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受験のふた月前に景色が変わった話。


分岐する道、どっち行く?
今まさに、そんな人がたくさんいるだろう。
共通テストのニュースを見ながら、何十年も前のセンター試験を思い出している。たまには真面目な話をしよう。

高校3年の秋、入院した

その年は散々だった。3年生になっても成績は第一志望の大学になかなか届かず、勘違いから始まった恋は玉砕。兄が大学を辞めると言い出し、母が体調を崩して入院した。

それからしばらくして、自分の右腹に違和感があるのに気づいた。よく考えたら半年前から鈍痛があったような。そしたら野球ボールほどの腫瘍ができていた。のう腫である。

「お腹を切ってみないとはっきり言えませんが、良性と思われますから切れば治りますよ」。医者は淡々と言った。

切れば治るのか。人間って案外しぶといんだな。

詳細が分からないせいか、冷静に医者の話を聞いていた。だが隣にいた母は能面のような、人間の心をどこかに忘れてきた、みたいな顔になっていた。

こうして私は、クラスのみんなが受験準備の最終段階に入ったころ、遠く離れた大きな病院で入院生活を余儀なくされた。

勉強どうしよう。そう思う一方で、なんとなくホッとする自分もいた。これで受験に失敗しても病気のせいにできるじゃないか。失恋相手とも顔を合わさず、周りの変な憐みも気にしなくて済むじゃないか。

それまでの人生で最大の「逃げ」だと思った。いや、これは膿出しだ。

開腹手術から一週間のできごと

手術は全身麻酔での開腹手術。「どうせだから盲腸も取っちゃいましょう」と主治医から提案され(今はこんな提案はないのかもしれない)、盲腸も切除することになった。

手術当日、オペ室で生年月日を訊かれて答えると、そのまま意識がなくなった。大きなエレベーターの中でうっすらと「終わりましたよー」という声。「まるでドラマみたいだな」と、他人事のようにふわふわした感情がわいた。

麻酔が切れて目覚めると、尿管には管を入れられ、お腹の上には錘のようなものをのせられて身動きが取れず。なぜか咳が止まらないし、咳をするたびに傷口が死ぬほど痛いしで、2日ほど眠れなかった。

後で聞いた話によると、いざ開腹したら本当に盲腸炎(虫垂炎)を起こしており、癒着がひどかったそうだ。そんなことある?  両親は「腫瘍は良性で問題なかったが、盲腸はあと少し遅れていたら危険だった」と主治医から説明を受けた。ラッキーだったのか?  まあラッキーだったのだろう。「ものすごく汚かったわー、あんたの盲腸」と、ホルマリン漬けみたいな瓶に入ったそれを見た母が話す。

6人部屋の病室で景色が変わった

一週間後、6人部屋の306号室へ移った。そこは20代、30代の女性ばかりの病室。人生いろいろ。あけっぴろげな彼女たちの話は面白く、自然と会話の輪に入るようになった。

一応受験生なので問題集で勉強していたけれど、机がないとどうにもやりにくい。ベッド用の机を借りられないか看護婦(師)さんに尋ねると、「ここは勉強するところじゃないの、病気を治すところよ」とピシャリ叱られた。もう退院するまで受験のことは忘れよう。お喋り以外は、友達が作ってくれたカセットテープを聞きながら眠る。

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そんな中、毎日病室へ遊びに来た人がいる。同じ病棟に入院中のタナカさんだ。彼女は長年入退院を繰り返す病院の事情通。「〇〇先生と看護婦(師)の〇〇さんは、昔付き合ってた」「〇〇号室は出るからね……」など、やたらと詳しかった。

ご先祖が平家落人だというタナカさんは霊感が強く、時々見えるとも話していた。あるとき私が「前の病室で咳が止まらず大変だった」と話すと、「ぶんぶんどーちゃん! もしかして〇〇号室?」と言い出した。ドキドキしながら「なんで分かるんですか?」と訊くと、「あそこには若い女の人が入ってたんだけど亡くなって。咳がひどくてねえ。それからあの病室に入った人、みんな咳が止まらないのよ」と言うではないか。結果、夜ひとりでトイレに行けなくなり、同室のお姉さん方に付き添ってもらうことになってしまった。幸い自分には霊感がなく、強いて言えば、夏のある夜寝ていた家のベッドが大きく揺れ、ベッドごと高く上がったことぐらいだろうか。たぶん夢でも見たのだろう。

怖い話以外、タナカさんの話は絶好調に面白かった。各自の病状はさておき、みんな明るかった。辛い話も最後には笑いを取って着地させる。見られたくないものは全部見られているし、主治医や看護婦(師)さんたちの前では全員まな板の上の鯉状態なので、いい意味で振り切れていた。「とりあえず生きてさえいればどうにかなる」と最初に教えてくれたのは、この病棟の人たちだ。

306号室の中心で”塩”を叫ぶ

ある日、同室のイトウさんがため息をつきながら朝食を取っていた。

半年近く入院中のキョウコさんが彼女にどうしたのか尋ねると、「ピザとラーメンが食べたい」と涙目だ。イトウさんは減塩食が続き、塩分が欲しくて欲しくてたまらなくなったらしい。

するとキョウコさんが「ここから出前を頼まない?」と言い出した。

もう何十年も前の話なのでお許しを。

「でもナースステーションの前を通らないと、病室には辿り着けないじゃない」と誰かが言うと、「大丈夫。店の人には“3階東病棟の階段まで持って来て”って頼んで、後は見つからないように私が病室まで運ぶから」とキョウコさん。当時はセキュリティもそんなに厳しくなかった。同室のお姉さん方はイトウさんの病状を多少知っていて、「一度ぐらい塩分摂っても支障がないのでは?」 そんな認識でいたようだ。軽いノリで「ピザ食べたい!食べたい!」と、その話に全員がのっかることになった。

しつこいけれど、もう何十年も前の話なのでお許しを。

キョウコさんを中心に計画を練り、実行に移す日を決めた。なんて入院生活だろうか。みんなが受験準備に必死な頃、私はこんなことをしていたのだ。病気になって見知らぬ人と共同生活。傍から見れば、受験直前に入院なんてまわり道にしか思えないだろう。だが今まで同年代の友達としか接点のなかった私には、意外なほどの解放感。同室女性たちから直接聞くリアル話は、病気や結婚のいきさつ、不良時代の話や彼氏列伝、死産の経験や勤め先の話、嫁姑問題など多岐にわたった。それは一人一人の生きてきた証。本やテレビで読み聞きするのと、感じるレベルが全然違う。ダイレクトに心に響いた。話を毎日聞くうちに、自分の悩みや葛藤がとてもちっぽけに思えてきた。


計画実行日当日。

ピザは難なくクリアできたが、ラーメンはナースステーション前を突破したところで見つかってしまった。

「イトウさんはダメよ! ダメだからーー!!」

看護婦(師)さんの叫び声が廊下に響き渡る中、ラーメンを持って急ぎ足のキョウコさんが病室に到着。イトウさんがふた口食べたところでThe end. となった。

私たちは、主治医の先生2名と看護婦(師)さんに叱られた。でもイトウさんの幸せそうな顔を見たので後悔はない。先生方は立場上叱ったけれど、やや面白がっているようにも見えた。「イトウさん、お味はどうでしたか?」と主治医が冗談めいて尋ねると、彼女は「そりゃーもう沁みたわ、塩分が」と嬉しそうに返した。

病人は不幸、寄り道は無駄という勘違い

みんな病人だけど、心の底から笑っているのが先生方に伝わったのではないか。入院生活でひしひしと感じたのは、笑いは大切だということ。自分はネガティブ人間だから悩みの底でまた悩む。でも病室での日々は、ネガティブな自分を守るための防具を取り払ってくれた。人間はスマートには生きられない、もっと滑稽に笑われて生きていいのだと分かったから。もちろん、スマートに生きたい人はそうすればいい。

子どもの頃からガンガン母親に怒鳴られ続けて育った自分は、とにかく人に迷惑をかけず無駄なく最短・最速で生きなければならないと心のどこかで考えていた。上へ(どこの上?)上へと生きるしかない、寄り道許さず。立ち止まる分岐なんてないのだと。そんな勘違いに気づかせてくれたのは、間違いなくこの入院生活である。

直感は鍛えておいた方がいい

退院から約1ヵ月半後、センター試験に臨んだ。

その年は自分の得意科目が過去最高に易しい問題で、他の人との差が出ずに沈んだ。これも運、いや必然か? 浪人する気は無く、ゼミに興味のあった第四、第五志望の2大学を受験した。

幸いにも両大学から合格通知を受け取った。ところが私が進学したいと申し出たのは偏差値の低い第五志望の大学。母は卒倒しそうになった。受験した2大学は同じようなカリキュラムだったので、偏差値の高い方へ進学すると思っていたようだ。私は試験で大学を訪れた際の直感で決めた。この土地に住んでこの大学に通う、ここで勉強する自分。そのイメージが湧いた方を選んだ結果である。

担任に進学先を報告すると「お前……」としばらく言葉を失っていたが、「まあ大学なんかどこ行ってもおんなじだからな」と言った。あんなに偏差値、偏差値と言っていたのに、今さらか。だがすぐに、彼がかつて某難関大学へ通っている最中にまだ珍しかった”授かり婚”をし、5人の子供を育てているのを思い出した。進学の件以来、先生には「ぶんぶんどー=マイペース」とインプットされたみたいで、同窓会では必ず「お前相変わらずマイペースに生きてるの?」と心配される。

直感で大学を選んだ怪しい話を、入学後親しくなった子に話すと意気投合。その子は第一志望の大学に合格したかったはずなのに、願掛けに訪れた太宰府天満宮でどういうわけか第二志望の大学(入学した大学)に合格するよう必死で願ったのだという。後で「なぜ第二志望の大学だけ?」と不思議な気持ちに。だが実際試験で大学を訪れた際、「私の通う大学は第一志望じゃない、第二志望だ」と、聖子ちゃんじゃないけど(このフレーズnoteで使うの二回目)ビビビときたそうだ。人間の直感力は侮れない。

今はただ、生きて生きて、生きのびよう

充実の大学生活だった。当初の志望大学ではなかったけれど、後悔は一つもない。「面白い」を体感する出来事や出会いがたくさんあったから。でも「困ったら誰かに頼ればいい、寄り道してもいい、とりあえず生きてさえいればどうにかなる」と方向転換できたあの入院生活がなければ、充実ぶりは感じられなかっただろう。ちなみに興味のあったゼミは、面接のある2年の終わりにまさかの先生引き抜きでゼミ閉鎖。そのおかげ(?)というか仕方なく別のゼミの面接を受け、これがきっかけで新たな学問を知ることになったから人生は面白い。


友達に頼れば、次にその子が困ったとき支えたくなる。その逆も然り。寄り道すれば、違う世界を知りたくなる。何かを諦めるのは悪いこととも言えない、むしろ可能性が広がる方が多い。だから、とりあえず生きよう。今はただ、生きのびよう。そう毎日人に言い聞かせるふりして、自分にも言い聞かせている。

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受験生の皆さん、人生は思いどおりにいかず行き当たりばったりになることがたくさんあるけれど、それはちっとも恥ずかしくありません。いやそうなったら、楽しむ世界が広がったのだと思ってください。おばさんから言えることは以上です。今後の健闘を祈っています。

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