「好き」を忘れたあなたへ
3年間付き合った恋人に浮気され、以来5年間「好き」という感情を本当に綺麗サッパリ忘れてしまいました。
今回はその当時の話です。
本当に突然、気がつくといつからか「好き」がどういう感情だったか分からなくなっていたのです。
今好きな人がいる方には想像がつかないかもしれません。
私も、当時は好きという気持ちになることが稀有なことだなんて思っていませんでした。
本気で恋してた高校時代
私は高校生の頃彼氏がいました。
付き合うきっかけは、いつもちょっと遠くから見ていた彼に、私から想いを告げたことでした。
良い返事をもらったときの少女漫画の主人公になれたかのような、ドラマチックでキラキラした感情。
今でも大切な想い出です。
そこから3年間一緒に過ごしました。
当時の時間の流れは今よりも遅く、思い返しても相当長く付き合ったような気がします。
円満に過ごしていた私達ですが、ある日、私の人生でも最悪の電話がかかってきました。
「ごめん、後輩と手繋いじゃった」
…ん?どういうこと?
今思えば、可愛いもんです。
でも当時は、
何故それを私にいうの?
後ろめたいと思ってるなら何故?
そんなことをぐるぐると考えていました。
結局、私の離れた気持ちが戻らず
私から振ってしまいました。
その時は、
本気で好きになっても、こんなにも悲しい結末になってしまうなら恋なんてしたくない
と心の底から思いました。
何年間もの想い出はなんだったのか。苦しかったです。
そこから「好き」を見失った5年間
別れた時期がちょうど大学生になりたてでした。出会おうと思えば出会えたんでしょうが、そんな気分にはなれませんでした。
恋愛する気なんてなかった私ですが
それからしばらく経ってから
一人の男の子から告白されました。
思うに、付き合うっていうのは2パターンあると思うんです。
①お互い両想いで付き合うパターン
②どちらかが好きで、相手にとって“付き合える人”だからOKするパターン
経験したのは後者でした。
告白された人がいい人なら
あとから好きになれるものだと思い
その時はOKしました。
しかし、結論、「あとから好きになる」はありませんでした。
理由は明快です。
嫌なところがない人は他にも沢山いるから。
“一緒にいて楽しいから好き”
という言葉もよく聞きますが、一緒にいて楽しい人なんて、よく考えたら沢山いたりしませんか…?
楽しいだけじゃなく“その人”を選ぶ理由があるべきです。
その時はそんなことに気付かなかったので、関係は長続きはしませんでした。しかし、“すぐまたきっと好きな人なんてできる!”と思い込み、自分の恋愛を顧みていませんでした。
その後2年間くらいで何人かと付き合いましたが、全て告白され、自分の基準を満たす人であれば好きでなくてもOKしてしまっていました。
(……学習してくれ〜!…笑)
その頃から、段々と私の恋愛の価値基準はおかしくなっていきました。
こんな具合にです。
料理と運転できる人、好きかも!
……明らかに基準がおかしくなっていますね。
友人に話すと腹を抱えて笑われます。
しかし当時の発想はこうでした。
自分が苦手なことや出来ないことが出来る人って尊敬する!=好き?
確かに、全く同じ性質の人よりも、違う特技を持っている人はかっこよく見えます。運動できて素敵だな、とかはよくありますよね。
でもそれは「好きな人」が「自分にはない魅力」を持っているからであって、自分の場合は、尊敬=好きになってしまっていて、しかも尊敬の理由も壊滅的に浅いので、上手くいくわけないですよね。
こんな当たり前のことが、よくわからなくなってしまったのにはもう一つ理由がありました。
好きじゃないのに結婚してる人がいる?!
20代に突入していた私は、「好き」以外にも、「お金の使い方は理解できるか」「一緒に住めるか」「結婚できるか」を考えはじめた時期でした。
周りや先輩にも、
好きじゃなくても付き合ってる人
好きじゃなくても結婚してる人
好きだけど(金銭面などで)付き合えない人
など色んな人が存在するようになります。
好きじゃなくても暮らしのパートナーとして選んでいる人がいるなんて、初めての価値観でした。
今では出産のパートナーと結婚を分ける考え方もありますよね。「恋人」「パートナー」の在り方は実に多様化しています。
それに気付いてから、
もう高校時代のような純粋な「好きなんて存在しないんだ」と自分の中で納得するようになってしまったのです。
いつしか、「そういうものだ」と思い込んでいました。だから、「好き」という感情ではなく、「どういう人なら一緒に入れるか」という要素から無理に逆算してしまっていたのです。
4年間くらいはこの迷子の中にいました。
突然の出会い
月日が経ち社会人になり、会社の先輩たちと飲んでいたある日、二次会で隣の席に数回話したことある程度の先輩が座りました。
当たり障りのない会話をしていただけですが、
自然とペースに合わせてくれて
相手もそれを苦にしていない。
他の人には感じない、
この心地よさを好きというのかな?
とも思いましたが、
慎重に考え、
何回か二人でご飯に行きました。
そこで自分は初めてこんな感情を抱きました。
この人をサポートしてあげたい。
衝撃でした。
今まで求めていた彼氏像の「料理ができる人」というのは詰まるところ、「自分にできない魅力を持っている人」ではなく、「自分に利益のあるスペックを持っている人」だと気づき、何と愚かだろうと猛省した瞬間だったのです。
してもらいたい!
ということばかり考えていた自分ですが
このとき初めて
自分がしてあげたい
と自然と思ったのです。
そんな人ははじめてでした。
今の自分にとっての「好き」はこの感情のことだと思いました。
さいごに。
好きな人というのは何歳でも現れる
でも「好き」という感情は年齢で変化する
高校の頃のような恋愛を探した結果見つからず、よく分からなくなってスペックを求めてしまっていた私。
社会人になった今では、今なりの恋愛というのがあることが分かりました。「慈しみ」に近いでしょうか。
高校生の時に彼氏に「慈しみ」の感情を抱いてる人なんてなかなかいないですよね(笑)
年相応の感情というものがあります。
それを切り替えれずにいると、
私みたいにきっと迷走してしまうでしょう。
そんな私の経験が、あなたにとって
本当の「好き」を見つけるきっかけになれば嬉しいです。
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