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厭世読書/あかね噺の新刊を読む

『あかね噺』の5巻と6巻を購入する。

5巻は買おうか迷っていたが(ちょうど『HUNTERXHUNTER』連載期間と被ってたから、本誌で読んでいた)、歯抜けなのでやっぱ気になり購入。
今はジャンプコミックスも528円もする。昔は410円とかだった。それよりも安い300円台もあったのに……。最終的には600円の大台にも突入するだろう。
電子書籍に関して、漫画では紙媒体に既に売上逆転している。電子書籍の価格を安くしたら書店や印刷所は崩壊するだろう。然し、近い将来起こりうる未来ではないか。
私は紙媒体も好きだし、書店も好きだ。然し、消えるものはしょうがないと思っている。だいたい、私は紙の本をそこらの人間よりも遥かに購入しているため、電子書籍に移行してもいいよ、的なこと言っても文句を言われる筋合いはないのだ。

最近はChatGPTの台頭もあり、多くの仕事が今後消える可能性があると言われているが、まぁ、出版やデザインにまつわることも多く消えていくことだろう。
人間至上主義を破壊するのは最終的には驕り高ぶった人間自身だとバベルの塔が証明しているではないか。
人間にしか書けないものがある!という意見に当てはまるのは極一部の天才に限られるし、そもそも人間にしか書けなかろうが、機械が書こうが、藝術に貴賎はないので、優れたものが尊ばれるだけの話である。
なので、人間も早晩処分されるのかもしれない。嫌な話だが、自縄自縛が人間の性なのである。

さて、肝心の『あかね噺』だが、これはまぁ、人気があって、5巻を買おうか逡巡している間に第二刷になっていた。多分来年の夏頃にはアニメーションになるだろう。そして、映画にもなるかもしれない。
然し、私はあくまでも『どうらく息子』派であり、若干『あかね噺』の持つ王道性、エンターテインメント性についていけていない。

『あかね噺』が好きな人は是非『どうらく息子』を読んで欲しい。1話目も試し読みできる。
ジャンプは結局は傑物の話になる。なので、負け犬根性、夢を諦めきれない人は『どうらく息子』を。

人生は修行、という老害思考の私においては、『あかね噺』は少し軽すぎるが、まぁジャンプ漫画とはそういうものである。子供が夢を見る作品であるから、怒られたり嫌な人間ばかり出てきて社会の暗黒性、そもそも生きていることに価値はないことを小学生時分で識る必要性などなく、夢や希望を持って、友情・努力・勝利の三原則でこの世界へと羽ばたいていく、その一助となればいいはずである。

『あかね噺』はエンターテイメントであり、ジャンプ漫画なので、まさかの噺=能力的な感じで(見せ方の話ね、演出の話)見せるわけであり、二つ目、真打あたりは『BLEACH』で言うところの「卍解」的な見得を切った演出で見せてくれるので、キャラクター性も相まってそこはやはり少年漫画である。『どうらく息子』は噺と現実の人情を絡ませて、物語を運んでいる。私はスピリッツとかビッグコミックとか好きなので、そういう方が好みであるが、『あかね噺』もライトな『ヒカルの碁』的な感じで、まぁ読みやすいし、楽しい。

そういえば、落語家も将来は消えるのだろうか。消えるかどうかわからないが、機械が台頭して例えばこの世の中を統べることになれば消えてしまうだろう。そもそも、機械の方が淀みなく話すだろうし、人間よりも感情の機微も出せて巧くなるかもしれない。また、人間の癖、あえての間なども習得するだろうし、体温があるかないかだけである。
汎ゆる世界は最早人間を必要としていない。人間を必要としているのは人間だけで、だからこそ人間は次の世代に繋ぐために藝術を作り続けるのだ、という甘言よりも、機械が作った傑作に泣かされたほうが、実は豊かなのかもしれない。
まぁ、落語の漫画でする話ではない、厭世的な話なんて。

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