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小説における魔術、或いは奇術

戦争から、きらめきと魔術的な美がついに奪い盗られてしまった。

とは、映像の世紀のナレーションで語られたチャーチルの言葉であるが、
これは、牧歌的な戦争から近代兵器の登場により、死者の桁が二桁増えた、大殺戮の時代の突入したことによる。
軍人の戦争から国民総動員の世界へと突入し、第一次大戦の4年間で1000万人が死んだ。
そして、第二次世界大戦では6000万人〜8000万人が死んだ。この頃は世界人口が25億人なので、とんでもない死者数だ。

魔術的な美、とはいえ、戦争は恐ろしい。それは古代から現代、未来まで永劫変わることはない。戦闘の当事者、関係者は地獄であり、悲惨である。
戦争とは常に表現者にとっての踏み絵の如く存在し、特に牧歌的な戦争の頃は、そこに美を見出す、或いは、そこで活躍するものに美を見出すこともあったのだろう。

この魔術的な美、というもの、魔術的なきらめき、というものは、小説にも存在している。
文豪のいた時代、20世紀が最後の文豪の時代であって、21世紀には文豪はいない。辛うじて、村上春樹(私は読んだことないが、世間的な幻想や実績を考慮すると)や大江健三郎が最後の文豪であり、後は職業小説家である。

誰しもが文章を書ける時代が訪れて、そして、誰しもがそれを発表できる時代が訪れた。

明治大正時代の文豪は、要はエリート様である。日本最高峰の学校に通い勉学に励んだ者と、日々の暮らしのために生きていくのに必死の人々との、圧倒的な差があり、凄まじい断絶があって、小説を書く、などは一般の人にはまさに魔術であって、奇術であった。
然しながらエリートも幾人もおり、その中でも成功したものはまさに天才だと定義されるのだろう。

この、天才というのも今では少しのことで与えられる程度の冠になったが、個人的には存命する日本の天才藝術家は宮崎駿だけだろう。天才とは、アインシュタインであるだとか、文明を一歩進める、文化を一歩進める、そのような天賦であって、そんなものは数十億人に1人しか生まれないものだ。

さて、今はスマートフォンですいすいと他人様の知識を簡単に盗むことが可能になったが、昔はまず、文字が読めず、書物は手に入らず、灯りはなく、仕事は辛く、金はなかった。
小説家は先生であったし、御医者様は、より偉大だった。誰もが出来ないことを出来る知識、能力を持って初めて尊ばれる。
今の小説家は先生ではない。画家や漫画家、医者は先生と見なしても良いが、小説は誰にでも書ける。

まぁ、『HUNTERXHUNTER』における念能力のようなものである。
昔は、一握りがオーラを使い、その魔術その奇術で人々は楽しませ、驚かせてきたが、今はクラピカがブラックホエール号船内で念能力を広めてしまったため、多くの素人集団が念能力を使用できるようになり、カオスに近づいている。

小説は鍛錬と訓練で誰でも書けるのだ。でも、所詮は人間。天才とはメルエムみたいなものである。

魔術というものは、誰もが使える時に魔術ではなくなり、その幻想性は失われてしまう。

例えば、中上健次は1994年に死んだが、彼はまだ幻想性を持っている作家のように思えるが、それは生い立ちだけではなく時代も関係している。
2000年代に入ると、巷の作家は、あくまでも文章能力に秀でた人、というくらいで、もちろん素晴らしい作品を書く作家は数多いるし、過去の作品よりも出来の良い作品を書く人も多くいるだろう。
然し、幻想的、魔術的かと言われると、そうではないように思われる。
昭和の作家にはまだ幻想性があった。まだ文豪と呼べる匂いを持っていた。

多くの文学賞が存在し、それは作家たちの希少性、偉大さを後押ししているが、以前ほどの力はなく、形骸化してしまった。インターネットの発達は、人々に知恵を授けて、権威の裏側も詳らかにする。

皆、魔術の種、絡繰りの種、手品の種を識ってしまったのである。
つまり、現代の人は目が肥えている。様々なものに触れてきて、東洋西洋の魔術に触れてきたのだから、当然である。
一昔前のおらが村一番の文章書きは、今ではただの路傍の石である。
然し、逆に誰しもが念能力者の如く戦闘に参加できる。偶に幻影旅団的な強者の作家がいて、そういう人がプロである。

連載再開分ではいい人たち?だと判明した倶楽部活動的グループ。まぁ、文藝サークルである。

然し、今、新しい魔術師、モダンなる魔術師は、必ずどこかに潜んでいる。
現代の魔術師には、文章を磨くだけではない、思想を磨く必要がある。
1億全てが文章を書ける時代、その中で、魔術師になるためには魔法が必要だ。その魔法とは知性であり、思想である。
文章は水であり、活かすも殺すも姿形も自由自在だ。それをどう使うのか、ただ使うだけではない、或いは宇宙へまで連れて行く……そのような使い方が必要だ。

物語など、風化していく営みに過ぎない。その営みをこそ輝かせる魔法が、新時代の魔術師にもまた求められているのだ。

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