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2つの『少年』

川端康成の『少年』に重版がかかったというニュースを読んだ。
川端康成のBL本、ということで話題で売れているという。

私は『少年』は新潮版川端康成全集で読んだが、所謂ボーイズラブ小説とは違い、川端の匂わせ演出で書かれた作品で、何よりも、時代背景を識っていないとなかなか難しい小説で、自伝なのか、虚構なのか、それもよくわからない。

川端とBL関係(と、この本のウリ文句に大々的に出ているので)になる清野少年は、大本教という新興宗教の幹部の息子らしく、大本教とは出口王仁三郎という教祖が立ち上げたもので、この宗教に関しての話が結構書かれているので、その辺りに理解がないと、よくわからない。

実はBL要素もあるひとつの宗教に関しての川端の私見が入った小説で、私はそんなに好きな作品ではない。
ちなみに、出口王仁三郎が影響を受けたのは大石凝真素美おおいしごりますみであり、彼は『古事記』に関してウルトラにその秘密を研究し続け、その大石凝真素美の書いた『大石凝真素美全集』や『古事記』をダンサーの笠井叡かさいあきらが読み解いた日々の忘備録の『金鱗の鰓を取り置く術』という本がウルトラに高いのだが、一度手にして読んでみたい。

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とにかく難しい本らしいので、私の知識では恐らく歯が立たないだろう。

そもそも、『伊豆の踊り子』のラストで、清野少年を思わせる少年の腕に抱かれて涙を流すシーンで既に彼のBL描写は完成形を見ているのである。

『伊豆の踊り子』では薫という一四歳の踊り子に清らかなるものを見る川端だが、所謂『伊豆もの』である諸作品や、その前期にあたる『初代もの』、さらに遡っての天涯孤独に至るまでの『十六歳の日記』(川端曰く処女作、という自己設定の後の手直し作品)の長い長い、川端個人の孤独と虚無、そして、それでいてなお、美しい清らかなる者への憧憬と執着を異常なまでに持つ(だからこそか)彼の歴史を全作品を通して読まなければ、本当には意味がつかめないパズルのピースなのである。

つまり、これは川端ユニバースにおける巨大なサーガの一篇でしかないのであり、まぁ、位置づけ的には『アントマン・アンド・ザ・ワスプ』くらいのものだと思っていただいて構わない。
彼の精神宇宙の中では、伊豆も雪国も京都も鎌倉も全て美しい清らかなるものを見つけて楽しむ庭に過ぎず、このときは清野少年だったわけである。

然し、伊豆の話で一番良いのは『白い満月』である。
この作品には、霊的な力を持ち、未来が視える少女と病気の主人公との話だが、作中に死が横溢していて、この頃の川端の精神状態が顕れているようである。

『伊豆の踊り子』に関しては、薫という少女の名前は本当にはその兄の名前で、彼は梅毒にかかっていたそうだが、そのような現実を持ち込むとあんまり綺麗ではないので、省いている、的なことを川端は書いていた。
まぁ、ぶっちゃけ私小説であり、孤独な川端が独自の観点で人の温かみに触れて涙する、という小説である。

そういえば、『少年』といえば、谷崎潤一郎にも『少年』という短編小説がある。これは、まぁ谷崎のよくある変態小説の一つで、少年たちがお嬢様に悪さをしていたらいつの間にか逆転して、蝋燭で甚振られてうわぁぁぁん、でもなんか気持ちいい…という、いつもの谷崎である。
これは古屋兎丸先生が漫画にしていて、『谷崎マンガ』という中公文庫で読める。これは谷崎潤一郎の作品の漫画アンソロジーで、マイナーな作品も漫画化されているのでおすすめである。アーティストの作品を別媒体で他のアーティストが表現するのはとても良いことである。

それから、鏑木清方が挿絵を描いている『少年』の特装本もあって、これは和本なのでまるで気分は『鬼滅の刃』である。5,000円くらい出したら買えるので、一家に一冊置いておいてもいいかもしれない。

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