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書店パトロール50 私の芸術的菩薩

今日も今日とて文芸コーナーに。

この書店パトロールという駄文、これは、私が気になった本を、買わずに書いているだけだが、まぁ、なんというか、書くことによって、買った気分を味わう、というか、そんな効用が自分にあるものだから、書いている。

まずは目についたのは『夏目漱石 解体全書 増補版』。

2017年に発売された書籍の増補版である。夏目漱石。つまりは、1,000円札である。1,000円札は、マーベル・ヒーローたちよろしく常に新世代にバトンタッチしていく(まぁ、5,000円札も、10,000円札もだが)。
私は一様様を愛しているので、5,000円札はずっと今のままでいてもらいたい。
私は、文豪がイラスト化されているのはあまり好きではない。私はアニメや漫画は好きだ。大好きなのだが、ああいう、文豪とか、武将、偉人のイラスト化には抵抗がある。然し、私も、もしかしてイラスト化されれば、このように可愛らしくなるのであれば或いはー。

その次に気になった本は翻訳本。

シェイクスピア、と、いえば、誰でも知っている。もしかして、日本の1,000円札はシェイクスピアでもいいのかもしれない。
私は、松岡和子さんがシェイクスピアの各作品に関して心理学者の河合隼雄と対談している『快読シェイクスピア』が好きなのだが、まぁ、こういう、なんというか、作品論、作家論、というジャンルの作品群が一番好きかもしれない。

詩、小説、絵画、短歌、俳句、映画、アニメーション、演劇、ミュージカル、書画、彫刻、焼き物、などなど、色々な藝術があるけれども、それらそのものよりも、それらを解きほぐす天才にこそ惹かれるのが私である。

で、そんな作品群、それも海外の作品を翻訳する日常を切り取った日記本が。

私は、日記も好きである。いや、寧ろ、日記、こそが、真の藝術ではあるまいか?
何故ならば、結句、藝術とは全てが自分のことを語ることだから。
人の日記を盗み読む幸福、無論、それは開陳されたものであるから刺激は限定的だし作為はあれども。
だから、本当には密やかに、誰にも明かさない思いを綴るそれこそが、藝術の極北なのだろうか。

で、そんなことを考えていると、平岡正明の作品集が。

二冊で7,000円かぁ。高いなぁ……。無論、金額以上の価値はあるのだろうけれども、やはり、私のような貧乏人には高嶺の花である。
然し、平岡正明、この男のエッセイ郡もきちんと血肉にしなければなるまい。

私はずっと、この『山口百恵は菩薩である』が読みたかった。

と、いうのも、やはり、誰しもが自分の菩薩を追い求めているからである。
自分の菩薩、と、いうのは、まぁ、宗教的菩薩、芸術的菩薩、この二人の菩薩、である。
後者、特にこの芸術的菩薩に関しては、誰もが軽々しく神だとか、そんな風に容易く口に出来る安い存在ではなく、心底、人生を捧げても構わないほどに、それは、西村賢太にとっての田中英光であり、藤澤清造、或いは、田中英光にとっての太宰治みたいなものである。

この芸術的菩薩、それはどこで出会えるのかわからない。それは過去の人かもしれないし、現在の人かもしれない。或いは、まだ幼子で、これから貴方がたの未来を照らす存在が今頃すやすやと寝息を立てているのかもしれない。

然し、この本、文庫ならまぁそんなに値は張らないんだけど、この完全版は高いし、でもでも、完全版、とかそういうものの存在を識ってしまったら、もうそちらしか目がいかない……。

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