(こいちゃ)のときは主菓子(おもがし・生菓子)を、薄茶(うすちゃ)のときは干菓子(ひがし)、落雁 (らくがん)や有平糖(ありへいとう)をいただくのが普通だが、薄茶だけの場合はこの限りでないそうだ。

ただ、千利休の時代、甘いお菓子は貴重品でした。千利休のお茶会に供せられた菓子目録を見ると、椎茸、果物、煎り豆、昆布といった菓子で、今ではとてもお菓子といえないものばかりだったそうだ。

「京の干菓子は茶道の興隆に伴い、江戸初期から今日までに目覚ましい発展を遂げたが、とりわけ種類100余りを数える亀屋(かめや)伊織の干菓子や、亀屋末広の京のよすが、井筒屋重久の如心松葉、数舗が競う八ツ橋などは高名である。」(コトババンクより)など発達したらしい。

当然、現在では、桜餅も茶道のお菓子の定番なっている。謙也の自説だが、美味しいものは生き残る。ちょっと寄ったスーパーで買った桜餅が意外に奥深い食べ物だったと気づいた謙也であった。「人に歴史あり、食べ物にはもっと歴史ありか」と頷いた謙也であった。

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