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太陽と星と月の魔導師

フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターンという画家がいる。

アウトサイダー・アートの画家として括られていて、ゾンネンシュターンは本名ではなく、太陽と星を母国ドイツ語で組み合わせた異名である。
彼は独自の円と線を持って、絵を描いた男である。

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アウトサイダー・アートといえば、郵便配達員のシュバルや、ワッツタワーの製作者サイモン・ロディア、そして私の好きなヘンリー・ダーガーがいる。

この界隈の人々は、現代アートの世界にもたくさんいて、正規の美術教育を受けていなかったり、或いは心に病を抱えていたりする。明確に、俗世間と上手く折り合って、優雅に生活し、プロとして生計を立てていたりする人は、アウトサイダーではない。これは小説にも言えることである。アウトサイダーとははぐれ者であるし、外れ者でもある。外れ者、隠者の人生は穏やかではない。
ゾンネンシュターンも若い頃からの悪行で、感化院に入っていた時期もある。感化院と言えば、川端康成の小説に出てくる若い野生の娘も、よく感化院に入っていたりする。『夏の靴』とか。

本来、そのような暗黒面に接しない限りは、恐らくは芸術に触れるのはより困難になるだろう。聖を貫徹する場合も同様で、これもまたはぐれ者になる。イエズス・キリストははぐれ者である。

つまり、芸術っぽいごっこ遊びをしているのが、俗世で活躍して売れている連中である。芸術は公認された瞬間に、前衛でなくなり、価値は落ちていくと、私は教えられた。

死ぬまで誰にも顧みられないこと、或いは、奇人変人と見なされることは、
創り手を志す人間には厳しい話だが、例えば、生涯誰にも評価されることはないが、神々から見れば明らかな傑作を作る才能、もしくは、万人に評価されるが、実際にはしょうもないもので、そのことを自分でも理解しているほどの才能、の孰れかを選べと言われて、後者を選ぶ人間は、本来的には即日創作を辞めたほうがいいだろう。

ゾンネンシュターンは、様々な犯罪に手を染めて、教祖にもなった。
そして、その行いを罰せられて、償いの為に働かされてもいる。
顔つきは仙人そのものである。

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彼は死ぬまで顧みられないわけではなかった。評価も受けている。
彼は、47歳で絵を描き始めた。それまでも、教祖や占星術師をしていて、ある種、存在そのものが芸術だった。

ゾンネンシュターンの絵は他の誰とも違う。それは、彼自身が芸術であるから。芸術とは、例外なく地獄である。それは、人間の生を焼き尽くすことで生まれる罪科であって、人々の慰安に使われるものではないからである。慰安や娯楽は、暇つぶしでしかない。一瞬しかない人生の、さらに小さな火花でしかない。

芸術家にはろくな人間がいない。私の知る限り、ろくな人間じゃないほど、いい作品を作る。真面目な人間は、まともな人間で、いい人ではあるが、つまらない作品しか作れない。
どちらがいいのだろうか。

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