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生命の誕生の喜び ふきのとうで思う

春が近づくと、野草菜園に春の知らせが現れる。「ふきのとう」が二、三個芽吹いた。「天麩羅にしようね」と優子が言う。苦味は、冬を越えた身体の毒出しにもなる。何故か、元気になってしまった謙也。新しい生命の誕生でメンタルが強くなれる。

庭に2畳くらいの素朴な菜園を拵えている。苗を買ったり、タネを巻いたりしているが、本格的に農業をやって要る訳ではなく、やりっぱなしで放置していると言った方があっている。それでも、かぶやねぎ、夏にはミニトマト、きゅうり、唐辛子などがなり、収穫できるので重宝している。

兄の友也は、東京農業大学の教授を務めた農学博士で、退職後は、趣味程度だが、少しばかりの畑で耕作をしている。余った野菜をもらうことがある。それには、及ばないが、食べられる形をした野菜ができる。それだけでも、大喜びの謙也と優子であった。

冬には、友也が栽培しているみかん畑のみかんを貰う。結構い甘いみかんで冬の間のデザートになる。小鳥が突いて食べているが、人間のように食い尽くすことはない。側から見れば、悠々自適な優雅な生活をしている謙也一家だが、収入が僅かばかりの年金と漫画家の息子の少ない収入でなんとかやりくりしている。

とはいえ、贅沢をしているわけでもないが、家族仲良く笑って過ごすのが信条で、笑いが絶えない家庭のようだ。謙也の母親も笑うことが好きで、近所の人たちを笑わせていたほどだった。その血を引いた謙也も笑かすことが好きだ。人が集まれば、笑いの渦ができる。

息子も大学でお笑いのサークルに4年間入っていた。M−1の2回戦まで行ったことがある強者だった。それを生かして素人からコミック系の漫画家になった。アシスタントもしているが、「少年エース」の編集がつくまでに成長した。すでに、読み切りだが、5作品が掲載されている。連載も目の前にあるが、そう簡単にはいかないようだ。

漫画は、「鬼滅の刃」しかないくらいに集中してしまった。数多い漫画家の中で、最も不遇の時代に突入している。おじいさん作家のベテランがリタイアしない。いつまでも年寄り作家の連載が継続されている中、編集は作家を育てる余裕がない。

もう一方で、デジタル化の波が押し寄せている。紙がいつまでも続くとは思えないような状況で、出版社は紙に頼るしかない。アニメに先を越され、地道に雑誌や単行本を売ることに懸命だが、読者の高齢化とともに歩んでいく限り将来がない。いずれ廃るのは分かっていても、若手を育てる暇がない。

カラー化やネット化は、急速に進んでいる。アジア諸国に先を越されるかもしれないほど逼迫した現状が待っている。しかも、売れている漫画は数個しかないほど荒れている。格差が広がり、安全な過去のアーカイブのような漫画しかないとなると読者は逃げる。

そんなことの繰り返しをやっている。どの業界も同じだ。アパレルもネット通販は売れるが、店舗が壊滅的な状態が続いている。いずれ、商業施設も客足が途絶え、巨大商業施設はゴーストタウン化する。コロナ禍の中で、格差が広がり、一位以下はゼロと同じようになるような格差が拡大する。

今のうちに手を打たないと、社会が壊滅的なダメージを受けると謙也も憂いでいた。謙也のような悠々自適な生活者でも心配だ。このままでは、ほぼ全員が生活保護を受けるかもしれないが、財源が底を付く。生か死かの二択しか残らないことになる。

謙也はニューズウィークのこんな記事を見つけた。『「車いすの天才科学者」として知られるイギリスの宇宙物理学者スティーブン・ホーキングが3月14日に76歳で死去した。世界最高の頭脳として人類に対する警告を数々遺したが、富の再分配と格差解消を訴えていたことはあまり知られていない。』

「もしロボットが生み出す富を皆で分け合えば、全員が贅沢な暮しをできるようになる。逆に、ロボットの所有者が富の再分配に反対して政治家を動かせば、大半の人が惨めで貧しい生活を送ることになる。今のところ後者の傾向が強い。技術革新で富の不平等は拡大する一方だ」と言い切っている。

言い尽くされているが、マルクスなどが警鐘した「富の再分配」の方法が脱落した社会が今だ。格差社会は、全ての人間を奈落の底に突き落としている。団結すれば、一部の人間たちから富を公平に分配できるはずだと謙也は思う。

人間の醜い富の独占によって、ほとんどの人たちの生活を脅かす悪行に対して、無力な庶民。立ち上がらないと始まらない負の連鎖。惨めな生活を強いられた99%の人間の怒りをどこにぶつけたらいいのだろうかと思う。「人間は一本の葦にすぎず自然の中で最も弱いものである。だがそれは考える葦である」とパスカルは言った。

それにヒントが隠されているような気になった謙也だった。今の時代は、哲学が必要だ。「単なる葦でも考えることができる葦だったのか」とほんの少し勇気と希望が湧いてきた。未来は富の破壊でなく、富の創造に向かうしかないはずだ。生命の誕生のように。それまで生きていたいと謙也は思った。

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