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フールナイト 2巻

『フールナイト』の2巻を購入して読んだ。

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昨年8月に発売されていたのに気付かずにいて、今になってしまい、書店において久闊を叙す形になってしまった。

やはり、この漫画は良い。

1巻の感想は以前書かせて頂いたのだが、今作は他ではあまりないタイプ(ある種、『地獄楽』の初期を思わせるが、あれも後半はジャンプのスタンダードバトル漫画と化して駄目になった)、転花と呼ばれる設定が紡ぐ世界の仄暗さがたまらなく良い。
この世界では転花(植物)になることで、迫りくる滅びの脅威から逃れようと人類が抵抗しているのだが、1巻の時点ではまだその世界設定はチラ見せであり、2巻からドライブがかかってくる。
転花したと思わしき、蔓の形状の植物人間が、連続殺人を犯し、25人が殺されている。警察も、転花を施す転花院の人間も手を組み、犯人を追う。その中に、転花により特殊な能力を手に入れた主人公も志願し、捜査に協力する。

面白い作品とは、空気が違う。それは、作品世界に漂う空気であり、感情の横溢である。感情が世界を形作る。好きだ、嫌いだ、そのようなシンプルな感情だけではない、切羽詰まった絶望が、この作品に時折顔を見せる雲間からの東雲のような美しさをより際立たせる。主人公とその幼馴染の女性、その二人の友情が紡ぐ糸だけが、ギリギリで、植物になっていく人間たちが棲まう世界に活力を与えてくれる。

これは24世紀の話だが(ここらへんが現代的に過ぎるのが少し気になるが)、今を生きている私達も、前世紀の人間から見れば、特殊な環境に生きているといえるだろう。
未知のウィルスが蔓延し日本国は緊急事態宣言下に置かれているなど、絵空事以外の何物でもない。
絵空事を成立させるのは、感情の複製が上手く機能しているかである。
つまりは、寺山修司の言うように、『歌は感情の複製』であって、人は歌や物語に描かれる複製可能な感情にシンパシーを感じて、それに涙をする。

この作品は、遥か未来の話だが、然し、複製された感情が其処此処におちている。
それこそが、絵空事を成立させる唯一の方法で、全ての作品や歌は、誰かの感情の複製になっている。
2巻において、淡々と積み上げてきたものが壊される瞬間、感情がほとばしる。それは悲劇なのだが、悲劇こそが、複製された感情の最も重要なものだ。そして、それを人は読んで、重ねて、涙をする。

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