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夏はいいね。海もいいね

『海がきこえる』は1993年のオリジナルTVアニメーションであり、ジブリの隠れた名作である。

と言っても、もはや大半の人が視聴しているので隠れているわけでもない。初放送に加えて、『コクリコ坂』上映の際、二度目のテレビ放送がなされた。

70分弱の中編アニメーションである。原作は氷室冴子。原作には続編の『アイがあるから』があるから、是非読んで頂きたい。

私のジブリ好きな作品としては、
一番に『風立ちぬ』
二番に『かぐや姫の物語』
三番に『思い出のマーニー』
である。その後に『おもひでぽろぽろ』や『もののけ姫』がくる。
その次くらいに好きな作品だが、この作品は恋愛アニメであり、青春アニメである。

『耳をすませば』と双璧をなす恋愛密度だが、『耳をすませば』は思春期、『海がきこえる』はその終わりである。さらに、前者は少女漫画だが、後者はタッチは青年マンガだろう。
『海がきこえる』は高知に住む主人公杜崎拓の高校に、東京から里伽子というモダンガールが転校してきて、そのために起きる小さな人間関係の変化、感情の機微を中心に描いている。
冒険はなにもないし、ウェットさはかけらもない。

拓には親友のメガネ松野がいて、楽しそうに青春ライフを送っているが、里伽子という異物(貞子とか伽椰子みたいだ)によって関係に漣が立つ。
今作は、拓という少年が青年に変る過程、恋をしている自分に気づくまでの話であり、それは、心情を慮ることしか視聴者には出来ない里伽子も同様である。
里伽子の苛立ちの原因は作中に溢れているが、拓は異常に鈍感であり、何も気づかない。然し、松野だけが気付いている(いや、拓も気付いてはいる。けれども、自分の気持にもまだ幼い男だ。拓も松野もまだ少年である)。
里伽子の機微に気付くのは、松野が恋をしているからだ。恋する男、それも叶わない片思いに耽る男は、恐ろしいほどに相手の心情に敏く、同時に疎い。
今作を愛する男性が多いのは、どうしようもなく松野というキャラクターが男の不甲斐なさ、報われなさを体現しているからである。
拓は正直な話、マスコット的なものであり、いい奴だが馬鹿すぎてどうしようもないのである。

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後半、大学生になった松野たちと同窓会をするシーンで、清水という女性キャラが昔を俯瞰して「あたしらって、本当に世界が狭かった〜。」とか言うのだが、こういうことを言ってしまうのが若さだと思う。彼らはまだ作中子供の殻が少しだけ割れて、ようやく羽根が開こうという時であり、まだ青春のさなかにいるのだから。

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キャッチコピーは、「高知・夏・17歳 僕と里伽子のプロローグ。」だが、名コピーである。広がりがある文章で、私は好きだが、やはりこれはプロローグなのである。

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初恋、或いは青春期の恋というのものは実らない。実ることもあるだろうが、それは極稀であり、あの野原ひろしですら、一緒に自転車を押して歩いていた女の子とは上手くいかなった。
けれども、人は何度でも恋ができるのである。
「あたしらって、本当に世界が狭かった〜。」というのは、いつだって今に真っ直ぐな証拠であり、そして、思春期の恋よりも重いものは存在しない。世界と視野が狭いのは若者の特権であり、恋をしているものの特権である。だからこそ、圧倒的な密度を持って若葉の恋愛は輝く。

この作品は当時のジブリの若手アニメーターが中心となって作った作品であり、彼らの座談会がDVDに収録されていた。それは堪らなく面白いので、是非見ていただきたい。
この作品は青春が描かれている。描いていた人たちもまた青春していたアニメなのである。



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