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【徒然草 現代語訳】第八十五段

神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。


原文

人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されどもおのづから正直の人、などかなからむ。おのれすなほならねど、人の賢を見て羨むは尋常なり。いたりて愚かなる人は、たまたまた賢なる人を見て、これをにくむ。大きなる利を得むがために少しきの利をうけず、偽りかざりて名を立てむとすとそしる。おのれが心に違へるによりて、この嘲りをなすにて知りぬ、この人は下愚の性移るべからず、偽りて小利をも辞すべからず、かりにも賢を学ぶべからず。狂人のまねとて大路を走らば、則ち狂人なり。悪人のまねとて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥のたぐひ、舜をまなぶは舜の徒なり。偽りても賢をまなばむを賢といふべし。

翻訳

人の心は必ずしも真っ直ぐではないので、偽りと無縁ではいられない。とは云うものの、生まれついての正直者がいないというわけでもない。自分の心がねじ曲がっているのに、他人の賢さを見て羨んでしまうのは定番中の定番だ。更に極めつけの愚か者は、たまさか賢い人に逢ったりすると、あろうことか憎みさえする。巨利を得ようと目先の小利を受けるを潔しとせず、あまつさえ感心のないふりなんぞして世間受けを狙っていると誹謗する。己の心の在り方が異なっているため、こういう愚を犯すのだが、これを見ているだけでそやつの心根が知れるというもの。こういう輩こそ下等も下等、人間のクズ、その性根を叩き直すことは不可能で、目前の利益を、たとえそれがほんの僅かなものであっても手出ししないなんてことはなく、まかり間違っても賢人に学ぶ価値などない。狂人を真似て大通りを走れば、そいつはただの狂人。悪人に倣って人を殺めれば、ただちに悪人となる。千里を駆ける駿馬をお手本にする馬はその仲間、舜から学ぼうとする者は舜の同朋である。見せかけに過ぎずとも賢人より学ぼうとする者を、賢い人と云うんじゃないだろうか。

註釈

○尋常
読みは「よのつね」。

○下愚
読みは「かぐ」。

○驥
き。千里を駆ける馬。

○舜
しゅん。神話上の名君主。


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