中川庄太郎

野鳥が好きです。

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マガジン

  • 文創記

    関西大学文藝創作研究会の誕生秘話。

最近の記事

拝啓、檻の中より。

サンフランシスコのアルカトラズは、あのアル・カポネが収容されていたことでも有名な監獄島である。海に浮かぶ、刑務所だ。日本の愛知県にも、三河湾の上に浮かぶアルカトラズがあることを、きみは知っているだろうか。その実態はほとんど刑務所なのだが、表向きは学園という体裁をとっている奇妙な施設である。こっちのアルカトラズは、僕が収容されていたということで、そのうち有名になると思う。とにかく僕は、この三河湾のアルカトラズにまつわる愉快な話の数々を、きみに聞いてほしいんだ。 三河湾のアルカ

    • バースデイ無職

      二十八歳の誕生日に、知らない女性から酒が届いた。家に帰ると、玄関先にダンボール箱がひとつ置かれていて、中身はルジェのフランボワーズだった。家飲みに欲しいと思っていたリキュールだ。 知らない女性と言ったけど、知らないのだから、ほんとうは女性かどうかもわからない。ただ「松原絵梨」という差出人の名前だけを見て、そう思ったのである。偽名かもしれないけど、その女性らしき名前と、女性らしいプレゼントのせいで、ちょっとドキドキしてしまう。 僕は通販サイトを利用して、ギフトを贈ってもらえるよ

      • マニック・ピクシー・ドリーム・オムライス

         その妖精は、黒地に白いドットの入ったワンピースを着ていた。艶々と光る髪が、肩にかかっていた。もっと言えば、買い物カートを押していた。カゴに何が入っていたかまでは記憶にない。そもそも、他人の買い物を覗き見る趣味は、私にはない。  一昨日の昼過ぎの話だ。キャンパスの北門から出て、十分ほど歩いたところにあるKというスーパーで、私は妖精を見たのだった。彼女が声をかけてきた時、私はエビを選んでいるところだった。好きなのである。エビのことが。  彼女の声に振り向き、その顔を正面から見た

        • 饗応無職

           あの人はもうダメになってしまいました。なってしまった、というと以前はダメじゃなかったみたいですが、ひょっとしたら、もうずっと前、もしかしたら、最初からおかしかったのかもしれません。それでも、以前は人並みの社会生活のようなものを送っているように、見せかけていた時期もあったのです。先生は悪い人ではない(この言い方は卑怯かもしれませんが)ので、さすがだな、他とはちょっとちがうもんだと思わせるような、しっかりしたところもあったのですが、やはり根っこから、どこかおかしかったのだと思い

        拝啓、檻の中より。

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        • 文創記
          6本

        記事

          はじめてのIKEA

           我が家のソファーはボロボロだった。二人がけの黒い合成皮革のソファーで、僕が学部に入った頃買ったものだからかれこれ八年以上使っていたことになる。一年と少し前。合成皮革にヒビが入り、それからあれよあれよと言う間にボロボロと皮が剥がれ落ちてしまった。補強材を買い、カバーをかけそれでもなんとか使っていたのだが、正直すでに限界であり、そのソファーのみっともない姿は僕の心に小さくはない悪影響を及ぼしているのは明らかだった。  仕事もなく、稼ぎのない僕は、買い替えるなら実家の許しを得な

          はじめてのIKEA

          やまない雨が降る庭で

           おうまさん、どうどう。はいどうどう。  小さな女の子の声。あれはきっと私の声だ。楽しそうに笑っている。誰かが床に手をついて、私を背中に乗せている。大きくて温かい背中。四つん這いになって、テーブルの周りを永遠に回っている。テレビに映っているのはアンパンマン。大好きだったあの歌が聞こえてくる。  おうまさん、どうどう。はいどうどう。  なつかしい匂い。それは男性の体臭には違いなかった。だけど、毎日嗅がされている男たちの体臭とは全くの別物だった。私はまだ女ではなかったし、この背中

          やまない雨が降る庭で

          風船と蜘蛛

           晩夏の候、例の彼女とはいかがお過ごしでしょうか。うまくいっていますか。くたばれ。  ご存知かもしれませんが、わたしは、あの後いろいろとあり、ほかの人たちもいろいろお騒がせして、いまは実家に帰って、しばらくおとなしくすることにしました。こちらはどちらを見ても山のみどりばかりで、あまり人間が(年寄り以外)見当たりません。今後どうするかはまだわかりません。  この前は、突然のことでわたしも気が動転していて、ひどく取り乱して、あのようなことになってしまいました。きみが、泣いてるわた

          風船と蜘蛛

          不思議な種子

           精神病院から退院して間もないある日のこと、僕のもとに謎の種子が送られてきた。 「山本さーん、お届け物でーす」  届けてくれたのは、元気のいい爽やかな配達員だった。 「差し出し人の方は……。何も書いてないですね。心あたりは?」  差出人不明? 通販で何か買った記憶もなければ、サプライズで何かを送りつけてきそうな親しい友達も僕にはいない。そうだとしたら、またあいつか? しかし、僕を毎日監視しているあいつは、僕の妄想だったはずだ。そうなると、全く心当たりがなかった。 「ないですね

          不思議な種子

          赤いユキ

           ど、ろ、ぼ、う。左目にガーゼの眼帯をしたYちゃんが言った。ぼくの鼻をつまんで。ぽかんと口と開けたまま、ぼくはYちゃんの髪の毛を見ていた。モサモサした短めの髪の毛は、さわったらきっと硬いんだろう。白い指がすこし冷たい。 「わたしのケシゴム盗んだろ。水色のカドケシ」 「ひらばいよ。づすんでばい」  それは全く身に覚えのないことだった。Yちゃんは、ぼくの鼻を思いっきり引っ張ると、ようやく離してくれた。 「ほんとうに知らないよ」 「ぜったい盗んだ。この前のボールペンもじゃん」  怒

          極度乾燥の犬

             明け方に 届いた写真 きみに似た 犬をみたよと エディンバラから  腐らせた牛乳のにおいが、自分の口から溢れ出た。乾いた歯茎と唇の間にじいんとする痛痒さが挟まっている。口を動かすと、前歯の上のあたりがひどく痛んだ。きっと口をあけて寝ていたのだろう。自分の口臭で目がさめる朝ほど憂鬱なものも他にない。  洗面所で鏡にうつす。両手の指で上唇を持って引っ張った。歯並びが悪いと、鏡を見るたびかなしい気持ちになる。上の前歯が不恰好に大きく、黄ばんでいて、向こうが見えるほど隙間が

          極度乾燥の犬

          九官鳥

           二年ぶりに、蒲郡市にも雪らしい雪が一晩降った夜、キュウちゃんはわたしの腕の中で眠るように死んだ。老衰だった。  ちょっと前から元気がなかった。あんまりおしゃべりもしなくなったし、前みたいに一日中止まり木の上でぴょんぴょん飛び回ることもしなくなった。朝、カゴに被せておいた布をとっても、うずくまったまま首をすくめてじっとしている。おかしいなと思ってずっと心配だった。その夜は、日が沈むとすぐに重たい雪が暗い空から落ちてきて、築二十年の安アパートの玄関や廊下は壁や床が凍っているかの

          かみさまと折り紙

           とうとう精神病院に入れられちゃった。理由を聞かれたら、双極性感情障害だからと答えるけど、それは間接的な理由で直接のきっかけではない。首を吊ろうとしたのだ。もちろん実行する前に入院させられてしまったから、今こうして生きていられるわけだけど。  どうして死のうとしたのか。理由はたくさんあったはずだけど、うまく説明できない。抑うつがひどいと、集中力や記憶力が著しく低下するのだ。だから物事を体系立てて、論理的に説明する力が今の僕にはない。いつも思考にノイズがかかっているような状態だ

          かみさまと折り紙

          文創記 第5話 グッド・バイ

           二〇一七年の、六月のある晩のことだ。  僕はWから、彼の家に呼び出された。 「すべて本当のことを話そうと思う。その上できみに頼みたいことがある」  彼はそう言ったんだよ。  連絡を受けてから、僕はずっとそわそわしていた。さして気にしてはないような口ぶりで返事をしたが、内心おだやかならざるものがあったんだよね。だから僕は、約束の当日も、気持ちが落ち着かなくて、いつものno-signでたっぷり時間を潰してから、早足で彼の家に向かったんだ。  そこで聞いた話を、僕はここに書

          文創記 第5話 グッド・バイ

          文創記 第4話 約束

           今思えば、僕らは似た者同士だったのかもしれない。いや、僕とHさんが似てるなんて、僕らのことを実際に知っている人が聞いたら大笑いするだろうけど。でも、そうだった気がするんだ。僕らは、おなじところに、おなじカタチの傷を持っていた。なんとなくだけどね。そう思うんだ。  僕らが似た者同士かどうかはさておき、ふたりとも、さみしがり屋のくせに、プライドだけは人一倍高かったのは事実だと思う。そうして、こういうタイプの人間が、しあわせになるのはむずかしい。かなしいけどね。  そう、これはか

          文創記 第4話 約束

          Nを想う (文芸部文学パート二〇一六年夏合宿紀行文)

           モミノキが枯れたらしい。「寿命だろうか」「虫がついたのだろうか」「水のあげすぎが悪いと聞いた」「今、調べている」両親がそんな話をしている。祖母が、どうせ私のせいだと言うのだろうと、杖を投げて泣き出した。彼女はもうボケている。一日中テレビを見ていて、そうして、一日に一度は癇癪を起こして泣き出す。祖父が、かなわんなあと、逃げるようにどこかへ消える。ゲートボールかも知れないし、競艇かもしれない。それらの声は、昨日聞いたものか、今朝のものだったか、はっきりしない。  私はひとりでお

          Nを想う (文芸部文学パート二〇一六年夏合宿紀行文)

          風船

           ヘリウムガスの入った銀色のアルミの風船が僕の頭の上でゆらゆらと揺れている。かぼそい紐が僕の小さな掌のなかで、弱い力で上へ上へと逃げていこうとしていた。僕は背伸びをして、玄関の窓から体を乗り出し、真夏の星空に逃げていこうとする銀色の風船を掲げていた。生暖かい風が僕の頬を撫でて、風船を揺らしている。田舎の風は草の匂いがした。 「はなしてはだめよ」  車から降りてきた母が言った。母の友人とその旦那さんが遊びにきて、みんなで食事に行った帰りだった。僕はまだ、三歳になる前だったと思う