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【徒然草 現代語訳】第百十五段

神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

宿河原といふところにて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来るぼろぼろの、もしこの御中に、いろをし房と申すぼろやおはしますと尋ねければ、その中より、いろをしここに候。かく宣ふは、誰ぞと答ふれば、しら梵字と申す者なり。おのれが師なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人にあい奉りて、恨み申さばやと思ひて尋ね申すなりといふ。いろをし、ゆゆしくも尋ねおはしたり。さること侍りき。ここて対面し奉らば、道場をけがし侍るべし。前の河原へ参りあはむ。あなかしこ、わきさしたち。いづかたをもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨に侍るべし、といひ定めて、二人河原へ出てあひて、心行くばかりにつらぬきあひて、共に死ににけり。

ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世にぼろんじ、梵字、漢字などいひける者、そのはじめなりけるとかや。世を捨てたるに似て、我執深く、仏道を願ふに似て、闘諍をこととす。放逸無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしままに、書き付け侍るなり。

翻訳

宿河原という所に、ぼろぼろがあちこちから大勢集まって九品の念仏をお称えしていたところ、外部より入ってきたぼろぼろの一人が、つかぬことをお尋ねいたしますが、この中にいろをし房とおっしゃるぼろはおられますでしょうか、と問うた、すると中から、いろをしでしたらここにおります、かくおっしゃる貴方様はどちらのお方でしょうか、と答えたので、申し遅れました、しら梵字と申します、私の師匠某とおっしゃる方が、東国にていろをしと名乗るぼろぼろに殺されたとお聞きし、その人にお目にかかり、お恨みを晴らして差し上げたいと訪ねて参りました、と云うではないか、それはそれはまことに殊勝なお心がけ、たしかにそういうことがございました、しかしながらこの場で対決となれば道場を汚してしまうことになりましょう、前の河原に場を移し、改めてお相手いたそう、どうかお集まりの皆様、ゆめどちらかに加勢などなさいませんよう、大事になりましたら仏事の妨げとなります、と釘をさして出てゆき、二人連れだって河原へ赴き、思うさま斬り合い、もろともに刺し違えて死んだ。

ぼろぼろなる者は、昔はいなかったのだろうか。昨今、ぼろんじ、梵字、漢字といった者たちが起源らしいと云われているようだ。一見世捨て人のようで、実のところ執着心が強く、仏道を志しているかに見えるが、闘争を生業とし、勝手気儘で残虐という話だが、この話にあるように、死ぬことを厭わず、生にカケラも拘泥しない点がいっそ痛快にも覚え、人から聞いたままに書き付けました。

註釈

○宿河原
しゅくがわら。川崎市高津区の辺り(らしい)。

○ぼろぼろ
「ぼろぼろになる」の語源(らしい)。


「昭和残侠伝」のワンシーンのようですね。

追記

任侠映画では、加藤泰監督のものが好きです。

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