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タルホと月⑨ カフェの開く途端に月が昇った

稲垣足穂は様々な自伝小説を書いている。

そして、そのほとんどは同じ話である。ただ、エピソードや語りたいテーマが変わるだけで、彼の人生に起きた出来事を文章に落とし込んでいる。
だから彼は小説家というよりも作家の側面が強い。エッセイストとした括り方をするほうが正しいかもしれない。

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この、『カフェが開く途端に月が昇った』は1964年の作。足穂64歳の作で、まだブレイク5年ほど前の時期である(40年近く、足穂は顧みられなかった)。足穂は1968年に三島由紀夫の推薦で第1回日本文学大賞を『少年愛の美学』というエッセイにて受賞する。

この『カフェが開く途端に月が昇った』名古屋の同人誌『作家』で発表されて、当初は『未来派へのアプローチ』というタイトルであった。

未来派とは、1909年にイタリアで起こった美術運動であり、足穂は絵画においてはこの未来派に大変に惹かれている。彼の文章もまた未来派であり、写実や象徴などのものに目もくれていない。

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今作は、足穂が未来派という芸術運動に接して、彼の芸術感、そして芸術的な出来事を認めた作品である。

若き足穂は東郷青児の『パラソルのさせる女』という作品に衝撃を受けて、彼に分厚いファンレターを送っている(が、宛名間違いで返送された)。東郷青児の『パラソルのさせる女』は、足穂にとって求めていた未来派の絵画であり、自分が作りたいものがここに集約されていたのである。
この女に関して、足穂は竹久夢二の絵を遥かに飛び越していて(東郷青児は竹久夢二と懇意だったが、彼の妻を寝取った)、かつ、北原白秋の『金口の露西亜煙草のけむりよりなおゆるやかに燃ゆるわが恋』という歌にも重なると言っている。

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然し、東郷青児から教えを乞おうとして家まで押しかけたものの、何者か相手も警戒し、ほぼ会話もなく別れたという。東郷青児はウルトラにイケメンであった。そして、後年、東郷青児はまさに大衆に売れる美女像を山程描いて大家になるが、足穂はその絵には失望しており、ポスター描き屋と乏している。

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上記の絵のようなものこそが、代表的東郷青児絵として有名で、一般に受ける絵であるが、足穂には表層的な美麗さなどは必要ないのである。

未来派作家で有名なのはフランシス・ピカビアなどであるが、足穂が特にご贔屓にしていたのが、カルロ・カッラである。カルロ・カッラは初期は普通の絵を描いていたのだが、1916年頃から形而上絵画を描き始める。形而上絵画とは、シュルレアリスム的な絵画の先駆であり、前衛絵画である。
足穂は、カッラの『母と息子』という作品に深く惹かれていて、この作品は自分の作品集の表紙にお借りしたいほどである、と絶賛している。

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奇妙な絵画であるが、水兵服やボール、サイコロや定規など、足穂はここから画家の幼児の頃の記憶が絵に関連しているのではと推測する。
そして、このマネキンの首の形を原始ペニスと見立てて、この部屋を幼少年の秘密の部屋だと、そう推測している。

このような、未来派の絵画を足穂はいくつも描いていて、それらは数十点にも及ぶ。足穂は二科展などの選に入るほどだから、絵の才能もあって、そこに彼の文学的、宇宙的郷愁が描かれている。
このエッセイの1回目にも描いたのだが、私はそのうちの1枚を所蔵していて(写真のもの)、『一千一秒物語』のカヴァーになるはずだったものである。
これに関して足穂は、『カフェが開く途端に月が昇った』のエッセイにこう記している。

別な系統であるが、私は無罫のレターペーパーに薄く黄色を塗り、その上に大小の青線で歪な弁慶縞を作り、この全面に太いゴシック体で『TARUPHO ET LA LUNE』と黒く記したことがある。『一千一秒物語』のカヴァーにするつもりだったが、まず佐藤(春夫)先生が、「月光の感じがよく出ている」と云って、ほめてくれた。

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足穂は、後年ブレイク後に京都・大阪と東京にて開かれた個展タルホ・ピクチュア展において、こちらの絵の描き直しや、その他様々な未来派絵画を描いている。それらは凡て、例えば『人間の水は南、星は北にたんだくくの』『六月の夜の都会の空』など、彼の文学に通底する感覚の表象を描いている。一貫してブレないわけだ。

そして、この半自伝小説アート版に関しては、足穂の人生において重要な人物が幾つも登場する。それは彼の文章の精神的同士の猪原太郎や、彼の文章を見てくれて朱を入れてくれ、文学開眼を導いた先生など、芸術家の思考と成長の過程がつぶさに書かれている(然し、足穂なので5回くらい読んでようやく意味が理解できる)。

足穂の小説、エッセイなどを読んでいて誰もが気づくのが、同じモティーフを延々と繰り返していることである。
基本的にはどの作品にも通底するワードが存在し、それは、足穂が修正追いかけているものが1つしかなかったからに他ならない。

今作の元の題名の『未来派へのアプローチ』は読んで字のごとくであるが、未来派とは、彼の作品で語られるデジャ・ヴ的感覚、宇宙的郷愁に連なる。要は、あなたといつかこの星空を見ていた、あの懐かしい感覚。それを、彼は『僕のユリーカ』の結びでも書いている。以下に引用すると、

僕が何時か貴女と語り合っていたのかもしれない遠いクレータ島の夜、やはりこうして語っているのであろう、月の破片が赤道の天に大円環となって懸っている未来の夜、同時にそれは何処か他の星の都会のことなのかもしれないところの夜とは、実はたった今のこれだけだったのです、ねぇー 

この感覚、その虚無をこそ掴もうと苦闘していたのが足穂であり、それに一番近いのが未来派文学や絵画なのである。人間の機微など、彼にはどうでもよかったのである。何故ならば、地上とは思い出ならずや、だからである。
彼は、誰よりも自分自身の為に文章を書いている。

そして、詩人の加藤郁乎の、
「稲垣さんの小説には女なんか出てこないで、飛行機や星や自動車の話ばかりだ、カスミでも食って生きているんじゃないかと考えたくなる

という言葉に、
「酒飲んでるやないの、あんたと同じですよ。僕はこうして液体美女を飲んでますから他には何も欲しくないんですよ。こんなかにみんなはいっている、星も女も神も仏も、あんたも観念しなさい。」
なんという詩想的な言葉で、返答だろうか。私も観念してしまった。

稲垣足穂は、アルコール中毒と苦闘していた。

次回は、古典物語or北落師門を書く。(予定)


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