【徒然草 現代語訳】第八十七段
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
下部に酒飲まする事は、心すべきことなり。
宇治に住み侍りける男、京に具覚房とて、なまめきたる遁世の僧を、小舅なりければ、常に申しむつびけり。
或時、迎へに馬を遣したりければ、遥かなる程なり。口づきのをのこに、先づ一度せさせよとて、酒を出したれば、さしうけさしうけよよと飲みぬ。太刀うち佩きて、かひがひしげなれば、頼もしく覚えて、めし具して行くほどに、木幡のほどにて、奈良法師の兵士あまた具してあひたるに、この男たちむかひて、日暮れにたる山中に、あやしきぞ。とまり候へといひて、太刀を引き抜きければ、人も皆、太刀抜き、矢はげなどしけるを、具覚房手をすりて、うつし心なく酔ひたる者に候。まげて許し給はらむといひければ、各嘲りて過ぎぬ。この男具覚坊に逢ひて、御房は口惜しき事し給ひつるものかな。おのれ酔ひたること侍らず。高名仕らむとするを、ぬける太刀むなしくなし給ひつることと怒りて、ひたぎりにきりおとしつ。さて、やまだちありとののしりければ、里人おこりていであへば、我こそ山賊よといひて、走りかかりつつ、きりまはりけるを、数多して、手おほせ、打ちせてしばりけり。馬は血つきて、宇治大路の家に走り入りたり。あさましくて、をのこども数多走らかしたれば、具覚房は、くちなし原にによびひしたるを、求め出でてかきもて来つ。からき命生きたれど、腰切り損ぜられて、かたはになりにけり。
翻訳
下郎に酒を呑ませる際には注意が必要だ。
宇治にお住まいだったさる男子は、京都の具覚坊という名の風流な世捨て人の僧侶と、小舅にあたる関係から、常日頃より昵懇にしていた。
ある時、京都に迎えの馬を遣わした際、具覚坊が、宇治まではずいぶんある、まずは景気づけに一杯呑ませておやり、と云って馬丁に酒を出してやったところ、この馬丁、飲むわ飲むわ、差し出された盃を片端からぐいぐい呑んだ。太刀を腰に佩き、見るからに勇ましげで、こりゃ頼りになるわいと思われて、召し連れてゆくうち、木幡にさしかかった辺りで奈良法師が警護の僧兵をぞろぞろと引き連れているのに遭遇、すると件の馬丁が何を思ったか、日も暮れた山中にこのものものしさ、ただ事ではないぞ、いかにも怪しい、立ち止まられよ!とすごんで太刀を引き抜いたのものだから、僧兵たちもただちに気色ばみ、すかさず太刀を抜いたり矢を番え始めたりしたので、慌てた具覚坊が揉み手しながら、とんだ酔っぱらいにございます。ここはどうぞ曲げてご容赦くださいまし、と頼んだため、僧兵たちは嘲笑まじりにことをおさめて立ち去ってしまった。ところがこの酔っぱらい、具覚坊に向かって、お坊様よ、あんたなんて残念なことを!私はこれっぽっちも酔ってはおりませぬ。手柄を立てるまたとない好機、せっかく抜いたこの刀をすっかり無駄にされましたな!と怒り狂い、あろうことか具覚坊をめった斬りにして馬から落としてしまった。そうした挙げ句、山賊だ山賊が出たぞ!と大声を張り上げ、驚いた村人たちが大挙して現場に駆けつけると、今度は、我こそは山賊なり!と叫び散らし、手当たり次第に走りかかって斬りまくったが、そのうち多勢の村人たちに傷を負わされ、散々に打ちのめされて縛り上げられてしまった。そうこうしている間に、馬は血まみれのまま宇治の大路の家に走り込んでいた。すわ、これは一大事、とのことで下男どもを大勢派遣し、梔子原に悶絶しながら倒れ伏している具覚坊を見付け出し、担ぎ上げ連れ帰った。辛うじて命だけは取りとめたものの、腰をざっくり斬られたのが深傷となり、片端者となってしまった。
註釈
○兵士
読みは「ひょうじ」。
○山賊
読みは「やまだち」。
○奈良法師
興福寺、東大寺の僧侶。
なんとかに刃物、ですね。
追記
私がこの世で一番嫌いなものは酔っぱらいです。