【徒然草 現代語訳】第百十二段
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
明日は遠き国へおもむくべしと聞かむ人に、心閑になすべからむわざをば、人いひかけてむや。俄かの大事をもいとなみ、切に嘆くこともある人は、他の事を聞き入れず、人の愁、喜をもとはず。とはずとて、などやとうらむる人もなし。されば、年もやうやうたけ、病にもまつはれ、いはむや世をものがれたらむ人、またこれに同じかるべし。
人間の儀式、いづれのことか去り難からぬ。世俗のもだしがたきに随ひてこれを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなむ。日暮れ塗遠し。吾が生既に蹉駝たり。諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ、禮儀をも思はじ。この心をもえざらむ人は、物狂ともいへ、現なし、情なしとも思へ。毀るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ。
翻訳
明日遠国へと旅立つことになっている人に、穏やかな気持ちでなさねばならないようなことをわざわざ云いかけたりするような人がいるだろうか。突如出来した急用にかかずらわったり、身も世もあらぬ嘆きに囚われている人は、それ以外のことには耳を貸さない。他人の悲しみや歓喜に同調するはずもない。だからと云って、顔も出さないなんてなどと恨む人もいない。その伝でゆけば、歳をくい、病に冒され、ましてや世を捨てた出家者もその同類とみなされるはずだ。
世間づきあいの諸々の行事は、どれもこれも等閑にはできないものばかり。世俗の社交儀礼に則ってひとつひとつをきちんとこなしてゆこうと思っていると、願い事が増え、疲れ、心にも余裕がなくなり、一生を雑事にかまけ遮られあっけなく終えてしまうことになる。日は暮れたかもしれないが、道はまだまだ遠い。己の人生は、既に抜き差しならないところまできている。今こそあらゆるしがらみを断ち切り投げ捨てる時なのだ。信頼?礼儀?そんなもんは知ったこっちゃない。この心情決意が理解出来ない者は、とうとう狂ったなと云うがいい、頭がどうかしてるんじゃないか、あまりに情がないと思いたいように思うがいい。誰に謗られようとも、こちらは聞く耳を持たない。逆に誉められたところで、意に介さない。
註釈
○切に嘆く
読みは「せちになげく」。
○もだしがたき
黙し難き。黙って見過ごせない。
○日暮れ塗遠し
読みは「ひくれ みちとおし」。「ひぐれみちとおし」ではない。出典「史記」。
しがらみって「柵」と書くんですよ。
垣根のことです。
一生を、ここから出ちゃいけません!と云われて過ごしますか?