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文章で飯は食えない

吉田一穂いっすいの詩の代表作は『母』である。

『母』

あゝ麗はしい距離ディスタンス
つねに遠のいてゆく風景……
悲しみの彼方、母への、
捜り打つ夜半の最弱音ピアニツシモ

吉田一穂『母』

吉田一穂は極北の詩人と呼ばれていて、貧乏だった。
文学者としては有名でも、貧乏なのである。詩では飯は食えない。
そもそも、文章でご飯を食べる、というのは烏滸がましいことであり、最近は文章で人を感動させたい、文章で真理に迫りたい、文章で社会の役に立ちたい、という者は減って、文学賞を獲ってー有名になってーお金稼いでー尊敬されてーそんで楽に暮らしたい、という、なんとも哀しい野望を持つ人が増えた。
つまりは、完全に詩心はなく、詩神に見放された者が、詩や小説を書くのである。これは悲劇ではないか?ああ、喜劇なのかもしれないが。
アニメ化してー映画化してードラマ化してー、なんて妄想が捗るわけである。
文学的野心、これは重要だが、やっぱりね、金を目的に置いてはいけない。無論、Famousになることもである。
『地位を与えればその人の本質が浮かび上がる』ではないけれども、地位や冠というのはその者の心を裸にするのである。
数多の権力者たち、彼等がそれを体現しているだろう。

詩人で貧乏、といえば、千家元麿せんげもとまろがいる。千家元麿は出雲国造の家系、千家尊福の長男(外の子)であり、完全にやんごとなき一族の出身であり、最早、一般庶民とはかけ離れた場所にいるはずの人だが、貧乏である。
あの、最高峰小学校の慶應義塾幼稚舎から慶應義塾に入学するが1年で退学し、そのあとの様々な問題を起こすが、芸術的発心を持ち続けた。
親からも毎月相当額の仕送りがあったらしいが、散財の名手であり、欲しいものは全て買っていたので貧乏だった。その点、困りものではあるが、藝術家はそういうところがあるものだ。金は天下の回りもの、金があるやつは俺のために使え!的なところである。
然し、人柄はよく、仲間に愛されていたのである。

千家元麿はすでに青空文庫で読めるので、興味のある方はそちらから読んで頂きたい。

彼の弟子である耕治人もまた、貧乏だった。耕治人は小説家で、私小説を多く書いていたが、全く大成せずに、川端康成の伝手で仕事をもらっていたりした。彼は頑張って小説を書き続けて、支えてくれた妻の認知症と自身の闘病を書いた命終三部作でようやく日の目を見る。
然し、その川端康成の妻の秀子の弟と土地関係で揉めて、そっちの印象が強い。然し、この人もまた優しい人で、晩年は病気で散々だが、自分の作品を信じ続けた。

そして辻潤である。この男も貧乏である。辻潤といえばダダイストであり、詩人であるが、アナーキストの大杉栄との間で、妻の伊藤野枝に公な不倫をされた男である。
彼は、質素で虚無僧のような男(コスプレをしていた)で、尺八を抱えていた。
彼は、生前全く売れていなかった、というか、自費出版しか出していない素人だった宮沢賢治の作品を高く評価しており、やはり、そういう非常に見る目のある男は皆不遇であり、貧乏なものであり、相通じるものを感じ取るものなのである。
彼はだんだんと精神を病んで、最終的にはシラミにまみれてアパートで餓死したという。

シラミと言えば、つげ義春の『無能の人』のエピソード『蒸発』に登場する俳人、井上井月いのうえせいげつが思い出される。

井上井月は出自不明の謎の俳人であり、彼はほぼ乞食同然で、乞食井月と呼ばれながらも放浪生活をして、施しを受けながら、俳句を詠んだ。そして、この井月に影響をウルトラに受けた俳人が自由律俳句の代表選手である種田山頭火たねださんとうかであり、彼もまた、放浪を続けて、風呂にも入らず、乞食のような生活を送っていた。然し、家族は立派なのがおかしい。

とにかく、俳句や詩、そして小説もである、そもそも、文章では飯は食えない。彼等は、文章で飯を食うためではなく、表現のために表現をしているのであって、たしかに金は欲しかったろう、生活が楽になるのだから、然し、金、というものは全てを狂わせるし、歪ませるし、盲目にさせる。金などなくても人の心は動かせるのである。
そして、その上でお金に恵まれたのなら、これほどに有り難いことはないだろう。






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