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書店パトロールⅪ いつだって本が隣にいてくれる

と、いう気持ちの悪いタイトルをつけてしまったが、基本的に私はネガティブなので、ポジティブな人間が嫌いである。

然し、いつだって本は隣にいてくれる、というのはあながち間違いでもない。
結構な確率で鞄に本を忍ばせる私であるが、然し、そのせいで本が傷ついたり、帯が破れていたりして、肉体を持つことの危険性について考えていた。魂のみ、つまりは電子書籍であれば、まぁ、物質的な損壊はないわけで、然し、急にご臨終というパターンもあったり、状況次第では繋がらないという場合もあって、双方メリット・デメリットがある。

私は基本的には電子派で、しかもSNSで発信できればそれでもう充分である。
本として形にすると、なんか2段階くらいすごいイメージがあり、達成などがあるかもしれないが、そもそも本は一部の芸術品美術品的なものを除けば所詮はただの情報の伝達媒体でしかなく、そんなものは2000年代に入り馬車のごとく価値が無くなってしまった。

それでも大手出版社から発売される=世間に認められる、的な、若しくは金が手に入る、的な、そういう顕示欲に使われているが、本屋に並んでいる本の半数はゴミに近い内容しか書いておらず、有難がるものではない。
漫画ならばすでに電子がシェアを奪っていて、まぁ、書店と印刷会社にとっては紙の媒体がなくなるのは非常に困ることであろう。
電子書籍に完全にシフトすれば本屋は完全に即潰れるので、現代は電子と紙版の値段に差異はないが、まぁ、おかしい話である。

まぁ、だから私は書店に行くのである。書店はいずれは消え去る、東京を行く幻の馬車のようなものであるから。

そして、私はまた、ウロウロと書店を彷徨っていた。
そうして、いつも行くのは文学コーナーである。定期的に新刊が置かれており、私のん!これは新しい本だな!センサーはまず間違いなく当たる。

まずは『本の雑誌』の編集長の目黒考二の追悼特集本である。値段を見て腰を抜かした。3,300円。ひ、ひえー。私は『イコライザー THE FINAL』を観るべきか、この本を買うべきかで心が揺れた。が、無論ロバート・マッコール最後の花道を劇場で、という選択に決まっているわけだ(結局イコライザー3を観たよ)。

しかし、内容が激烈に濃いため、この本は3,300円という値段はけして高くはないだろう。

そして、その近くに置かれた『エクス・エブリス』。

これも様々な文学作品が紹介されている。この本は4,000円近くした。
4,000円。4,000円、というと、アンパンマンのおもちゃの値段が安いものでそれくらいする。アンパンマンのおもちゃを購入したばかりの私に、この価格は手が出させない。
アンパンマンのおもちゃのごっこ遊びのものは7,000円とか9,000円くらいして、特別な時にしか買ってやれない。なのに、自分の本では出すのだから、これはもう人間失格である。なので、4,000円を出して、アンパンマンのおもちゃを購入したのだ。

しかし、こういう美しい本、というものはやはりバーチャルでは味わえない。それは確かにあるが、まぁ、とはいえ、タブレットの画面でも美しいものは美しいため、つまりは肌触りだけの問題である気もするし、あるいはインクの匂い、つまりは記憶。
質感、匂い、そして重み。それはある種愛する人に触れたとき、あるいは生きていることを実感する時になくてはならない感覚に思えるが、それが全て電子に置き換わった時、そのデジタルはアナログを超えて郷愁へと誘うことはあるのだろうか。1999年頃に、友人の家で遊んだパソコンの拙い、遅い回線の中に映るその画面は確かに遠く、触れることは出来なかったけれども、けれども今ではそれも一つの郷愁と化している。デジタルは郷愁になりえるし、触れずとも人は愛することはできる。

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