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だれが、ふたり目のレイチェルを必要とするのだろうか。

私は『ブレードランナー』が大好きなので、ブレランに関する書籍を読むことが多いが、その中でも最高の評論本はというと、加藤幹郎の『ブレードランナー論序説』だと思っている。

この本は筑摩書房から出ているもので、副題に『映画学特別講義』と添えられている。
この本は、約240ページかけて、『ブレードランナー』を紐解いていく本である。
そこらへんのブレードランナーの緩い評論本ではない。
シークエンス毎に描写などを解説していき、筆者の考察を述べている。

まえがきで、

「映画『ブレードランナー』についてはすでに多くのことが語られている。にもかかわらず、やはりなにごとも語られていない。」

という名言がいきなりくる

私もこれには同意であり、大抵語られることといえば、人間とはなにか、『ニューロマンサー』と並列したサイバーパンクの走り、デッカードは人間かレプリカントか?に終止する。

人間性とは、人間と人造人間の違いとは…。壮大なテーマであり、重要かつ、深淵な話であるが、今作はもう少し、個人的な物語ではないかと思う。

この本に関しては、デッカードはレプリカントである、という監督のアイディアは間違っている、というスタンスである。
監督でも間違うこともある、とそう言っている。
私も同意で、レプリカント説はそれなりに面白いが、やはり人間でないと駄目な気がする。
基本的にはハリソン・フォードはデッカードが人間でないと、観客は誰にも感情移入が出来なくなる、と言っていたが、それは正しいと思われる。

そして、この本でも、様々なことが述べられた上で、表題に使わせて頂いた言葉が記される。
『ブレードランナー』のヒロインであるレイチェルは、人間だと思っていた新型のレプリカントであり、創始者のタイレル社長の姪の記憶が植え付けられているが、フォークト・カンプフテストで、自身の正体を知る。
それに関して、この本では、

自分のことを人間だと誤認していたレイチェルというレプリカントがすでにこの映画の中で周章狼狽し、声にならない魂の絶叫をあげているというのに、なぜ、そして誰が、ふたり目のレイチェルを必要とするのだろうか。

そう述べている。私も同感である。

この本では、歴代の名作映画や古典作品などからの影響は相違、擬えてある部分など、まさに映画史のレッスンも入っているのだが、作者は異様なほど、ロイ・バッティ、つまりはルトガー・ハウアーを褒めちぎっている。

ブレードランナー初公開時の1982年アカデミー主演賞/助演賞のいずれにも候補としてすら挙がっていないという事実は、多数決による受賞がいかに無意味なものであるかをあらためて教えてくれる。

と述べているが、全くその通りであり、今作のルトガー・ハウアーの演技は神がかっている(ちなみに、神だの、素晴らしいだの、最上級の言葉はあまり使わない方がいいらしい。つまりは、お前にはその程度が最上級なんだと、自分の感覚を安く見せることに相違ないからだそうだ)。

まぁ、時代的にはSF映画は芸術の俎上にはなかなか挙がらなかったのは仕方ないが、然し、芸術を志すものならば、SFの方が遥かに人間性を脱却して、真の芸術足り得ていることに気づく筈なのだが…(人間のつまらない些事が好きな人が多いこと)。

この本が素晴らしいのが、様々な文学的な表現で、文学的なSF映画を解説するところで、至るところに美しい文章が現われる。
また、プリスの現われる時のSEを猫の声とし、その呼びかいの叫びとしての狼であるロイの雄叫びの呼応など、これもまた膝を打つような解説が目白押しである。

この本では、『ブレードランナー』における、冒頭の碧い眼が何を見ているのか、誰の眼なのかを、本文の冒頭に持ってきて、最後に謎解きをしてくれる構成になっているが、たしかに、一番真っ当かつ、美しい解釈だと言わざるを得ない。

そうして、続編の『ブレードランナー2049』においては、Kとアナ・ステリンの合成された眼が虚空を眺めるが、眼こそが『ブレードランナー』の始まりであることは衆目の知るところ、未来世界の入り口なわけだが、解体すると、現世と地続きであり、影響を受けていることがありありと浮かび上がる。

SFというものは、どんなに壮大なスペースオペラが幕を開けても、最終的には個人の魂、感情へと焦点が絞られていく。
それは、人間の魂こそが、宇宙よりも巨大な唯一のものだからだ。宇宙すらも、心の中では、記憶の中に収まるのである。

『ブレードランナー』は、ロイ・バッティという個人の魂の物語、記憶の物語であったことを、この本は教えてくれる。

そういえば、2019年にIMAXで『ブレードランナー』のファイナルカットをみたが、お客さんは10名くらいだった。2019年に未来の2019年の物語映画を観た、あの日が、私に最高の映画体験だったかもしれない。

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