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恋愛のふつふつ感ー映画「マイエレメント」感想

ケータイが壊れかけて意気消沈したので、気になった映画をみてきました。バービーとスラムダンクとRRRもみたかったけどエレメント的な話がきょうみあるで友達が身近に2人いるということと、気分的なこともあってこれにした。


二人の手が重なり合う時のビリビリ

エンバーとウエイドがいろいろあった末に手と手が触れ合う時、重なった表面がビリビリとなって、ウェイドの体内がぼこぼこと沸騰してるとき、10代の恋愛のときのあのびりびりやんけ!!!!となりいろいろあるけど、この映画恋愛やんけ・・・という感情になりました。エロスとはまた違う…あの時のみずみずしい(かたちのない)感情を形にしたらあんなのかもしれない。初恋の閃光して新しい概念が入ってくる時とも違うし、ただただエロティックな事象ともまた違って。まさに恋愛対象の人と初めて触れ合った時のうおおおおおおおお!みたいな感じに似ている。触れ合ったらどうなってしまうんだろう?という未知への恐怖(ためらい)みたいなのがずっと長く存在していて、ある日突然「え!!!これなん!!」となってそのためらいなど一気に吹き飛ぶようなやつです。

エンバーの「消えて!!(紫の炎)」の時の気持ち

エンバーが後継の儀式の場でウェイドに「消えて!!!」って言った時うああああってなり辛みで泣きそうになったというか泣いた。同じような境遇では全くないけど自分にも身の覚えのある感情だ。なんというか…過剰反応してなにかを守ってるのだ。バレたくないというか。本質を。しかも本当は嬉しいことなのに。それを受け入れるかどうかすらも心が追いついてなくてパニックになってしまってウアアアって整理されてないまま明後日の方向に感情が爆発してしまう感じだ。私はこの感情どこで見覚えがあるのだろう…具体例が思い出せないけど…昔の自分にはよくあったようにおもう。エンバー・・・わかりみ・・・となった。ちょっとちがうのだが、高校の時に好きだった人に冷たくされた時ひどい!!ってなってプリクラに悪口書いてたのを30半ばになって久々に見返したときにウグッ・・・!!ってなったときの感情に似ている・・・。感情の発露が間違ってるで君・・・好きならそれはだめやろ・・・という。

エンバーの感情爆発設定のこと

序盤にこれの描写がでてきて、物語上この性格がいろんな場面でキーワードになってくるんやけど、だいぶ辛かったな。これは早期に療育が必要だ!みたいな感情になって…。深呼吸だけでは無理やろ!と普通にツッコミをいれたくなって。なんだなんだこの物語はノれないな…となった。恋愛して好きな人ができて幸せを手に入れることでメンタル安定するで、みたいにふんわり解決(というか、運命の相手との出会い演出装置に使われた感)してたけど、こういう特性を根性論で解決するのはよくない!!と思ってしまいました。理不尽な客をぼくめつすべく店のルールをきめるとか看板とかステッカーを作るとか別の方法でね(ぶつぶつ・・・)これ言い始めたらきりないのでしょうが。というかたぶんそもそもエンバー接客むいてないんやろな。笑 だから結末もクリエイター(職人)への道に導かれて行って結果オーライなんやけど。むりに環境に適応する必要ないと思うよ。

本当はやりたいことじゃない

これ認めた時のエンバーつらみがやばかった。明確に自分にも見覚えのあることだなー。家を継ぐとかも最初は憧れてたし、それ以上にやりたかった仕事辞めた時の心情と重なる。これはまじでショックなのです。ずっと自分で自分はこれがやりたいって信じてたのに・・・・違うなんて・・・。ショックですよ!多分最初(子供の時)は本当に純粋にこのお店継ぐー!ってなってて。ずっと周りの人からもそれいいねーって応援されてて当たり前になっていた風景がガラッとかわって、エンバー複雑だったろうねー。

炎の人だけの街

事前情報で(多分Twitterとかで)、制作側が明らかにアジア人差別を意識して描いているというのをみかけたけど、本当にそういうマイノリティの街があって、そこの人たちの食べ物が食べれる店をやっているのが主人公ってそのまますぎた。看板のデザインとか文字とか導入の街並みを描く場面で流れる音楽もアジアンな感じでわりとそのまま描かれてた。水の住人(マジョリティ)の家族に招かれて交流する場面はかなり緊張感をもってみてたけど、あからさまな差別とかはなくて安心したが、そういう余裕を持ってもてなすところも強者と弱者のリアルなのかもしれないとおもった。最初何も考えずに見てて。炎の方が強そうやのに炎の方がマイノリティなんや!!って逆のようにおもったけど。そういうプリミティブな強さがルーツになる者が被差別者というのは例に倣っていると言われればそうなのかもしれないと時差で思った。

おかんルール

占い師のおかんが「恋の匂いがする」とかいって目ざとく気づくところに、まずキモ!!!となったけど、その占いの館にウェイドとエンバーを無理やりつれてきて「私が占ってあげよう」といってウェイドが棒に火をつけられないのをみて「そういうことよ」ってドヤ顔するのめっちゃ腹立ったわ。(物語的にはウェイドが機転を効かせてレンズの原理で火をつけたが)かってに自分ルール、自分の土俵でジャッジしようとする感じが嫌。あなたのルールですやん。なぜあなたのルールで私が証明しなければならないのですか?こちらが証明する側なのですか?説明して説得してみろじゃないねん、許可いらんねん。信条の自由やねん。といろいろ思ってしまいます。はらたちます。
「恋の匂いだわあ」とかいってあとつけるのもキモすぎます・・・。ボディーガードとバトルして体力消耗するの謎展開すぎてわらえましたが。最後にその占いの結果が最強だったのかおとんに「二人の愛はほんものよ〜」みたいなお墨付きあたえるのもハピエンみたいな空気だしてるけど許さん。運命じゃなくても本物じゃなくても恋愛ぐらい勝手にするよ。当たり前やんけ。恋愛ファンタジーにこんなケチつけても意味ないのかもやけど。。。笑

私の好きな人はどこにもいない

この映画を見る前、自分が自分と異質なひとを恋愛対象として好きになりがち説を体現したような映画なのかなと期待してた部分が多大にあったが、それはなかった。どこを見渡しても私が普段見かけるようなタイプの人がいなかった、笑
その代わり、エンバーもウェイドも両方自分ぽかってわらた。誰かに共感しすぎて感情が揺さぶられたりぐらぐらしたり、いろんなこと考えすぎて考えすぎてグズグズしてしまう感じとかはウェイドだし、うおおおおおって感情が爆発したり視野が狭くなり突っ走ってしまうところはエンバーだし。でも私の恋愛的に好きな人は、もっと静かで思慮深くて。優しさはあっても過剰に他人に介入しないドライなタイプなんですよね…。淡々と。飄々と自分を持っている。エレメントでいうともしかしたら風に近いのかなぁ。風代表で登場する激おこ上司は全然そういうタイプにみえんかったけど、笑 そういう意味で期待してた「エレメント」感はなかったな。

いいエレメント感

だけどいいエレメント感もあって。それはやっぱアニメーションのたのしさ!雲を載せた熱気球みたいなのが、人が降りたらしぼんでまた乗ったら膨らんでとか、大きな布を被せて日の力で気球みたいになるときとか、ガラスを作るしぐさもそうだし。エンバーが鉱石をジャンプして移動するたびに全身の色が変わって、それに呼応するようにウェイドが水しぶきを自在に発生させて虹をつくるところとか、わーーーきれい〜!ってなったよね。それで最もきれいなのが、伝説の花みたいなのを見ずに沈んだ駅のなかで見るとこ!!!あれめっちゃいい!でっかい気泡につつまれたエンバーを水中を自在に動けるウェイドがサポートしてくれるところも、恋!!ってかんじでよろしい。ふたりの世界やん。そのあとに冒頭でいった初めて触れ合うシーンにつながるのも流れとしてロマンティックよね。あそこにはロマンティックしかない。ロマンティックが好きな私の世界やな。ああいうのをいい!!すき!!っていってる限り、たぶん、ドライな彼らとはうまくいかないのだろうなというはわかってます!!!!!

特技のこと

エンバーがガラスを自由に扱えるやつあるじゃないですか。(そもそも砂浜の砂がガラスになるのはどういう原理????ガラスのもとの素材って砂なん?)あれをウェイドの家族に披露したとき、当たり前のことがこんなに褒められるんだ、みたいな。ああいうのって、特定の文化にいるとみんなそれができて当たり前だけど、異文化圏にいったら重宝されるみたいなやつじゃないですか。そういうのっていろいろあるとおもうけど、それすらもまたそれはそれで「ほんとうにやりたいことはこれか?」みたいな壁にぶつかる時はきそうだよな。私も自分が田舎の文化圏では絵が得意、文章が得意、変わり者だと思ってたけど、外の世界だとそうじゃなかったしな…。(ちょっとちがうか)田舎者だから優しかったり温厚だったりするのもこれに入るんかな?これ言われたときは私はショックやったぞ!そのあとまあ、違う形でどうにかなるけど。だからエンバーもきっとこの先もしれんがあるだろう。この物語はウェイドとの出会いが変化に導いてくれるけどさ、でも本当は恋愛はそういうのは気づかせてくれないよね?笑 でも私は恋愛が好きです・・・。多分恋愛体質だから・・・恋愛体質っていう概念もある意味エレメントですかね?恋愛が好きっていうのは相手に自分を変えてもらえるきっかけみたいな描かれ方をしがちだけれど、恋愛感情というものが好きだと自分で自分を認めることで自分が変われます!!!(あまり伝わらない)10代の青春時代の時の感じがこの映画ですが、そのあとも恋愛する人はこんな話にはならないです。

受け継ぐ歴史が重いという話と、人は分かり合えないこと

「受け継ぐ」という話。上の世代が大切にしてきたものとか思想とか文化とかを受け継ぐというテーマって、いろんなフィクションでテーマになるやつと思いますが、この映画でもそれがけっこうメインテーマのひとつになってきている。まあ、絶対に守らなきゃ!っておもってて力んでても、けっきょくはあなたが幸せだったらいいよ、みたいな家族の愛に気付いて涙・・・みたいな。そういうのに気づく瞬間って確かにある。私も、店とか民族の歴史とかそういう形ではないけど、自分の上の世代が苦労して生活を繋いできてくれたことに明確な形で恩返ししなきゃ(立派な社会人にならなきゃ)みたいなことで自分で自分にプレッシャーを感じてた時期が若かりし頃にあった。今はだいぶ諦めてきたけど0になったわけではないとおもう。ひとつひとつ「できない」ことに気付いて、できないと「終わり」なんじゃないかと怖かったけど、意外と「許される」みたいなときに上記のような感動を感じることもある。だから普遍的なテーマではあるのだと思うけど、それはもうわかったからさ〜みたいな気分でもある。自分が若者ではなくなってしまったからそう思うのかな〜。特にお爺や親戚の人たちからは、何も成し遂げてない自分でもなんだかんだ許容してくれて、訪問を喜んでくれる感じがあり、その無条件さに愛を感じてとてもよい。だけど母は永遠にこどもこどもといってくるし(産めない年齢になれば諦めるだろうが)そういう許容を経験したあとも、やっぱりどこまでも縛りのようなものが追いかけてくるような感覚がある。それは「正直に言えばわかってもらえるよ」というレベルの話ではないように感じる。それこそ「好きな人はここにはいない」と前述したように、この映画の世界観は、そうなのかもしれないけど、分かり合えなさの向こう側ってもう少し違う世界なのかもしれないし、そういうのを自分は今見たくて、この映画はそれではないとおもった。それこそジブリの「君たちはどういきるか」とかはその先の世界(長く続いた完璧に思われたこの世界はもう崩壊だよ。でもまだ別の世界が続くし、それはそれぞれがもっているよ)みたいな。

まとめ

いろいろ拾えてないけれど、ざっくり見た直後に感じたことを、あげるとこのようなかんじだ。思った感じではなかったけれど、恋愛的なたかまりや、ひとつひとつの表現の面白さや、エンバーやウェイドへの共感とかはあり、楽しめた。世界観の設定のこだわりとかを知ったら多分もっと面白いのかも知れないなーとりあえずいまからパンフ読んだりしたいと思います。見終わったあとの友だちと感想を話し合ったらまた違うのかも知れないな。それも楽しみです。


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