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森の精霊トトロVS海の悪魔ポニョ

どちらも監督は宮崎駿である。

『となりのトトロ』は1988年に『火垂るの墓』と同時公開したが、まぁ、12億円くらいの興行収入で、70万人〜80万人くらいの動員で、反対の『崖の上のポニョ』は2008年公開。155億円、1200万とかを動員している。

この20年間で、10倍以上、その途中経過、宮崎駿の映画の動員数は天井で2600万人くらいを超えたわけで、とんでもないことだ。

『君たちはどう生きるか』は結局まだ90億円弱?で、動員数は700万人くらいなわけで、だんだん『トトロ』の頃に戻りつつある。
まぁ、100万人超えればすごいことで、300万人とか400万人とかで、それこそ超大ヒット、なので、やはりモンスター級のヒットだが、私はそんな話をしたいのではない。

最近子どもたちの付き合いで『トトロ』のDVD を、それこそ50回くらい観ているが(これは盛っていない。事実である)、トトロというモンスターの持つ吸引力は恐ろしい。ほとんど無条件で、あの映画を子どもたちは愛する。

私も再見し、やはり宮崎駿が寝る間も惜しんで仕事以外の時間でイメージボードを描き続けた悲願の企画なだけあり、そのイマジネーションは段違いであり、最高傑作はたぶんこれになるのだろう。
まず、作品の強度が段違いであり、多分100年後でも子どもたちに愛される。まさにマスターピースで、多分、10世紀後でも子どもたちは愛するだろう。

サツキはお母さん似。美少年めいた美少女。


何よりも、サツキとメイ、この二人の冒頭のアニメーションが動く動く。とんでもなく動く。試しに観てほしいのだが、冒頭の10分くらいはこの子どもたちの独壇場である。子供の動き。その説得力。

恐らく、宮崎駿最大の武器はその観察眼とそれを絵に落とし込む能力のような気がする。
そして、僅か80分に込められた感情の爆発、美しい緑の風景が童話的な物語をくるんでおり、まさに藝術作品である。

子供の頃はメイちゃんが少しうざく感じるのだが、あの姉妹の置かれた境遇というものは、大人から見ると本当に健気であり、本人たちは大変な我慢をしており、涙を誘うものである。
お母さんへの愛情に溢れて、遠くにいることの寂しさ、それをサツキの学校まで来て彼女に抱きつくメイのドアップで見せるシーンの表情は本当に胸に迫るものがある。
また、なにか得体のしれない時間や存在(バス停での狐様など)をうまく書き出し物語に落とし込み、自然への畏敬への余蘊ようんがない。

さて、『崖の上のポニョ』は人気がない。いや、まぁ人気はあるのだろうが(なにせ155億円である。まぁ、304億円→196億円→155億円→120億円→90億円となると、前作の一般的評価も低下傾向にあるのは間違いない)、同様に子供向け作品を前提に作られたはずの2作に、どうしてこうも隔たりがあるのだろうか。

『崖の上のポニョ』に関しては、完全手描きのアニメーションで、こちらも動く動く、アニメーションならではの水の表現があり、色彩は驚くほどにアヴァンギャルドで、観るものの心を掴む。
そう、ポニョはまさに前衛アヴァンギャルド的過ぎるのである。

『トトロ』は物語の軸が1本筋が通っている。途中、幻想とも言えるシーンも登場するが、その狐の化かし方が物語に寄り添っていて優しく読み手を導くが、ポニョはストーリーが破綻に近いところまで言っており、そもそもが、現実に幻想を落とし込んだトトロと異なり、ポニョは始まりから既に幻想的であり、幻想に幻想をかけることで完全なるファイナルファンタジー13現象を起こしているのである。

幻想幼稚園。『FF13』現象とは、造語に造語を重ねることでワケワカメになる現象のことである。

ポニョが宗介を好きだと言って、それを宗介が受け入れて全うする物語、というのが今作の制作においての至上命題的に語られていたが、恐らく、それは5歳の子どもたちで行われる物語ではないのである。

本来的には10歳〜12歳くらいの少年少女ならばギリギリ成立するファンタジーであって、性愛の目覚めが起きうるその間近でこそポニョのストーリーラインは輝くのである。

ポニョと宗介は5歳のそれではない。

だからか、子供もポニョの歌は歌っても、ポニョの物語には興味はない。反対に、純粋なる愛情において、大人たちこそがポニョと宗介の物語に親しく、子供には酷く退屈なのである。年齢的に近しい主人公たちでも、心は大人だからである。
宗介は宮崎駿であるわけで、つまりは眞人のようなものであり、結局は大人の目線で作られた童話なのである。

それでも童話は童話である。然し、童子が好む物語は、そこに愛着が必要になる。それこそが母恋いであり、病院にいるお母さんへの一途な愛情であり、それは共感を呼び覚まし、子供も抱く愛情である。
然し、解せないのは、そのような概念に対して理解のない幼子ですら、トトロの映像を愛していることである。
トトロ、サツキとメイ、ネコバス……。そのすべてのデザインは、永久の綺羅星となって、子供たちの心を照らし続ける。
糸井重里の最初のコピーは『このへんないきものは、もう日本にはいないんです。』だったのを、宮崎駿が変更させて、たぶん、を追記した。
けれども、宮崎駿が作ったこの童話で、今もなお、トトロは日本にいるのである。



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