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私の本棚 ②

稲垣足穂大全特装版限定75部を入手し、感動していたら、事とは重なるもので、一番に欲しかった『ヰタ・マキニカリス』のユリイカ版を手に入れた。
大感動である。

帯もつき、カバーもきれいな完本である。
カバーは、本体よりも大きくて、天地を包む形である。

初代ユリイカの刊行者の伊達得夫が編み出した、1948年刊行の『ヰタ・マキニカリス』はもう75年も前の本である。
(今の雑誌ユリイカは、伊達の死後再復活したもので、ユリイカという書名は、伊達がオリオンかユリイカがどちらがいいか悩んでいたら、

「ユリイカ」になさい。そちらの方が、断然文学的です。

と足穂が勧めたのだ。(オリオンはオリオンでいいなぁ。「オリオンの側で燃える攻撃型宇宙船……。」
by ロイ・バッティ『ブレードランナー』(声は寺田農で)

足穂の文学的な20代(『一千一秒物語』、『鼻眼鏡』、『星を賣る店』、『第三半球物語』、そして『天体嗜好症』の単行本刊行期)が終わり、30代〜40代後半は不遇の時を過ごした。50代もまた、世間的には忘れられていた。

単行本は、『山風蟲』や『星の学者』など数冊を数えるほどしか、特に『星の学者』は自分の仕事とは言えない、とまで語っている。

上記単行本の頃はまだいい頃で、そこから10年は、まさに、圧倒的不遇であり、彼は誰にも顧みられなかったが、伊達得夫が彼を見つけた。

足穂にとって、重要な編集者は二人、伊達得夫、森谷均である。
本を売ることは、編集者の責務であるが、才能を世に放つことこそが本分であるのに、誰もが識っている才能だけを喧伝することになんの意味があるのか。

この『ヰタ・マキニカリス』は500冊だけ刷られた。75年を経て、今では100冊も残っていないのではないか。

足穂の愛読者は、一見とりとめのない、良家の白い折襟のお坊ちゃんのように、どこかお行儀のいい、永遠に少年的な文体のかげにひそむ、菫色の夕空のノスタルジーを、あの永遠なものへの男性特有の郷愁を、夕方の焚き火の匂いにヘリオトロープの匂いのまじったような、なかなか家へ帰って来ない少年の匂いを、どことなくハイカラでどことなく古風なユーモアを、(飛行機を「ひぎょうき」と訓ずる謡の師匠のおかしさなど、今でも何度でも思い出される)、何かしら充たされぬ思いのそこはかとない充足を、いささかも感傷の湿気の伴わぬ哀愁を、言葉の意味においてもっとも本質的に「抒情的なるもの」を愛しているのである。ー三島由紀夫

平岡公威(三島由紀夫)のこの足穂についての文章は、愛読者の心を見事に掬い取って代弁してくれていて、とても感動的だ。三島は、足穂を一番理解している。この文章を書いてくれた三島に心から御礼を申し上げたい。


神戸三ノ宮トアロード近く、布引ハーブ園にて。菫色と白色の花を背景に。

写真を撮り速攻片付けた。

本当には始め、この本は真っ白だったという。


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