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子供を持てない世の中になってしまったかも、というか環境が悪すぎた。ゴリラ女子の手記。


次に生まれ変わるならゴリラのお母さんになりたい。

ゴリラの住む世界はやさしい。食べ物の葉っぱは豊富にあり、のびのびと子育てし、困ったときはコミュニティで助け合う。シルバーバックの雄ボスが守ってくれるから安心して生活できる。子供ゴリラも仲良く遊び、いじめもない。

私には子供がいない。できなかったのではなく子供は育てられないと思ったのだ。もう50代の私がどうしてそんな気持ちを抱えているのか振り返ってみた。

母性がないのかと思ったらそうでもない。ベビーカーの赤ん坊やランドセルを背負った小学生を見ると可愛いと本能的に感じる。他人の赤ちゃんを抱っこさせてもらうとふんわりした気持ちになる。子供の声も好きだ。学校や塾で出会った子供たちの純粋な心遣いも好きだ。黒板消ししてくれたり、おやつを分けてくれたり、重い荷物を持ってくれたり、そんなことでも心があったかくなった。

子供が引きこもりでいい大人の子供の年金も払っている親類とか子供の病気が治らないとか、子供がいることで不幸になっている親戚がいる。

学校で働いていたとき障がい者の子たちと関わった。先生や同級生に向かって唾吐いたり、排泄物を口にするなど行動に問題のある子もいてとてもじゃないが知的障害の子の母親になるのは無理だと思った。

きちんと育てられないなら子供作るのはやめた方がいい。自分の親がそういう親だったから、子供ながらにあかんと思っていたのかもしれない。反面教師にして育てればと言われたこともあるけど、ダメな親のこと思い出したくない。

私が七歳の時に親が離婚した。理由は父親に好きな人ができたから。
それはしかたないことかもしれなかったが、子供まで元妻と一緒にさよならはないと思った。男親にとって子供ってなんだったんだろ。子供への愛情より、新しい女への愛情の方が大きかったんだろう。無責任というか結局は自分のことしか考えていない人ばかりなんだなと子供なりに悟ってしまった。

母子家庭になって貧乏になったら、学校でいじめの対象になった。無視されるとか悪口言われるとかありがちなパターンだった。暴力がなかったのは、私は体格がよく、暴力には暴力でやり返していたからだ。蹴られたら拳骨で頭をねらって殴り返した。そうでもしないと学校で生き残れなかった。不登校になったら人生終わりだと思っていた。

大人の世界でも子供の世界でも、貧乏人はひどい扱いを受けるのである。日本人は弱いものをいじめるのが大好きな人種なのだと知ってしまった。みてみないふりしている子たちも多かった。たぶん親に「面倒なことに巻き込まれるから、関わらないこと。助けたりしたら次はあんたがいじめられるよ」と教え込まれたんだろう。

こんな人生なら生まれてこなければよかったなあとボロボロのランドセルに教科書を詰め込みながらため息をついた。きちんと育ててくれよと親に言ってやりたかった。

10代、20代のころは不細工ゴリラ全開だった。肥えて肌もボロボロだった。菓子パンや栄養価の低い食事で太ってしまったのだろう。保険証を手に入れて皮膚科に通ったが、思春期の時にできたひどいニキビ跡はもう手遅れで治らないと医者に言われた。太りやすい体質も生活習慣で確定ししまい運動しても劇的に体重が減ることはなかった。

ほどんどの男性は、容姿の劣っている女には冷たかった。合コンでゴリラと呼ばれたこともあった。酔っているからしかたないのかと思ったが、さすが頭に来て店を飛び出した。背後からギャハハハハという品のない笑い声が聞こえた。振り返る。人を馬鹿にして笑いをとる男たちがくだらない人間に見えた。

奇跡が起きて、ムツゴロウさんみたいな人が私を嫁に迎えてくれた。ゴリラは一緒にいて楽らしい。結婚というよりか同居しているノリで、世間で言う夫婦とは違うかもしれない。

頼りになる親戚、資産、美貌、学歴など私にはない。そんなものでマウンティングして人をランク付けする自体おかしいといつも思ってきたが、世間というものはそういうものなのだ。

子供がゴリラと呼ばれていじめられるのは忍びない。男の子ならまだしも女の子ならコンプレックスになるだろう。私みたいにいじめっ子にパンチを炸裂するような子に育ってほしくない。女の子に産まれるならゴリラじゃなくてプリンセスになってほしい。

いじめのない私立の小学校に入学させることは私たちの年収では無理だった。援助してくれる太いジジババもいない。私の母親は新興宗教をやっていて、お布施に大金注ぎ込み大した貯金はない。サバイバルな子供時代で鍛え抜き、結婚し、仕事もし、今の生活を手に入れた私は強い人間かもしれない。ゴリラ並みの戦闘能力とメンタルを持った女でも、この世界では子供を守っていけない。

私は銀行員で夫も市役所勤、世帯年収が800万超えていても、両親揃っていても子供に良い人生を提供するのは到底無理ゲーだと思ったのだ。自分の子供を守っていけるだけの強さが自分にはないとわかっていたから子供を作らなかった。

私には、ずば抜けて頭がいいとか特別な才能もなかった。唯一、私が誇れることがあるとすれば健康だ。風邪もあまりひかないし、新型コロナにも罹らなかった。ゴリラなので体力と健康には自信がある。闘病している人からは健康が一番だよ、あんた十分幸せだよ言われると思う。容姿が残念なら全然もてない。就活でも苦労した。健康で働き者のゴリラの需要はなかった。不健康な美女の方が愛されるのだ。

貧乏になったら搾取され続け明日の生活に怯える人生が待っているだけだ。貧困から抜け出すことは並大抵なことではない。這い上がってきた私だからわかる。こんな世界に生まれてきて子供は幸せなんだろうか。

子供って産まないといけないものなのだろうか。いたら幸せになるものだのだろうか。強制ではないってわかったら気が楽になった。

あんた考えすぎなんだよと言う人いるかと思う。考えるより子供産んじゃえば、育てるよって言ってくる迷惑なオバサンもいた。

まともな家庭でやさしい世界に生まれていれば、たぶん今頃人間のお母さんになれたと思う。結局のところ、環境がダメだったから子供を育てるのはダメだと決めつけてしまったんだろう。

ゴリラの私には人間の世界は本当に生きづらかった。人間に生まれてきたら要領良く生きていけたのかも。

来世は、コンゴの密林でのびのびと生きるゴリラのお母さんになりたい。







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