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なかなか歯が立たない映画 『鏡』

映画監督、アンドレイ・タルコフスキーの最高傑作である。
人によっては、『ストーカー』だとか『ノスタルジア』あたりを最高傑作とするだろうが、私には『鏡』こそが最高傑作である。

私は『ブレードランナー2049』がマイ・ベスト映画なわけだが、そちらの監督ドゥニ・ヴィルヌーヴは、今作でタルコフスキーを大量に引用している。
一番は『サクリファイス』の木であろう。枯れ木に水を与え続けると、そこに花は咲くのか……。

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タルコフスキーの映画はロシア映画の一ジャンル、スローシネマの系譜にある。
ゆったりとした時間がそこには流れていて、スローというのは、究極的には停止である。そこに永遠が生まれる。
ちなみに、ホラー映画ではない。ホラー映画のように思えるかもしれないが。

『鏡』は主人公=タルコフスキーの思い出の断片と歴史的な動きとを、一切の秩序なく(タルコフスキーとしては整合性があるのだろう)構成した作品である。
この映画は、おそらく観た人間、初見ではほぼ全員が物語を完璧に理解することができないだろう。物語の筋すら終えない。
「俺の記憶の総集編、しかも秩序なく紹介していくぜ」、的なノリなのである。
そもそも、説明は一切ない。けれども、その断片の欠片がとてつもないほどに眩いのである。
作中、タルコフスキーによるナレーションが入る。それは、実父であるアルセニー・タルコフスキーの詩。
この映画には基本的には父親の影は不在(要所で出てくる)であるが、詩として通低音のように流れている。

水と火を神とするタルコフスキーの映像魔術は今作でも(というか全作そうなのだが)、神がかっている。
タルコフスキーは祖国の大作家ドストエフスキーを敬愛していて、今作を撮る少し前には『白痴』の映画化、或いはドラマ化を夢見ていた。
『白痴』はドストエフスキーの大著で、聖人とも呼べるムイシュキン公爵は善意の塊の主人公である。彼が様々な病院から戻ってきて、そこで出会う女性と、悪魔的とも呼べる対象的な男、また、様々な人々との軋轢を経て、病院に戻るという話である(めちゃくちゃ簡潔に書いた)。

タルコフスキーは自身の日記を出版していて、これは日本ではプレミアがついていて高いけれども、映画製作における悩みや、政府からの映画内容に対する横槍などに対する怒り、また、同業者に対しての怒りが大量に書かれている。とにかく、ほぼ怒っている。
今作は亡命前の作品で、この後に『ストーカー』を撮る。

物語に関しては、様々な評論家が解説をしているし、深い読み解きをされている方もいらっしゃるので、そちらを調べて頂きたいが、この映画は様々な思い出の景色と、当時のソ連の状態、そして、幼い頃の思い出には、僅かながらもヒトラーの影が兆している。然し、そんなことは基本的には一切説明がないのである。
しかも、会話でも言わない。と、いうか会話などほぼない。観客は身を委ねる必要性がある。調べるのは後だ。

私の一番好きなシーンは、少年タルコフスキーが目をさますと、父親が母の髪の毛を洗っているところだ。台詞はない。髪を洗い終えると、部屋の壁中に水が滴り始めて、天上が崩れ落ち始める。ホラーのようなシーンだが、その後、母親は水の滴る髪を梳かしながら歩いていく。
このシーンの、壁を伝う水の流れの美しさ、水音の心地よさは格別である。遠く、少年の日に聞いた家の側の森から聴こえる鳥や犬の声が、水音に重なる。
このようなシーンは、文章では表現出来ない……。
そして、最後には鏡越しの老婆が現われる。これは、今、現在の母親の姿であるが、観ている人間はほぼ解読不明なのである……。

また、雨が降る中での火事のシーンも美しく、これほどの静謐さをちょっと他の映画ではお目にかかれない。彼にかかれば、全てのシーンが宗教画のように思えてくる。

鏡に関する書物の決定版には、『鏡の本』というものがある。

これは売れれば、『ストーカーの本』や『惑星ソラリスの本』などを作る予定だったが、無理だったようだ。現在では、こちらの本はプレミアがついている。
この本には大量のスチールや撮影メモ、また『鏡』のタルコフスキーの原作小説「白い日」、そして大学でのティーチインなどが掲載されている、ファン必携の書である。
「白い日」は、今作でも朗読された父の詩、「白い、白い日」が元になっている。

『鏡』は観客に能動性を求める。観客は、恐らくはバカではないが、思っているよりも自身の力を過信している。
意味不明な映画ではない。この映画も、丁寧に解いていくと、そこに魂が顕れてくる。意味が溢れ出してくる。

タルコフスキーはイカれた男である。

彼は『サクリファイス』を撮る際に、クライマックスの長回しの失敗があったときに、もう一度撮影を敢行した恐ろしい男である。

再度セットを作り直したのだから、狂気の沙汰である。

『サクリファイス』は犠牲/生贄の意だが、彼は汎ゆるサクリファイスを使って、芸術を生み出してきた。

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