幼心にも、ジーニーの3つの願いの条件を聞いて、あんま役に立たないなって思ったよ。
『アラビアン・ナイト 三千年の願い』を鑑賞した。
普通にネタバレを書く。
そして、初デートで行こうとしている方には、今作は
①騎乗位シーン
②男のプリケツ
③ハーレム部屋で放蕩三昧
があるので、やめておいたほうがいいと思う。
東宝シネマズ二条、久しぶりである。
私は学生の頃はほぼ毎週東宝シネマズ二条で映画を観ていた。多いときは3本くらい観ていたり、2本観て、そこから京都シネマとかMOVIX京都、みなみ会館などで更に1本観たりしていたが、東宝シネマズ二条はとかくアクセスが悪く、学生には不便なのである。
最近は映画館から遠ざかる日々なので、今作もその存在をTVCMで識ったのである。話題作、有名所、要チェック中の作品は見逃さない、映画ニュースも相当にチェックしているが、今作は取りこぼしていた。ジョージ・ミラーは来年公開予定の『フュリオサ』にかかりきりだと思っていたら、こんな作品を撮っていた。
やはり、TVCMは偉大である。
本来ならば、配信まで待とうかなと思っていたのだが、何故かとても気になって観てきた。レイトショーである。1,400円。レイトショーでも高いなぁ。
で、内容はというと、物語の構造について研究している主人公アリシアが、講演の仕事で行ったトルコで一目惚れして購入した小瓶から、魔神であるジンが顕れて、さぁ、貴方の願いはなんだ?と言われる話である。
アリシアはティルダ・スウィントン、ジンはイドリス・エルバが演じており、『アラジン』実写版における青い精霊であるウィル・スミスとは異なり、腰から下が牧神みたいに獣の鱗のような感じで覆われている。そして、常にミストを放っている。
『マッド・マックス/怒りのデスロード』という圧倒的大傑作を撮り、今はその前日譚の『フュリオサ』が待たれるわけだが、今作は『マッド・マックス』的な狂気は残しながらも、あくまでも対話をメインとした、ダイアローグ映画だった。
アリシアは過去に結婚して、妊娠もしていたが、恐らくは、その先はなかったのだろう、彼女は喪失して、夫とも心が離れて、何時しか一人になった。夫との思い出はパッケージングして、家の地下倉庫に眠らせている。
アリシアは仕事では成功していて、充実した日々を送っている。そんな彼女はジンと出会い、出張先の豪華ホテルの一室で、彼からはるか昔の出来事、今は昔になった物語を語られる。
このあたりの映像は若干ターセム・シンの映画を思わせるし、『300』とかああいうテイストが好きな人は楽しめるだろう。
ジンの語る過去の瓶の所有者の過ちや、自分の過ち、そしてそれが生み出した永劫の孤独に、アリシアは共感していく。
そしてアリシアはジンに恋をして二人は結ばれるのだが……的な展開であり、ランプの魔法使いと所有者の恋物語である。
このホテルでの会話のやり取りが巧みな演技者二人の掛け合いで、退屈無く観られる。アリシアの、少し偏屈だが知性のある女性、そしてジンの品のがありながらも男性性を感じさせる姿が良い。
アリシアは、自分が何故ジンに惚れたのかわからない、と自分で言っているが、ジンはまさに物語そのもので、知性そのもので、彼女の求める全てを持っている。然し、それは、ジンという存在を破壊する願いでもあり、それがジレンマになっていく。
ジンの存在は若干、アリシアの妄想とも取れるように描かれている。2シーンだけ、他者にもジンの存在が見えているシーンがあるが、それも明確ではない。
アリシアは、ジンとの会話の中で、女学校時代の寮生活で、イマジナリーフレンドをノートに書いていたが燃やしてしまったと言っている。
そして、エンディング近くで、一度別れたジンをノートに書き付けている。これは、ジンがイマジナリーフレンドだということであろうか。そして、ジンは彼女に時々は会いに来るのだ、と彼女は言うが、それもまたそのように捉えられる。
ジン、といえば、谷崎潤一郎の『ハッサン・カンの妖術』という小説が思い出される。大正時代の谷崎の作品で、この辺りではインド思想などに興味を抱いていたり、『人魚の嘆き』や『魔術師』などで、異国趣味、オリエンタリズム趣味を爆発させている。この頃がまさに耽美派、悪魔派といえる時代ではないかと思われる。『人魚の嘆き』は春陽堂から発売された初版本は削除板、無削除版、さらには版毎に違いが有り、ン十万円で取引されている作品だ。
で、『ハッサン・カンの妖術』にも魔神ジンは登場する。谷崎は、『千一夜物語』の絵入りの本、それも淫らな絵の描かれた本を取り寄せて、紐解くのを楽しんでいたとも聞く。
セックスをした後、殺されないために楽しい夜伽話をするのが『千一夜物語』であり、エロ公爵である谷崎潤一郎は、やはりこの手の話が大好きな様子。
谷崎は30代後半から古典回帰モードに入ったので、それまではオリエンタルな香り漂う男だったのだ。話題作も、処女作『刺青』(ツェリードニヒ!)以外は一般的にはそんなに話題にならず、『痴人の愛』、『蓼食う虫』、『卍』、『春琴抄』、『細雪』と、40代前後〜50代の作品がメインで、オリエンタル谷崎はファン以外は読まない。
谷崎も小説は40代くらいにならないと書けない、と言っていたので、この古典回帰モードこそ、遂に自分の作風を自覚した時なのだろう。
で、何故か谷崎潤一郎の話になってしまったが、今作は何の映画だったのだろうか、と考えると、私にはよくわからない。
孤独を癒やすのは恋愛ではなく、物語なのだろうか。それとも、人の優しさ、自己犠牲なのだろうか。
人間は一人では生きていけない。それは、魔神も然り。
孤独を癒やすのは物語ではない。然し、物語は孤独を埋めてくれる。そこには人の感情が横溢しているからだろう。
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