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貧困旅行記

つげ義春の『新版 貧困旅行記』を読む。


ああ、ええなぁ。この本、永久に読んでたいなぁ……。そんな多幸感に溢れた本である。

つげ義春のひなびた宿屋巡りが書かれたエッセイをまとめた本である。
鄙びた、というのがミソであって、豪華なホテルなどは出てこない。あくまでも、地方都市の鄙びた宿に泊まるのである。

このような旅行はお金のない若い時にたまたま泊まるなどして体験するかもしれないが、好んでする人間は少数であろう。
例えば、家族3人の箱根旅行で1泊5,000円の宿に泊まり、パン屋で食パンを一斤買って、それを排水で汚れた渓谷で三人でちぎって食べる……。そのような旅行である。

まずは、若い頃の話を書いた『蒸発旅日記』で、蒸発をすることの難しさが書かれるが、私が蒸発という言葉を初めて聞いたのは、いや、蒸発した人物を初めて観たのは、連続ドラマ小説の『ふたりっ子』のオーロラ輝子という演歌歌手に入れあげて駆け落ちした主人公の親父である(あれは蒸発とは言わないか……)。それから、川端康成の小説『東京の人』の主人公の旦那も蒸発しているが、これは蒸発後の旦那目線の話もあるので、完全に消えた人ではない。

この侘しさからエッセイは始まり、読んでいて痛快なことは何もない。だが、心が落ち着くこと請け合いである。

読んでいてよかったのは、『ボロ宿考』という、ボロ宿の存在理由とその裏の意味を書いている話、もう一つは『猫町紀行』である。
『猫町紀行』は萩原朔太郎の『猫町』を題にとっており、これは、山間の幻想の町へと言った話である。
幻想の町、と言っても蜃気楼ではなく、実在の町ではあるが、これはたまたま迷い込んでそこに泊まり、もう二度と行くことのできなくなってしまった場所の話で、これは幻想的な『猫町』のようだと、自分の『猫町』を発見したのだと、つげ義春が嬉しくなってしまう話である。
萩原朔太郎の白昼夢を、つげも体験する。美しい話だなと思う。私にも、いくらか白昼夢めいた記憶の中の猫町が存在している。それを思い起こさせられた。

この貧困旅行記は、読んでいると、車谷長吉を思い出させる。
車谷長吉はインテリもインテリで、天才的な文章能力を持つが、彼は世捨て人になりたかった。彼は実際38歳で再び小説を書こうと決意するまで料理人の下足番として働いていて、その間は東京の編集者から蒸発した人のように思われている。それが書かれているのが『赤目四十八瀧心中未遂』や『贋世捨て人』である。
どちらも軸は本当でも脚色を重ねている。大量のレイヤーを重ねて、嘘を真に、車谷風に言うならば、実を虚で彩っている。
私小説の大半は嘘である。西村賢太も軸は正しくとも、多量の虚で小説を書いている。(ちなみに、『贋世捨て人』は車谷長吉の小説の中でもトップクラスの傑作である。)

蒸発したい、消えてしまいたい人間というのは、本当に誰よりも光が好きである。影が怖くて、闇が怖くて仕方ないから、地獄を覗くのである。
車谷長吉はそれが顕著に出ているから、遂に認められ、自身の最高傑作を書いてしまうと、途端に覇気がなくなった。

地獄を覗く行為は、まだ地上にいるものの遊びかもしれない。
本当に地獄にいるものは、そこが地獄だとすら思わないからだ。

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