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僕の人生を変えた本:「ハイライトは蒼く燃やして」

記事を開いた人の中に、このタイトルを見たことがある、という人はおそらくいないのではないだろうか。この小説によって、僕の人生は決められてしまったし、この先生きていく中で、この小説が僕の胸に刻んだ傷は、ずっと残り続けるだろう。その本は、一般には流通していない。もう、手に入れるすべはない。世界に、何冊あるのだろう。三桁もないと思う。僕の一番好きな小説は、そんな小説だ。

その小説とは、機乃遥著「ハイライトは蒼く燃やして」である。まず、この小説はカクヨムにある。僕がなぜこの小説を読むに至ったのかというと、僕はカクヨムで好みの小説を探していた。それは、純文学の私小説だ。この条件で検索してみたところ、この小説がトップに出てきた。そこで、僕はこの小説を読み始めた。12月の初めだった。僕はこの小説を読む手が止まらなかった。読まないといけないような気がした。そして、僕は一晩でこの小説を読み終えた。この小説は、まさに、僕が求めていた小説だったのだ。心の底から、こんな物語を求めていた。とにかく、ロマンチックに言うのであれば、この小説との出会いは、僕の人生において運命出会いだったということだ。

 「ハイライトは蒼く燃やして」がどういう小説なのかは、文庫本の裏表紙に書かれているあらすじの、最後の一行に詰まっている。

『三人の男女の歪んだ生と死と愛を描く、退廃的で青臭くてセンチメントな私小説』

 この小説は、作家志望のフリーターである主人公「宮澤悠」と、トラウマによって小説が読めない純粋な女子大学生「志乃原翔子」と、汚い社会に染まって小説を書かなくなった、文芸サークルの先輩で、会社員になった「久高美咲」の女性二人がメインキャラクターで、他には哲学科の友人「池野」が重要人物となる。物語の構造としては、二人の女性の中に主人公がいるという構造になっていて、作者が言うように、村上春樹の「ノルウェイの森」と同じ構造をしている。

 物語は、先輩の久高美咲と肉体関係を持ったことをきっかけに、主人公が小説を書けなくなるところから始まる。先輩の小説は憧れだった。憧れとは、ある程度の距離を置く行為で、神格化が伴う。しかし、肉体関係を持つことは、距離が極限まで近づくことであり、神格化は崩れ、主人公の憧れは崩壊し、小説が書けなくなる。

 この作品では、性行為が細かく描写されていて、とにかく生々しい。ここまで生々しい描写がされている小説を僕は見たことが無かった。僕がこの小説で好きなのは、性描写もそうだが、どこまでも言葉が生であるところだ。欺瞞がない。性描写では、もどかしい、閉塞感のある、苦悩に満ちた若者の心理がありありと描かれている。小説を書いていたころの先輩の残滓を求めて、だらだらと関係を続ける虚無感。この作品には、全体を通して、第一話の豪雨に閉じ込められているかのような雰囲気がある。僕は、それが好きだった。

色々と前置きが長くなってしまった。僕はこの作品について多くを語ろうとしすぎたのかもしれない。僕が語るべきはこの作品についてではなく、この作品が僕にどのような変化をもたらしたかということだろう。では、その話をしよう。僕の人生を変えてしまったのは、「ハイライトは蒼く燃やして」の「盂蘭盆の匂い」という話だ。

そこでは、主人公に非通知発信の電話がかかってくる。それは大学時代の哲学科の友人、池野からの電話だった。池野はイギリスにいて、今から自殺するのだと、主人公に伝える。その中のセリフが、僕の人生を変えた。

「それよりずっと良いものだ。実はチベットにいたとき、旅の途中でギターをもらったんだ。もう何十年も前のアコースティックギターだ。使わないからあげると言われてね。今も背中に背負ってるよ。それで、そのときにおまえの言葉を思い出したんだ。何か形にしろって。ひらめいたよ、俺は音楽を作ろうと思ったんだ。そしてさっき、曲ができた。
 イーストボーンの崖にいると言ったよな? 実はその崖の前には、広い芝生が広がってるんだ。俺はそこでギターを広げて、自然の語りかけるままに音楽をつづった。俺の知りうる限りのコードや、ペンタトニックで。適当にな。そうしたら、今まで聞いた中でもっとも美しい曲ができたんだ。俺は不思議に涙が出ていたし、通りすがりの親子が笑ってくれた。そうしたらな、もう俺の人生はここで終わってもいいような気がしたんだ。いままで悩んだことや、苦痛に抗おうとしていたこと、そのすべてがどうでもいいように思えたんだ。すべてが赦されたように思えた。俺はこの瞬間、この音を出力するために生きていたんだと思えたんだ。……だから、死のうと思う」


これは、池野が自殺する理由を語るシーンだ。音。池野が見つけたものはそれだった。この音を出力するために生きていた、もう死んでもいいと思える、そんな音。それは、僕が人生の中で、漠然と求めているものだった。絵にしても、音楽にしても、勉強にしても、僕はそんなものが欲しいのだと、ずっと思っていた。ということに、僕はこのセリフで気づかされた。そして、その音を見つける手段は、僕にとっては小説であるということも、なんとなく感じたのだった。僕が求めている音とは、この小説によって僕は探すことになったのだ。

「残念。それは、おまえ自身が見つけるものだよ。実は俺が言いたかったアドバイスというのが、まさにそれなんだ。いいか宮澤、おまえは、おまえ自身でそれを見つけるんだ。自分が作り出すべき最高の音を。そうしたら、すべてがうまくいくようになる。……おまえの幸運を祈ってるよ。いつまでも、あの世でも」

このセリフが、主人公を貫通し、僕に向けられているように思えたのだ。だから僕は、音を探そうと思った。

鋭く、みずみずしい、氷の刃のような、綺麗な文体で綴られるあの物語は、僕の胸にぐい、と、これでもかと突き刺さり、僕を殺そうとした。それもそのはず、作者は、「僕の小説を読んだ青少年が自殺してくれたらいい」「僕は小説で人を殺したい」という意図でこの作品を書いたのだから。

 僕はこの小説の、同人の文庫本を通販で買った。通販では最後の一冊だった。僕は電子媒体で本を読むのは苦手だし、なにより大好きな小説だったから、紙という実体が欲しかったのだ。本は手紙とともに届いた。嬉しかった。その後、文学フリマで本当の最後の一冊が売られることを知り、僕は文学フリマに行って二冊目のハイライトを買った。僕は二冊欲しかったし、僕の買った二冊で最後だったのは本当に幸運なことだった。僕は文学フリマでハイライトの作者と会うことができた。そこで、ハイライトが好きということを伝えられたし、作っている音楽を聞かせてもらったりと、貴重な時間を過ごすことができた。

一冊の本との出会いが、人生を変えることがある。僕にとってのその本は、「ハイライトは蒼く燃やして」だった。あなたの人生を変えた本は、どんな本だろうか。僕も、できることなら、僕の小説で、誰かの人生を変えてしまいたい。そのぐらいの作品を、僕は書きたい。

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